第8話 メジリヒトは目を白黒させた
インターネット上で公開された姫とデモ隊の映像は、十字国終身総統メジリヒトも目にすることになった。
ただし、昼前になってからである。
彼は夜型の人間であった。朝起こされるのをひどく嫌っていた。
独裁政権を手に入れた当初であれば、権力を失うことを恐れ、どんな些細な問題であっても叩き起こすようにと命じていたが、政権が十年以上も続くと、そういった緊張感はなくなっていた。
緊急時だからと彼を眠りから強制的に覚醒させた閣僚は、その日のうちに処分された。別の側近は、後日、別の緊急用件が発生した際、メジリヒトを起こさずに独断で問題を処理した。彼は、総統の判断を仰がなかった罪で処分された。
こうして側近達は、独裁者が寝ている間は問題を放置するようになったのである。
映像を見たメジリヒトは文字通り目を丸くした。
「なんだこれは!」
メジリヒトは叫んだ。
映像をもう一度見直す。内容は何も変わっていなかった。
姫がなぜここにという疑問、諸外国からの非難を気にして姫を殺さなかったことへの後悔、たった一日で事態が急変してしまった事への驚き、デモ隊はすぐそこまで来ていると言う側近の報告に対する狼狽と恐怖、いろいろな感情が混ざり合い、メジリヒトは奇妙な顔を作ったが、すぐに側近に命じた。
「警察に止めさせろ!」
命じながらも、奇妙なものを彼は感じていた。
デモ行進の出発点のイブセからメジリヒトのいる交わり都市の総統府まで十五キロはある。
素人デモ集団の足なら、どんなに早くとも四時間はかかるだろう。
それなのになぜ「すぐそこまで来ている」という状況になるまで、警察は止めなかったのか?
特別警察であれば任意に発砲する許可も与えてある。
丸腰のデモ隊など軽く追い払えるではないか。
「それが……」
側近は言いよどんだ。
「なんだ、早く言え!」
メジリヒトが命じると、側近は汗を拭きながら答えた。
「軍がデモ隊に味方しているのです……」
◇
メジリヒトは街角に設置した監視カメラの映像を見ていた。
デモ集団と併走するように、軍服を着て銃を持った男たちが二百名ほど、隊列を組んで行進している。その横には戦車が二十両走っている。頭上には戦闘ヘリまで八機飛んでいる。
軍がデモに同行しているのだ。
これが軍全体の総意であるかはわからないが、歩兵隊と戦車隊とヘリ隊は管轄が違っているため、少なくとも三つの部署が、最低でも中隊規模で連携しているのは確かである。
独裁者に反旗を翻したのは、十字国中央部を管轄とする中央軍であった。
軍はメジリヒト政権成立以来、特別警察から露骨な監視をつけられていた。特別警察は監視するだけでなく、軍のやり方まであれこれ指図してきて、ことあるごとに「お前達は警察の下なのだぞ」とアピールした。
軍の不満はたまっていた。
いっそのことクーデターでも起こすかという考えもあったが、十字国民は正当性を重んじる国民性を持っていた。
メジリヒトが独裁者でいられる理由の一つは、国王夫妻を消し去り、メジリヒトを選挙で選んだのは自分たちだからという負い目が国民にあるからであった。
軍が武力で政府転覆をしたところで、民衆は支持しないだろう。
加えて、メジリヒトはクーデターを恐れて、十字国軍を五つに分け、互いに憎しみ合うように煽った。仮に中央軍が政府を抑えたとしても、他の四つの軍が敵対するに違いない。そうなると血で血を洗う内乱状態となり、外国の介入すら招きかねない。
であれば、現状維持の方がマシである。
そこへ、今回の姫デモである。
中央軍上層部は、姫に味方することを決意した。
姫ならば正当性がある。
軍が味方したことをはっきり示すことで名誉を回復し、うっとうしい特別警察を排除し、かつての立場を取り戻そうと考えていた。
取り急ぎ即応出来る中隊規模の部隊をデモに同行させる。
追って増援を出す予定である。
メジリヒトは目を白黒させた。
それから裏切り者どもめ裏切り者どもめ、と憎々しげにつぶやき、机だのインテリアだのモニタだのに八つ当たりをした。
側近に八つ当たりをしなかったのは、もはや彼らが今までのように無抵抗で殴られてくれる保証がないことを理解していたからかもしれない。
窓の外からヘリの音がかすかに聞こえてきた。
デモ隊がまもなくここに殺到してくることは間違いなかった。
メジリヒトはもはやどうにもならないことを悟った。
メジリヒトがあっさりと諦めたのは、彼が世の中の仕組みをこう理解しているからだった。
「人数が多い方が勝つ」
彼は世の中をただこれだけのものだと見ていた。
ただし、人数と言っても、まとまっていなければならない。共通の目的を持ち、実際に行動を起こす者達でなければならない。
集団において指導者が重要だと言われているのは、指導者というのは「この人の示す目的なら、従ってもいい」「この人となら行動してもよい」と思わせることで、人々に共通の目的と行動を与えられるからだ。
そういう意味では、権力機構を抑え、特別警察を抑え、その利権と暴力に積極的に従う大勢の子分達を抑え、彼らに自分たちの利権維持のために日々がんばるという目的と行動を与えているメジリヒトは、十字国の最大勢力であった。
十字国民全体で見れば、その人数は決して圧倒的な多数というわけではなかったが、独裁者に対して「仕方ない」となかば諦めていて積極的に行動しようとしない大衆など、メジリヒトからしてみれば人数になど含まれていない。
ゆえに、これまではやりたい放題だった。
しかし、今、姫が帰ってきた。
大衆はあっという間に、彼女の元に集まった。
そうして「メジリヒトを倒す」という統一の目的を掲げている。積極的に行動している。
たった数時間で十万を超える人数が集まった。軍も加えれば、より多い。今も膨らみつつある。
すぐに動ける人数、という意味では既に負けている。今回を乗り切ったとしても、次はより多い人数でやってくる。
銃の恐怖で、人数を霧散させてやろうという計画も、軍が味方したことで崩れてしまった。
勝ち目はない。
メジリヒトはそう見ていた。
無論、結果的に、どうにかできてしまうかもしれない。
たとえば、姫を狙撃して射殺してしまえば、デモ隊はバラバラになり、軍も正当性を失うのではないか。あるいは、特別警察をデモ隊に突撃させる。案外、軍ははったりで、あっさり引いてしまうかもしれない。あるいは……。
そこまで考えて、メジリヒトはそれ以上思考を巡らせるのをやめた。
いずれの案にしても、成功確率が決して高いわけではない以上、牢屋に入れられて裁判にかけられるかもしれないリスクを冒したくはなかった。
それよりも豊かで贅沢な暮らしを維持したかったのである。
彼は非常時に備えてまとめてある財産を取り出すと、側近達と共にヘリで総統官邸を抜け出し、郊外に用意してある隠れ家に逃げ込んだ。さらに、そこからプライベートジェット機を飛ばし、ツテのある外国へと亡命した。
独裁政権はここに倒れた。
革命が一日で終わる例は歴史上しばしばある。その例がまたひとつ加わった。
姫の率いるデモ隊が総統官邸に突入したのは、メジリヒトが脱出してからわずか一時間後のことであった。
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また明日投稿します。