一巡目 マ行 マテリアル、砌、無窮、斑気、滅失
マ行の当主たるメモは、学者でもあり、また直接工場で働く作業員でもあった。
今日も工場へと行き、機械の作成を行っていた。
作業着を着て、手袋を付け、マスクをかぶる。
肌を隠し、溶接用道具を用いる。
遠隔操作用のロボットを用いて作る場合もあるが、今回は直接の作業だった。
彼女は、その時間のほとんどを工場で明け暮れていた。
屋敷には彼女が会いたくない人間が、いるからである。
「はい、どうぞ、できたわよ」
「お姉さん、ありがとう!」
メモの手から、子供が人型のロボットのおもちゃを受け取り、喜ぶ。
玩具の修理。本来なら当主がやるような仕事でもないのだが、時間潰しにメモが自らやったのである。もともと、その玩具はメモが作ったものである事も理由だった。
マスクを脱ぎ、ボサボサの髪で目の隠れたメモ。
玩具を受け取りはしゃぐ子供を見て、口元がほころぶ。
「お帰り! ミ-111235!」
子供のその言葉に、メモは心がざわめいた。
しかしそれを表情に出さず、笑顔の子供と親が頭を下げて去っていくのを見届けた。
メモは胸が苦しくなる。一人休憩室に行き、気分を戻す為に洗面所で顔を洗った。
百年以上前から、この島は外との交流がある。
外の世界との交流とその情報は、生まれつき道具を作る事が好きなメモにとって最初は喜ばしい物だった。
様々な知識とマテリアルが手に入り、その度に作りたい物が広がっていった。
次々と入る新しい物に好奇心だけが膨れ上がっていた。
しかしある事実を知り、メモはショックを受けた。
島の外の人間は、自分で名前を付けるのだと。
この島の人間には、名前を付ける権利がない。
メモという名前は、メモが母親の腹から出てきた時から、すでについていた名前だった。
親が付けたわけでも、メモ自身が名乗ったわけでもない。
メモを見た時、誰もが自分をメモだと知っていた。
もちろん、その名前が覚書き用の紙の名前から借りた物である事も、わかっていた。
この島の人間はこの島の全てに対し、見た瞬間に名前を理解する。
犬は犬であり、猫は猫であり、水は水であり、机は机であった。
人に教わったわけでも、本を読んだわけでもない。それが当然であった。
そして人の名前も、見た瞬間に理解してしまうのである。
そしてそれが、この島の常識だった。
島の外から来た物、人に対してはこれは適用されない。もちろん外の人はこの島の存在の名前が分かるわけでもない。
その事実に最初は互いに気味悪がっていたが、長い年月を経て、そういうものだと気にならなくなった。
メモも気にしていなかった。
しかし、外の人間は自分達で赤子の名前を決め、また名乗りを変える事が出来る事を知り、メモは大変な衝撃を受けたのである。
メモがどんなに新しい技術を創ろうと、新しい道具を作ろうと、それが出来た瞬間に名前があった。
さきほどの鉄のロボットの玩具も、メモは作る前に色々と名前を考えていた。
しかし出来上がった瞬間に、あれはミ-111235だと、見た者はそう認識していた。
メモがどんなに別の名前で呼ぼうと、誰も受け入れてくれなかった。
この島の人間にとって、名前はあるものであり、付けるものでは無かった。
その事実が、メモを打ちのめした。
名前を好きに付けらないという、その事実だけで、まるでこの島は、自由無き牢獄に感じた。
もう一つ、この島の血族の力が強い者にある現象があった。
この島から海を渡って離れようとすると、見えない壁に遮られる。
これもまた、外の島の人間には無い事実だった。
この二つの外の世界には無い異様、逃れられない決まりがあった。
メモが自身を囚人のように感じ、息苦しさがする理由だった。
しかし、例外がいた。
メモが車に乗って屋敷へと帰る。
屋敷の入り口への扉をメモが開けると、動物達の声がした。
犬の鳴き声が、猫の泣き声が、蛙の鳴き声が、虫の鳴き声がする。
ある女が可愛がる為だけのペットとして連れて来た動物。それが屋敷にたくさんいた。
家畜なら理解できるが、そんな動物に何の意味があるのかとメモは疑問だった。
砌に、メモの耳に飼い主である女の声が聞こえた。
「ミー、太郎、ゲコ郎、ご飯持ってきたわよ~」
その言葉に、メモは心臓が潰れるような苦しさを感じた。
二本の角が頭に生えた異様な少女。
そしてこの島の呪いともいうべき、決まりに縛られない。好きに名前を付けられる者。
ヤ行の当主、遊屋だった。
その名前すらも、自身で名乗っているという。
メモにとってヤ行は、遊屋は理解できない人物だった。
彼らは妖魔と呼ばれる者達の血が流れた混血と言われている。そのためか、異形の姿をしていた。
蛇のように鱗の生えた者、馬の様な下半身をした者、猿の様な肉体をした者。また妖術と呼ばれる特殊な能力を持っている。
だが知性はあり、人間と普通に会話もできる為、異様でも人間として判断されていた。特殊な力を持っていても、鍛えた人間が二人で掛かれば普通に勝てる程の力しかないのも理由だった。
彼らは普段、屋敷で見ない。山や川で過ごしているらしい。ヤ行の当主たる遊屋は屋敷で住むよう命令されている為、建物に住んでいるが、自然の中でも普通に暮らせるようだ。
遊屋もメモにとって理解できない人物だった。
まず性格に斑気がありすぎた。陽気に笑うと思えば、暗い性格の時もある。やたらべたべたと話しかける時もあれば、辛辣な口調な時もある。
まず理屈を求めるメモにとってそれは無窮に理解できないものだった。
またヤ行の者達は集まるという事を知らず、いろんな人物を見かけたメモだったが、集団行動は無理なのだというのは見ていて理解した。
その自由奔放な姿は、まず理論で固める事を重視し、この島の決まりの前に自由である事を諦めていたメモにとって理解できず、個人的に嫌悪するあり方だった。
しかし、同時にそれはメモが欲するものだった。
妖術には興味がない。島の外にも大して興味はない。メモにとって一番好きな物は工作であり、それは島の中でもできた事。
だが名前を付ける事が出来るというそれは、メモにとって大変に魅力的だった。
自分も自分の作った存在に名前を付けたい、そんな強い欲求がメモに生まれた。
メモと遊屋が共に暮らすように命じられた後。
ある夜、遊屋の気分が良かった時を見計らい。マ行の一族の家来達を下げ、メモは遊屋と二人きりになった。
美味しい料理を準備し、上等の酒を注ぎ、さらに遊屋の気分を高揚させた。
そうしていくらかした頃、メモは遊屋に目的を告げた。
名前を付けられるのは何か教えてほしい、できれば私にも名前を付けられるように手伝ってほしいと頼んだ。
だが遊屋は笑うばかりで、何も言わない。
メモは畳に頭をつけて土下座し、出来る事なら何でもするからとさらに頼んだ。
しかし遊屋は立ち上がり、その頭を踏みつけた。そして告げた。
「い、や、よ」
その言葉に動く事が出来ないメモの頭から足をどけ、遊屋は笑いながら部屋を後にして行った。
マ行の者と、ヤ行の者は昔から仲が悪く、よく殺しあっていた。
そのうえでヤ行が生き残っていたのは、山や川に個々で生きていたからであり、マ行は逆に一か所に固まって守りあっていたからである。
ゆえに互いに憎しみあっていた。
しかしそんなことはメモにとってどうでもよかった。両親をワヲンに殺された事すら、メモには大して心を揺るがさなかった。
メモはそれ以外がどうでもいいほど、遊屋だけが許せなかった。
数日前の首都での出征でも、遊屋への殺意をごまかすのに、ひたすら研究内容を書き続けるほどに。
遊屋から、この島の呪いから逃れる方法を、名前を付ける手段を教えてもらう事がメモに取っての全て。
もしもそれを断るなら、四肢をもぎ、目を潰し、あらゆる拷問にかけてやるとメモは心に誓っていた。そして聞き出したら、滅失させてやると誓っていた。マ行もヤ行も関係なく、それほどまでに嫉妬し、憎んでいた。
それが実行可能になる、戦乱が間近に迫っていた。
ボサボサの髪で、隠れたメモの目。その前髪の隙間から、メモは庭の縁側の少女を睨みつける。
縁側に座り、庭のペットの鳥たちにエサをやる角の生えた少女は知ってか知らずか、気楽に鼻歌を歌っていた。
もちろん知っていたのだが。
マテリアル:material、英語。原材料、素材。
砌:そのとき、そのころ。
無窮:永遠、無限。
斑気:気分が変わりやすい、気分屋、むらっけ。
滅失:滅びてなくなる。