第7話 全員前へ進め
「貴様ら、何をやっている!」
特別警察の制服を着た男たちが五人、ギロリとにらみつける表情で、姫とアコビトを囲む群衆に近付いてきた。
大通りで何百人という群衆が集まり、騒ぎ声を上げている。気のせいかもしれないが、姫という声も何度か聞こえてくる。
何事かと思ったのである。
姫の決断は早かった。
群衆は、今や明瞭なまでにメジリヒト打倒を叫んでいる。
自分が何を期待されているのか、良く理解していた。
アコビトを抱えて、道端にある直方体の箱のような形状をした小型変電設備の上に、背の高い姿をひらりと優美に登らせると「全員かかれ!」と叫ぶ。
よく通る声だった。
声が通り過ぎた後も、頭の中で凜と何度も響き渡るような、そんな声だった。
「全員前へ進め! 一人残らず進むんだ!」
と姫は続けた。
絵になるほど綺麗にビシッと腕を伸ばし、指を前に突きつけている。
もとより群衆を熱狂が支配していた。
熱狂の中心には姫がいた。
その姫が、日頃から横暴な態度で憎まれている警官に対し、かかれと言っている。全員で前に進めと言っている。自分達が待ち望んでいた英雄がそう言っている。
自然と足が動いた。
警官達がわずか五人で群衆に立ち向かったのは、自分たちは正当な国家権力の裏付けを持つ上に統率された集団であるのに対し、群衆は権力も統率もない烏合の衆だと考えたからである。
ヒツジの群れに襲いかかる牧羊犬の心境であった。
ところが、群衆には、正当性という点ではメジリヒト以上である姫がいた。
なおかつその権威が群衆に強い口調で命令をしていた。
集団を統率する上で難しいのは「誰もが納得する、この人の言うことを聞く理由」を持つ指導者が稀少なことである。
姫にはその理由があった。
王位継承権を持ち、自分たちが間違って殺してしまった王の娘であり、つまりは大きな借りがあり、命令に従ってしまうのが当然と思ってしまうような威風堂々とした雰囲気を持ち、さらには誰も逆らえなかった特別警察に血を流しがらも勇気を持って最初の一撃を加えた人物である。
姫の命令は自然と受け入れられた。四十代後半ほどの髪の逆立った赤ら顔の男が「うおおお!」と声をあげながら真っ先に動き、他の群衆もその後に続いた。
大声を上げながら警官等を取り囲み、その圧力で五人を押しつぶした。倒れて気を失った警官達に対し、群衆の一部がこれまでの恨みとばかりに暴行を加える。
「そんな小者に構うな!」
姫は群衆を一喝した。
「我らが目標はメジリヒトだ。目指すは総統官邸だ。独裁者を倒すのだ!」
そう言って長い黒髪を風でたなびかせながら、天を高く指さす。
官邸の方角を指さなかったのは、どちらにあるかわからなかったからに違いないが、その表情は自信満々であり、気づく者は誰もいなかった。
姫の行動は思いつきに近かった。深謀遠慮などまるでない。
彼女はただちょっと外の空気が吸いたくて散歩に出ただけである。
それが、勢いに任せて子供を救ったら、群衆から熱狂的な姫コールである。メジリヒト打倒コールである。
(なんでみなさん、こんな叫び声を上げているのですか!)
と姫は困惑した。
(どうしましょう、どうしましょう……)
と混乱した。
(このままわたしが何かしたら、この人たちを巻き込んでしまうのでしょうか)
と心配した。
(でもでも、みなさん大人ですし、こんな子供が何か言ったところで、冷静に自分の責任で判断しますよね)
とも考えた。
そうして周りを見た。
人々の明確なまでに期待のこもった視線があった。目どころか、言葉にすらしている。メジリヒトを倒すことを姫に期待する声を上げている。
皆、姫より大人である。自らを未熟と思っている姫からすれば、経験豊富に見える。
そんな彼らが口をそろえて一様にメジリヒト打倒を期待しているのである。
期待、期待、それから期待。
そうして気がつくと天高く指さし「独裁者を倒すのだ!」と宣言していたのである。
姫は決して気が強いわけではない。
けれども、そんな人間でも確固とした役割さえ与えられれば、驚くほど勇敢に動く。
姫に与えられているのは指導者の役割である。
彼女は今、その役割通りに、先頭に立ってデモを率いている。偉そうに振る舞う姿が絵になるほど似合っている。
指導者らしい言動を取るのに苦労はしない。
幼少の頃より、威厳ある王族を演じてきた。自然と堂々とした振る舞いが出てくる。
どころか、現状に合わせて、日頃の冷然さを抑え、情熱とエネルギーを前面に出しさえしている。
そんな姫の姿に応えて、人数はどんどんと増えていく。
「姫が帰ってきたぞ!」「メジリヒトを倒しに行くぞ!」という声に、日頃から不満に思っている民衆が行進に加わる。
また、姫が特別警察を倒す様子や、デモを率いて行進する様子は、それぞれ群衆の何人かによって撮影されており、インターネット上に映像として公開されていた。
映像は一時間もしないうちに広まった。通勤通学途中の人の何パーセントかは、会社や学校へ行くのを放り出し、デモに加わった。
行き先は総統官邸であり、つまりは首都である。とりわけ通勤で向かう人が多い場所であり、そのうちの一パーセントが行進に加わるだけでも数万人規模である。実際にはその数倍の人数が加入した。
「さあ、行くぞ!」
姫は声を張り上げた。威風あふれる力強い声である。
群衆は「おお!」と叫んで、それに応える。
アコビトは若い使用人に肩車をされ、姫に同行していた。姫についていきたいと言いながらも、子供の足では無理だと理解していて泣きそうなアコビトに対し、「私が肩車します。責任を持ってお守りしますから」と若い使用人が気を利かせてくれたのである。
「臣民諸君! メジリヒト打倒は近いぞ!」
姫はますます堂々とした声を張り上げ、大衆はそれに応えるように一層活気づいていくのであった。
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また明日投稿します。