第2話 蒼と紅(あおとあか)
エターニア王家に姫が生まれたニュースは瞬く間に国内に知れ渡り、この明るい話題に国内はお祝いムード全開であった。
シャルロット姫誕生の三日後には城のテラスで国民へのお披露目を行なったが、姫のあまりの可愛さに一目見ようと大広場に集まった大勢の観衆が目と心を奪われた。
しかし顔では微笑んでいても姫を抱いて国民に手を振っている王と王妃は内心非常に後ろめたかった。
それもその筈、モイライとの契約により男の子であるシャルロット王子の性別を偽って姫として育てなければならなくなったのだ。
「ああっ…もしかしたら俺はとんでもない事をしているんじゃなかろうか…」
城内の控室に戻るなりシャルル王は頭を抱えだした。
国民を謀る事に心を痛めるのは国を統べる者としては当然の事であった。
「しっかりしてください!!あなたがそんな事でどうしますか!!もうあの子を姫として発表してしまったからには後戻りできないんですのよ?!覚悟を決めて下さい!!」
王に対して王妃のエリザベートはすっかり覚悟が完了しているのか、夫である王を叱咤激励していた。
モイライ相手の時もそうだったがこの王妃、相当芯がしっかりしていて肝が据わっている様だ。
実はこの王夫婦は王の方が入り婿なのだ。
シャルル王は当時姫であったエリザベートの護衛を仰せつかった上級貴族出の騎士であった。だから今の名前は世襲によるもので本名ではない。
もしシャルロットが普通に王子として生活できていたとしたらシャルル・ド・エターニア4世と名付けられていたはずだ。
「…分かったよ…弱気な事を言って済まなかった…」
「いいのよ…私も少し言い過ぎました…私達は言わば共犯なんですから、あなた一人が気に病む必要は無いわ…」
シャルルの腕に優しく抱き付くエリザベート。
「あなたも十六年だけ我慢してねシャルロット…」
ゆりかごの中ですやすやと寝息を立てるシャルロットにも話し掛ける。
しかしそんな気遣いは全くの不要であった。
最初は当然女物の服を親から着せられていた訳だが、成長するにつれシャルロットは自ら進んで可愛い物を選んで身に付ける様になっていった。
どうやらすっかり自分の事を女の子だと自覚してしまっている様子。
もちろんそうなる様に仕向けてはいたのだが、今の所自分の性別に疑問を抱いたりはしていない様である。
そうこうしてシャルロット姫(王子)が八歳になった在る日…。
「父上…お呼びでしょうか?」
朝早く、立派な屋敷内、大きな木製の扉を開け書斎に入って来たのは青い服を着た少年…少し遅れて赤いワンピースを着た少女が無言でついて来る。
「よく来たなハインツ…そしてグロリア…まあそこに掛けなさい」
出迎えたのは髭の紳士、サザーランド伯爵だ。
二人を接客用のソファに座らせ自らもテーブルを挟んだ向かい側の一人掛けソファに腰掛ける。
「二人に飲み物を…」
「畏まりました」
執事に指示を出したあとサザーランドはテーブルの上の葉巻に手を伸ばすが目の前の我が子達を見て手を引っ込めた。
さすがに子供の前で喫煙する訳にもいかず代わりに大きなため息を吐いた。
美しいティーカップに満たされた紅茶が二人の前に置かれたところで彼はおもむろに話を切り出した。
「今日はお前たちにある仕事を頼もうと思ってな…」
「お仕事ですか!?父上からお仕事を振って頂けるなんてとても嬉しいです!!」
両手の拳を握りしめ喜びを露わにするハインツ。
彼の将来の夢はエターニア王家に仕える騎士になる事だ。
現在、齢十一にして槍の扱いは既に十三~十六歳の少年と互角に渡り合えるほどの腕前で日々の鍛錬に余念がない。
そして今、シャルル国王からの信頼も厚い実父からの仕事の依頼ともなれば俄然テンションが上がるというもの。
「それで一体どんなお仕事なのですか?もしや兼ねてから僕が希望していた騎士見習いに推薦して頂けたのでしょうか?」
ソファから腰を浮かせ期待の籠った眼差しで父を見つめる。
「いや、そうではない…ハインツ、グロリア、お前達には今日からシャルロット姫の世話役をやってもらいたい…」
「シャルロット姫の…世話役ですか?」
帰って来た言葉は予想していたものとは大きく違っていた。
上がっていたテンションは一気に下がり、意気消沈してソファに腰を落とす。
「世話役と言っても何から何まで姫の身の回りの世話をする必要は無い…それは王宮の侍女たちに任せればよいからな…だからお前たちには姫の話し相手や遊び相手を務めてもらいたいのだ」
「…遊び相手…」
ハインツは力なくつぶやく…折角の仕事であるが彼はもっと自分の槍の腕前を生かせる仕事に就きたかったのだ。
あからさまな息子の落ち込み様にサザーランドはやれやれと首をすくめる。
「そう落ち込むな…あの可愛らしいシャルロット姫とお近づきになれるのだぞ?
この話を聞いたらどれだけの者がお前をうらやむと思う?
実際、八歳になったシャルロット姫の国民人気は相当なもので、その愛らしいお人形の様な容姿を見た物は老若男女問わず、天にも舞い上がる程の夢心地に卒倒する者多数だというのだ。
これは姫の誕生時にモイライが一人、ベルダンデから送られた『現在』の祝福の効果もあるのは当然だが、それを抜きにしても母である王妃エリザベートを生き写しにした美貌がなせる業でもある。
それ程シャルロット姫はエリザベート王妃の幼少時と瓜二つであった。
しかし十一歳の少年はまだまだ色恋沙汰には疎く、どちらかと言うと女の子と会話するより男の子同士で野山を駆けまわって剣に見立てた木の棒を振り回して騎士ごっこをしているのが楽しいのだ。
「本当に嫌ならこの話は断ろうと思うが…」
「いえ…お仕事を断るつもりはありません…受けさせていただきます」
歯切れが悪いながらも仕事を受けることにしたハインツ。
「グロリア…お前も同世代の友達が出来るんだ…それも姫様なら言う事無いじゃないか?」
「………」
何も言わず隣に座っている兄、ハインツにくっつきギュッと腕にしがみ付くグロリア。
グロリアはこの時八歳…丁度シャルロットと同い年だった。
ただ彼女は非常に引っ込み思案な性格で普段は自宅であるサザーランド邸に引き籠っていた。
当然友達もいない、ハインツと一緒でなければ外に出る事も出来ないという。
このままではグロリアの将来が心配だ…何とかして人に慣れさせなければ…
以前、他の貴族の令嬢たちに引き合わせようとしたのだがグロリアが猛反発した事があったのだ。
その時は彼女は部屋から3日間出て来なかった。
サザーランド伯爵は王家からこの話が回って来た時にこれは好機だと思った。
きっとシャルロット姫ならばグロリアのこの頑なな心を融かしてくれるのではないかと期待していた。
「私も以前何度かお目に掛かった事があるがシャルロット様はとてもお優しい方だよ…それにグロリアが断るとお父さんはお仕事を無くしてしまうかもしれないな~」
グロリアをその気にさせるため少しだけ脅すような物言いをしたサザーランド。
勿論本心から言っているのではない…なるべくならこの機会を潰したくはないのだ。
「…やだ…」
「うん?」
「お父様が…お仕事無くしちゃうのは…嫌だ…」
グロリアがやっと重い口を開いた。
集中しないと聞き取れないほどのか細い声だがしっかりと意志表示した。
「お~そうかそうか!!グロリア、何事も経験だよ…一度シャルロット様に会っておいで」
「…はい…」
テーブル越しにグロリアの頭を優しくなでるサザーランド。
彼女の固い表情が少しだけ和らいだ。
「ではすぐに朝食を食べて支度をしなさい…」
「えっ!?もしかしてそれは今日からなのですか!?」
「そうだ、突然で済まないがこのことを頼まれたのも今朝だったんでな…「」
「そんな…!!」
突然の事で戸惑うハインツ。
しかし依頼を受けてしまったからにはしっかり職務を全うしなければ家名に泥を塗りかねない。
「ここで待っているから準備が出来たらまた来なさい」
「はい!!それでは失礼します父上!!」
ハインツはグロリアの手を引き小走りで食堂に向かった。