第2話 犬神
土岐はどのくらい流されたのであろか?
葦の小舟は様々なところで留まり、流され、それを繰り返しながら、やっと河岸に打ち上げられていた。
土岐は深く眠っていた。
辺りは暗くなっていたが、夜空には満月が低いところに昇り川面と葦の小舟を照らしていた。
河原と森の境の藪から獣らしきものが現れ葦の小舟に近づいて行った。大きな犬?であった。
全長は3メートルほどあるだろうか、全身は真っ白な短毛で覆われ、月明かりを浴びて艶やかにゆるく輝いていた。耳はピンと立ち、口からは鋭い牙が見え隠れし、眼光炯々としていた。
「異様な「気」を感じだが、この赤子であったか。この上流には鬼族の里しかない、不具の子か?」
大きな犬?は言葉を発した。
よく見るとそのたわやかな尻尾の下には小さな仔犬?がヒョコヒョコとついて来ていた。大きな犬?と同じく真っ白な短毛で覆われていたが、身体の大きさは1メートル弱であった。
「お母さん、コイツ何者?」
仔犬?も言葉を話すようだ。
土岐は物凄い気配を感じ目を覚ました。
目も見えず身体も思うように動かない、圧倒的な気配が土岐を覆い尽くしていた。
(なんダァ?この気配は?獣の臭いがする!ヤ、ヤバイ?喰われるのか?)
「ぬしは何者ぞ?」
(しゃ、喋ったぞ!)
「まだ、話せぬのか?赤子だから致し方ないか。
赤子よ、話したいことを強く念じてみよ。 ぬしの「気」であれば我に届こう。」
(念ずる?こうか?)
(土岐 武っ〜!)
大きな獣は思いがけない強い念に少しだけビクっとしたが、赤子の底抜けに明るい笑顔を見て緩やかに尻尾を振っていた。
(武………タケルとのう!
あのお方と同じ名とは………。
これは………奇なり。)
「トキ タケルとのう。
氏を持つのは人間だけぞ。ぬしは鬼族の子であろう。」
土岐は意識が戻った時から眠ってしまった時までの感じたことを念じた。
「そうであったか。
ぬしは鬼族不具の子として生まれ変わった人間であったか。我の知る限り前世の記憶を持って転生してきた者は1000年ぶりくらいかのう。
ぬしの念の中に垣間見た世界を我は知らぬ。 他の世界からの転生か?それで強い「気」を放っておったのか。」
「てんせいしゃ?」
仔犬?が尋ねた。
「そうじゃ、一度死んで、その時の記憶や心技を持ったまま生まれ変わった者のことじゃ。
ロウは見るのは初めてじゃのう。」
「うん、お母さんは会った事あるの?」
「まぁ、その話はおいおい話すとしよう。
先ずは、この者ともう少し話すとしよう。」
(小さな気配はロウという名か?
この圧倒的な気配の名は?姿は?)
視覚の無い土岐は気になって仕方がなかった。
「これは、すまぬのう。
我はスサノヲ様より人外の者を司るよう命ぜられた犬神のビャクヤという。
ぬしは鬼族不具の子であるからタケルと呼ぼう。氏は人間が持つもの、トキという氏は捨てるが良い。
この者は我が娘、ロウである。」
(タケル………、氏はいらないのか、人ではないのか、鬼族ってあの鬼ッ?
ビャクヤ、ロウ………、スサノヲ様??こりゃ、全てが???だなぁ。
それはそうか!生まれ変わりの赤ちゃんだものな。
まぁ、いっか!
それより腹が減った………。)
「腹が減った?
そうかそうか、鬼族であれば我の眷族、しばらく面倒をみよう。」
ビャクヤは葦の小舟ごとタケルをヒョイと咥え森の中に入って行った。
ヒョコヒョコとロウもその後に続いた。
そこは大きな洞窟であった。
入口手前には石の色そのままの歪な鳥居があり、その左右には木の実、干し肉、干し魚、野菜、果物などが御供えもののように置かれていた。
洞窟に入ると深さはあまりなく100メートルほどで行き止まりであった。
一番奥には枯れ草や落ち葉が敷き詰められ、何かの獣の皮が被せてあった。寝床であろう。
ビャクヤはタケルごと葦の小舟を寝床の横に置き、自分は寝床の上に伏せた。
少し遅れて来たロウは干し肉を咥えていた。
「お母さんへの供物なんだから、ありがたく食べなさいよ!」
ロウはキツイ物言いとは裏腹に優しく葦の小舟の中のタケルが取りやすいところに干し肉を置いた。
(肉の匂いだ。
肉?生後1日の赤ちゃんなのに?
歯も生えてないのに食べれるのか?)
「タケルよ、人間の赤子ではないのじゃ。
肉体の成長だけを言えば、鬼族は3ヶ月程で人間で言うところの15歳ぐらいまでに成長する。
そして100年かけて人間の30歳ぐらいの肉体になり、やがて寿命が近づくと徐々に年老いて行くのじゃ。
自分の身体を確かめてみよ。」
タケルはゴソゴソと手足を動かしてみた。
(覚束なかった手足が動くぞ!グラグラしていた首も座った感じだ!
えっと………歯は?は、歯がある!
声は?出るのか?)
「あー、あー。」
(出たァ〜!喋れるのか?)
「あー、あー。」
(まだ無理か。)
タケルは干し肉を嗅覚と手の感触で探して手にした。その瞬間、
「ガブッ!」
タケルの干し肉を掴んだ右手はロウにかなりの力で噛みつかれた。
(なんだ?痛いッ!噛みつかれたのか?このまま手を引くと食い千切られる!)
タケルは右手を噛みつかれている口の奥へと押し込んだ。
牙を持った口は離れていった。
「いただきます!でしょう!
あんたは礼儀も知らないの?」
(言われた通りだ!俺が失礼だった。
いただきます!)
タケルは恥ずかしくなり、強めに念を込めた。
思いのほか強烈に感じられた念にロウはペタリと座り込んでしまった。
(なんて強い念なの!)
「分かればいいのよ、分かれば………。」
ロウは座り込んでしまったことを誤魔化すように言った。
ビャクヤは微笑みながら黙って見ていたが、たわやかな尻尾はゆっくりと振れていた。
干し肉は美味しかった。タケルのまだ小さな胃袋を満たすには十分な量であった。
「タケルよ、その垂れ流しの「気」をどうにかせんといかんのう。
強い「気」に惹かれ獨の妖魔どもが何事かとやってくる。心静かに自分の気持ちを圧し身体に閉じ込めるようにしてみよ。」
(獨の妖魔?垂れ流し?)
(とりあえず、やってみよう!)
タケルは精神集中しビャクヤの言ったようにイメージしてみた。
「ほほう、できたようじゃな。」
「ガブッ!」
タケルの手は、またロウに噛みつかれた。すぐに離してくれたが………。
「食べたら、ごちそうさま!でしょう!」
「は、はい!」
(喋れたぞ!そうだ、俺が悪い。)
「ごちそうさまでした!」
「分かればいいのよ!」
「タケルよ、話せるようじゃな。なかなか良い声じゃのう。
鬼の子にしても早熟じゃ、しかもロウに甘噛みされても「気」が漏れぬとは!タケルよ、その状態を常とせよ。ほほほほほ!」
ビャクヤは暖かく笑った。
(あれで甘噛み??)
タケルは礼節を重んじることを心に誓った。
「タケルよ、ぬしは目が見えないようだし、自力で暮らして行けるまで面倒をみよう。
ロウ、タケル、仲良くするのじゃぞ。」
「はい、お母さん。」
(礼儀正しくしなければ………。)
タケルはロウの気配を横に感じながら思った。
「あ、ありがとうございます!よろしくお願いします。」
「うむ、夜も遅い、もう休むとよい。」
「はい、おやすみなさい。」
タケルとロウの返事は重なった。
「なに被ってんのよ!あと、私のことはロウ様と呼びなさい!」
(そうだな、生まれたばかりなのだから他の人?獣?は全て目上だ。)
「はい、ビャクヤ様、ロウ様、おやすみなさい。」
ビャクヤは相変わらず暖かく微笑んでいた。
ビャクヤの尻尾に寄り添ってロウは丸まって眠りについた。タケルも葦の小舟の中でいつの間にか寝ていた。
ビャクヤは思い出していた。
(あのお方と同じ名、同じ転生者………。)
あのお方と共に戦った戦乱の日々。
優しく何時も我を守ってくれた方。
束の間の休息の楽しかった日々。
悲しくて身を引き裂かれる思いであった死別。
ヤマト タケル様!
我も早くお側へ行きとうございます。
ビャクヤは一粒の涙を流した。
(赤子にして我にも匹敵する「気」の持ち主、素直なところがあのお方によく似ておる。
目が見えぬのが不憫じゃが、しばらく面倒をみてやろうぞ、荒ぶらぬよう導いてよろうぞ。)
ビャクヤも眠りについた。
洞窟の入口付近の御供物の下から1匹の大きな蛇が出て来た。
満月の光を反射し鱗がヌメヌメと黒く光っていた。
そして何処かへ消えてしまった。
何も気配は無かった。心に声が響いた。
[遊ぼう。]
[遊ぼう。]
2つの声が心に響き、沁みて行くようであった。
「ううん〜。誰?」
タケルは半分寝ぼけて呟いた。
[しッー、静かに。思うだけで伝わるよ。声はいらないよ。]
[声はいらないよ。]
(俺はタケル、君達は誰?)
タケルは静かに思った、先程の念を込めた時よりも軽く静かに。
辺りの気配を探したが何も感じなかった。
[僕はヒルコ、気配は感じないよ。ここに居て、居ないから。]
[私はアハシマ、遊ぼう。]
タケルは前世ではあまり友達と遊んだことがなかった。
妹が死んでからは他人と一定の距離を置いて接していた。
赤子の身体がそうさせるのか遊びたいという欲求がフツフツと湧いて来た。
(うん、遊ぼう!でもビャクヤ様とロウ様が寝ているよ、邪魔じゃないかな?)
[大丈夫だよ。流石のビャクヤでも僕達のことは感じられないようにしてあるから。]
[してあるから。]
タケルはヒルコ、アハシマという名に耳覚えがあるような気がした。
(何して遊ぶの?)
[そうだね、先ずはタケルのお話をして。]
[お話をして。]
青い空と赤い大地とタケルの「気」がじゃれあっていた。