美少女の妹と母のような姉
『吉乃はお姉ちゃんなんだから我慢しなさい』
物心つく頃からお母さんから言われ続けたその言葉は最後の最後まで私を縛り続けるらしい。
仕事が忙しく、めったに家には帰ってこない両親に代わって5歳年下の妹の面倒を見るのはいつしか自然と私の役目になった。
「お姉ちゃん今日の晩ごはんなにー?」
「んー何がいいー?手のかからないものならリクエスト受け付けるよ」
「からあげ!!」
「揚げ物はめんどいからダメ」
「やーだー!!明日からテストなの!!お姉ちゃんのからあげがないと力がでないー」
「何なのその理屈は……講義終わって早めに帰ってこられたら考えとく。遅刻するよ、さっさと学校行きなさーい」
「うー……わかったあ」
既に仕事へ行っている両親の代わりに朝ごはんを作り、妹を起こして一緒に食べたら中学へ送り出す。
その後は大学へ行き、買い物を終わらせて帰路に着いたら洗濯機を回して軽く掃除をしたらまたご飯を作って妹の帰りを待つ。
家事はそんなに好きではなかったけど、唯一料理は別。
どんなにめんどくさい料理でも妹の笑顔とたまに帰ってくる両親から賛辞をもらうとそんな気分も吹っ飛んだ。
それが私の代わり映えのしない生活のルーティンだった。
――それがどうしてこんなことになったのだろう。
私は目の前の光景に頭を抱えてくなったが、そんなことをしている場合じゃない。
5歳年下の妹は可愛い。
どれぐらい可愛いかといえば姉の欲目をのぞいても、真っ黒でストレートな頑固な私の髪と違い、さらさらと流れる色素の薄い茶髪に同じ色で縁取られた長いまつ毛から覗く大きな瞳――私は真っ黒で切れ長だからキツイと言われる――も人形のように愛らしいという言葉がよく似合った。
また、顔が良いだけではなくて中学生の割には華奢で長い手足――スタイルの良い体を見込まれて雑誌のモデルも最近ではこなすようになっていた。
天真爛漫で誰にでも優しい、妹の周りにはいつでも人が集まっていて男女を問わず虜にしてしまう。
――そんな妹を密かに羨ましく思っていたが、今は前言撤回したい気分だ。
可愛さも時には欠点となりえるのかもしれない、目の前で刃物を構えているストーカー男を見てしまうと、余計に。
私の腕の中で震える妹に視線を落とすと、普段からただでさえ白い肌は可哀想なぐらい血の気が引いたように青くなっていて、小動物を彷彿とさせ庇護欲を掻き立てるような大きな瞳は涙で潤んでいる。
「お姉ちゃんどうしよう……」
百合は今にも泣き出しそうな声で私に助けを求めた。
「大丈夫よ百合、お姉ちゃんがなんとかするから」
「退けよブス!!」
「百合、ブスは帰っていいってさ」
「え……お、おねえちゃん……?」
「百合ちゃんじゃないいい!!お前だ黒髪ブス!!」
「チッ」
幼い頃から百合ちゃんを出せブス、なんて言葉死ぬほど聞き飽きているのでノーダメージだ。
男が怒りのあまりその場で刃物を振り回すがまだ数メートルの距離はあるから届いていない。
二人で走れば逃げられる? いや、直線の狭い路地だ。どちらかは流石に追いつかれてしまうだろう。
百合より私のほうが足は早い。神様が唯一、百合より優れたものをくれたのはこれだけだったなあ。
「百合ちゃん、俺のこと好きだって言ってくれたよね?」
「し、しらない……あなたのことなんて知らないです……」
「照れてるだけでしょ? イベント会場で何度も会ったじゃないか」
ストーカー男が1歩、また1歩と距離を詰めてくる。
百合の細くて白い指と爪が私の腕に食い込む。振り払って逃げてしまいたい、と思ったのはこれまでにも何度もあった。
近所の犬に絡まれたとき、母の大切にしているカップを百合が割った時、遊びに行きたいのにお世話を任された時、友達に百合を褒められた時、好きだった男の子に百合を紹介した時、そして今。
姉とは損な役回りだ。
ほとほと泣きたくなる。
妹なんて本当はだいっきらいだ。
いなくなってしまえばいい。
私は気づけば――百合を思い切り突き飛ばした。
「百合、走って!!」
もつれた足で転びかけながら走り出した妹を見て私も追従する。
背後から聞こえる雄叫びに捕まりませんように、と祈りながら。
息を切らしながら思う。
姉とは生まれたときから姉で、死ぬまでも姉だ。
それは変わらない。
地面に打ち付けられる痛みと背中に走った衝撃と熱に目を回しながら、はるか先で立ち止まってこちらに振り向き叫ぶ百合の痛々しい叫び声を聞いた。
「やだよ!!おねえちゃん!!やめてよ!!やめて!!」
『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい』
ずっと昔から思っていたが、背中に何度も刃物が突き立てられている現在の状況を顧みるに、文字通り死ぬほど理不尽な言葉だ、と自嘲する。
そんなこと誰に言われなくったって私はお姉ちゃんで百合はだいっきらい以上に大好きな妹なんだから守るに決まってるのに、ね。
目の前が白い光に包まれていく。
そうして私の意識は落ちていった。