第49話 あっけないものだった
今回登場する『筆者』は、この小説の投稿者の【からくらり】ではなく、作中世界の人物です(つまり実在の人物ではなく、架空の人物です)。
この小説に実在の人物は一切登場しません。
本書は「十字国を滅亡に導いた姫首相の決断」を描いたものである。
すでに最後の決断はなされた。
あとは、決断の結果と、いくばくかのことを書くばかりである。
決断の結果、十字国は滅亡の道をたどることが決した。
理由はすでに述べた。
外国のテレビ番組で、十字国出身の技術者が告白した通りである。
数学を禁止したことで、機械文明の土台が崩れた。機械文明がなければ一億人を食べさせるだけの生産活動ができない。
これを解決するには共感政策をやめるしかない。
しかし、姫首相は、最後までみんなで共感し合うことを決断した。
待っているのは文明の崩壊である。
工場はやがて全て停止するだろう。
食糧を自給しようにも、化学肥料もトラクターももう作れない。食料を運ぶための車も船も作れない。
海外から食糧を輸入しようにも、タダでは買えない。外貨が必要であり、十字国はその外貨を、主に工場の生産物を輸出することで得てきた。それも、もうできない。
電気・水道・ガスといったライフラインも、機械で維持されている以上、必然的に止まるだろう。
国中が寒く、暗くなり、飲み水すら事欠くようになるだろう。
外国からの支援はなかった。
できなかったと言った方がいい。
十字国は島国であり、外海からの侵略に備えて無人の自動攻撃システムがある。
このシステムが、複数人の内部技術者の手によって改ざんされた。十字国に出入りするあらゆる船舶、航空機に対して、無差別に攻撃するように書き換えられたのである。つまり誰も、十字国に入ることも、十字国から出ることもできなくなったのである。
共感認定証を取得できなかったことで自殺に追い込まれた妻や子がいる、という共通点を、改ざんした技術者たちは持っていた。その復讐と言われている。
元に戻せる者は誰もいなかった。
その頃には、システムを修復する方法も停止する方法も、わかる技術者は皆、外国に追放されるか、自主的に外国に避難するか、行方をくらますかしていたからだ。
もしかすると、わかっていた者がいたかもしれない。そして、下手なことを言って「共感できないことを言うな!」という反応が返ってきたら、何をされるかわからないと思い、何も言えなかったのかもしれない。
いずれにせよ、システム修復に手を挙げる者は、一人もいなかった。
修復などせず、攻撃システムの管理コンピュータを斧でたたき壊せばよかろうと言い、その通りに実践した者もいた。
精悍な顔と力強い肉体を持つその男が、大きな斧を持って、十字国を危険にさらしている訳のわからない機械に立ち向かう姿は、実にわかりやすく、応援しがいのあるものであった。
結果、何が起きたかと言えば、斧で破壊した瞬間、弾道弾が発射され、小さな都市がひとつ破壊された。続いて、同じことをもう一度やったら今度は大都市を攻撃するという電子メッセージが流れた。弾道弾発射装置や無人原子力潜水艦など、攻撃装置そのものの破壊を試みても同様の結果になるという追記の警告も出た。最後に、管理コンピュータは我々がこっそりあちこちに分散させておいたから、一つを破壊しても無駄だと宣言された。
つまるところ、失敗したのである。
食糧供給もライフラインも止まり、海外からの支援も得られない。
脱出しようとしても攻撃システムで叩き落とされる。
十字国がそのような状態になったのは、姫首相がバルコニーで演説してからおよそ一年後のことだった。
十字国民に残された道は、餓死するか、機械文明以前の方法で自給自足するか、血みどろの奪い合いをするか、泳いで外国に渡るか、である。多くは命を落とした。
本書に登場した政府の面々の多くも、ある者は暴徒に襲われ、ある者は絶望して自ら命を絶ち、ある者は見捨てられてのたれ死んだ。
そうして九千万人が死んだ。わずか数年の間のことである。
姫首相の最期はあっけないものだった。
食糧難のとりわけ著しい町をおとずれ、こんな時こそみんなで共感し合うべきだと訴えていたところを、暴徒に刃物で刺されたのである。
劇的でも英雄的でも何でもない、あえない死であった。
「期待していたのに! あなたに期待していたのに!」
暴徒はこう叫んでいたという。
姫首相の最期の言葉は伝わっていない。
それから……。
……彼女の最期について、これ以上、何か語らなければならないだろうか?
筆者は実のところ、姫首相のことが好きである。十九年前、初めてその姿を見た時から好きだった。今でも好きである。こんな本を書いているのも、それゆえである。
だから、どうか、彼女の死の描写については、ここで筆を置くことを許していただきたい。
四年後、十字国の復興が始まった。
自動攻撃システムがようやく停止したのだ。
復興において、主導的な役割を果たしたのはギッカジョーだった。
彼は滅亡前、多くの「共感されない」十字国民を海外に移住させることにより、結果としてたくさんの命を救うことになった。少なくとも移住した者たちは、救われたと信じている。あのまま十字国にいたらどんな目に合っていたかわからないからだ。
彼らは、ギッカジョーに恩を感じている。恩人から、故郷の復興を手伝ってくれないかと言われれば、大勢が駆けつける。そんな彼らを率いて、大量の物資と資金と共に、ギッカジョーは十字国に乗り込んだ。
それから六年の歳月が過ぎた。
十字国は順調に復興を続けている。
食料が行き渡るようになった。治安もだいぶ良くなった。登山や海水浴など、久しく行われていなかったレジャー活動も、このところは行われるようになったという。あと何年かすれば、かろうじて先進国並みと言える程度の暮らしを送れるくらいには復興するだろう。
国民はこの実業家の男を大々的に支持した。彼が町を訪れれば、大勢の人々が歓声を上げた。
ギッカジョーは、新生十字国の初代大統領に就任した。今も精力的に活動している。
ある時、側近の一人が大統領にこう尋ねた。
二十年近く前、ギッカジョーが姫首相の共感演説を聞いた時のことだ。「わたしはあなたに共感している!」という姫首相の熱のこもった言葉に、ギッカジョーの部下たちは感動し、十字国に帰ろうと提案した。しかし、ギッカジョーは、ただ一人「こいつはやべえ」と言ってそれを却下したのである。まるで十字国の末路がわかっていたかのようだが、どうしてこんなことを言ったのか?
ギッカジョーは、にやりと笑うとこう答えた。
「なあに、昔から俺は、何を考えているのかわからない、共感できない、と言われてきたからな。仲間外れになるのが嫌だったのさ」
どこまで本気かはわからない。
アコビトは今もまだ生きている。
筆者はアコビトに会ったことはない。ただパイプはある。そのおかげで、彼女のことは誰よりも詳しいつもりだ。
けれども、その内面・内心についてはよくわからない。いったい何を考えて彼女はこんなことをしたのだろう、と思うことが多々ある。バカなんじゃないか、と思うこともある。
十数年前もそうである。
十字国が品不足に陥っていた時のことだ。
(姫ちゃんが大変だ)
とアコビトは思った。
(今すぐ行かなきゃ)
と思った。
そうして、ほとんど衝動に近い勢いで空港に行こうとしていたところを、彼女の後見人である美術学校の理事長に見つかった。
理事長は柔和な顔をした六十歳の女性であったが、必要とあれば毅然とした態度も辞さない人物であった。彼女には、かつて正義感に駆られて紛争地帯に行き、命を落とした教え子がいた。生徒を守るためだったら、どんな手段でも使うつもりでいた。
理事長は十字国の現状を非常に危険なものと見なしていた。行くなんてとんでもないと思っていた。アコビトの身が危ないと考えていた。自殺行為だと思っていた。
一方で彼女が本気であることも察していた。紛争地帯に行った教え子と同じ目をしていたからだ。
それゆえ、理事長はアコビトをだまして、彼女をしばらくの間、監禁状態に置いたのである。
後になって思えば、ともかくもまずは姫首相に電話をすればよかったのだとアコビトは思うのだが、この時は興奮と焦りのあまり、そこまで頭が回らなかった。気づいた時には電話のバッテリーも切れていた。やがて監禁は解かれたが、すでに十字国ではミサイル防衛システムが作動しており、どうにもならなくなっていた。
もし、この時、アコビトが姫首相に会っていたら、どうなっていたかはわからない。
姫首相の説得に成功し、共感政策を撤回させていたかもしれない。あるいは十字国の滅亡に巻き込まれ、命を落としていたかもしれない。
九千万人の命を救っていたかもしれないし、犠牲者を一人増やしただけかもしれない。
アコビト本人は、さてどう思っていたのか。
姫首相の訃報を聞いた後、長い間ふさぎ込んでいた彼女は、やがて立ち直ると、ただひたすらに絵画に没頭した。
それで、いくばくかの名声を得た。
十字国滅亡とのかかわりについては、当時子供であったがゆえに、責任がないものと見る者が多く、かえって彼女の経歴にミステリアスな華を添えてしまう始末だった。
それで彼女自身が幸せかと言えば、さて、どうだろう。
生涯において最も幸せであったのは、姫首相と過ごした五年間だと本人が答えるのは、間違いないだろうが。
この頃は何を考えてのことか、久方ぶりに祖国を訪れているようである。
十字国での取材中、アコビトの姿を見かけたという話を何度も聞いた。
良い意味での心境の変化に見えます、と言う人も幾人かいた。
筆者にはよくわからなかった。
ただ、そう見える人が何人もいるということは、覚えておこうと思った。
取材のおり、筆者は姫首相の墓を訪れた。
交わり都市の郊外に、木々の生い茂った静かな墓地がある。
姫首相の墓はそこにある。
姫首相が最期を迎えた頃、十字国では大勢が死んだ。いちいち一人一人の墓など作っていられなかったはずだ。
にもかかわらず、こうして誰かの手によって、姫首相はきちんと葬られている。
今日では、姫首相に対して向けられる目は厳しい。十字国滅亡の責任を問う声も数多く発せられている。
にもかかわらず、こうして今に至るまで墓は荒らされることなく、ていねいに手入れすらされている。
死者をいたわる十字国民の国民性と呼ぶべきものかもしれないし、あるいは別の何かの表れかもしれない。
筆者が訪れた時も、墓はきれいなものだった。
あいにくの曇り空で、日はとうに昇っている時刻だというのに辺りは薄暗かったが、それでも墓石が磨かれていることはわかる。
防水加工をした絵を一枚、筆者は墓にそなえた。生前の姫首相がアコビトと二人きりの時、ぐてーと床に寝そべりながら、楽しそうに笑っているところをとらえた絵である。
そうして、目を閉じ、祈りをささげる。
まぶたの裏に光を感じた。目を開ける。いつの間にか、雲の合間から太陽がのぞいている。
秋のやわらかな日差しが降り注ぎ、姫首相の笑顔をそっと照らした。
いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。
また書きます。