第6話 アコビト
町の大通りに出てすぐのことである。
姫は、自身の生涯に大きな影響を与える出会いをすることになる。
アコビトとの出会いである。
王室復活団が姫を招いたのは、十字国中央部にあるイブセという港湾都市であった。
首都に隣接しており、その気になれば歩いて行ける。
十字国は十字型の国土の真ん中にある中央部と、十字の四つの棒を指す北部・南部・東部・西部とに分かれていた。正しくは、例えば北部はタキニグ地方というように独自の名が付いているのだが、さほど重要ではないため、この先も、単に北部だの南部だので済ます。
首都は十字の交わるところにある。名を交わり都市といった。
イブセは交わり都市にほど近い位置にある大都市だった。
大きな都市であるだけに人通りも多く、大通りに出た姫はたくさんの人を目にすることになる。
その中に、特別警察に暴行を受けている八歳くらいの女の子がいた。
もし姫がここでその女の子を目にすることがなければ、顔が知られている姫のことである。ほどなく大騒ぎになっていたに違いない。
女の子を目にしても、警官から暴行を受けていなければ、注意して見ることもなかったかもしれない。
だが、姫は女の子を見た。
十字国民にとっては見慣れた特別警察による暴行も、姫にとっては初めて目にする光景である。
特別警察の制服を着た男が一人、足を振り上げて、女の子をどんと地面に突き倒した。女の子の持っていた花が地面に散らばる。
彼女は花売りだった。
特別警察によって不当逮捕された市民が増大するにつれ、事実上の孤児もまた増え、彼ら彼女らは孤児院の屋根の下で眠りながらも、貧しい孤児院経営を助けるために路上で商売をすることが多かった。
女の子もその一人であろう。
その顔は、子供であるにもかかわらず疲れていて、どうしていいのかわからないような困った表情をしていた。
「ジオちゃん……?」
姫は思わず口にしていた。
そう声に出してしまうほど、女の子は次王女に似ていた。
顔立ちそのものは、さほど似ていない。
けれども、表情、背格好、立ち振る舞いといった諸々の要素が醸し出す空気がよく似ていた。
印象が似ている、と言ってもよい。汚れてはいるが、全体としてふんわりした雰囲気を持つ。
無論、別人である。次王女は五年も前に死去している。生きていたら、もっと大きくなっているはずだ。
姫はしばしの間、呆然とし、それから、はっとした。
警官の男が、腰に下げた警棒を、ゆっくりとつかんだのである。
よく見るとその顔は赤く、朝から酔っているようである。
女の子は「あっ」と口を開けていた。
警官が自分を警棒で殴ろうとしていることを理解したのか、とっさに腕を上げて頭を守ろうとする。
細くて小さな腕だった。簡単に折れそうだった。
姫はすぐに行動した。
自分のせいで死なせてしまったと思っている次王女、その次王女そっくりの女の子が、今、命の危機に瀕している。
「決めたぞ!」
と、この時、姫は叫んだが、実のところ、これは決断というよりも反射的に身体が動いたのだろう。
「この姫が相手だ!」
凜と澄み渡る声でそう張り上げると、若い使用人があっけに取られているのを横目に、女の子のもとへ駆けだした。
警官は動きを一瞬止めたが、それから先は素早かった。
姫を一目見て、何者か気づいたのだろう。酔いが覚めたようにはっとして、銃を取り出すといきなり発砲した。
姫を見かけ次第射殺しろと命令されていたのかもしれないし、混乱のあまり思わぬ行動を取ってしまったのかもしれない。
弾丸は姫の肩をかすめて血を流させたが、姫の動きは止まらなかった。
銃を構えた警官の腕をつかむと、勢いよく投げ飛ばした。
姫は体術を身につけていた。亡命の身では必須であろうと、その道の専門家に一通り仕込まれたのである。
それが今、効果を発揮した。
地面にたたきつけられた警官は、完全に意識を失ってしまった。
「君、大丈夫か?」
姫は女の子と顔の高さが同じになるように腰を下ろすと、そうたずねた。
次王女に似た子供が相手だからか、興奮しているからか、表情から冷然さが薄れている。
見ると、突き倒された時に両手をすりむいただけで、他は特にケガらしいケガは見当たらない。
姫はほっと一息ついた。
女の子はというと、姫の肩から血が流れているのを見て、「それ……」と指さしたが、姫は「なあに、たいしたことはない」と言って、傷ついた肩を白いきれいな手でぽんぽん叩いた。
姫の表情が痛みで一瞬歪むが、すぐに、にこりと笑う。
なんとなく、この子相手なら、二人きりになれば、次王女と同じように素で話せると思った。威厳ある王族の振る舞いから解放されると思った。
「んと……お姉ちゃん、誰……?」
女の子は首を傾けて尋ねた。
次王女に似て、ゆっくりふんわりしたしゃべり方をする。
「わたしか? わたしは姫だ」
「お姫様?」
「え、ああ、いや、姫じゃないというか、それは秘密というか」
女の子はまた首を傾ける。きょとんとしている。どういうこと、どういうこと、と不思議がっている顔をしている。
さっきまで疲れた様子だったのに、姫への好奇心か、助けられたことへの興奮か、顔に生気が戻り始めている。
「……いや、もういいか。うむ。わたしは姫だ」
「お姫様」
女の子は姫という語が気に入ったのか、何度も繰り返した。
繰り返しながらぴょんぴょん跳ねた。
嬉しくなったのか、少し笑顔になった。
「うむ。君が正直何をそんなに喜んでいるのかまるで理解できないが、しかし喜ばれると嬉しいものだな。ありがとう」
姫はそう言って女の子の名を聞く。
アコビト・ルリズムと答えた。
「そうか、アコビトか」
いい響きだ、好きになった、と姫が言うと、アコビトは少し照れたように顔を赤くした。
姫も内心、ああ、わたしのバカバカ、何を言っているのですか、と自身の台詞に後悔していた。
だが、アコビトを助けた事への後悔はまるでなかった。
◇
一方、群衆は喝采をあげていた。
熱狂の歓声と言ってもよい。
大都市の大通りで、朝の通勤通学時間ということもあり、人通りが多かった。
そんな中、特別警察が花売りの貧しい女の子に暴行を加えていた。
理由は難癖か八つ当たりか酔った勢いといったところだろう。
それ自体は独裁時代になってからは、よくある光景である。珍しくもない。
しかし、そこに「わたしは姫だ!」と叫ぶ少女がやってきて、警官を気持ちのよいくらい鮮やかにぶん投げてしまった。
その顔は、インターネットでしばしば見かける姫そのものだった。
美しい顔立ちの姫が、銃にもひるまず、血を流しながらも横暴な特別警察に立ち向かい、かわいそうな子供を救う。
絵になるし、スカッとするし、何よりそれは「弱者を守るために、独裁政権を象徴する特別警察を、姫が倒した」という、まるでメジリヒト政権打倒を予期させるかのような光景であった。
まさに民衆が待ち望んだ英雄誕生の情景そのものである。
喝采を挙げるには十分な出来事だった。
初めは近くにいた数十人が、わあっと叫び声を上げる。
何事かと思って、周りの人間が目を見張る。
「姫! 姫!」という声が聞こえる。
普段は群衆が集まったくらいでは横目でちらりと見るだけで通り過ぎるような人も、姫という言葉とその異様な熱気には無視しえないものを感じて近付いてくる。
近付くと「姫が帰ってきた!」という声がする。「特別警察をぶっ飛ばした!」という声もする。「姫がメジリヒトを倒しに帰ってきた!」という叫び声も聞こえる。
それを聞いてますます人が集まる。
群衆は今や何百人となり、姫とアコビトを取り囲んでいた。
場を包み込む空気は、かつての国王夫妻殺害事件に対する申し訳なさと、よく帰ってきてくれたという歓迎ムード、そして圧倒的なまでの期待に覆われていた。
何の期待かは言うまでもない。
ついにはメジリヒト打倒コールが巻き起こる。
姫は群衆を見て、アコビトを見て、それからまた群衆を見た。
何か言おうと口を開きかけた。
その時である。
怒声が聞こえた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は明日投稿します。