第47話 同じことを言っている
ジョセイヒの失踪から二ヶ月が過ぎた。
共感会議は事実上の休止となっていた。
中心人物であったジョセイヒがあからさまに不名誉な形で逃亡してしまったのである。
会議を開催してもどことなく気まずく、身が入らず、何も決まらなかった。
そんな中、とうとう首都の交わり都市で暴動が起きた。
この時期、品不足はいっそう深刻さを増していた。
国民は、食料品や生活必需品の欠乏にいら立ちを覚えていた。
生活できないというほどではない。無論、餓死者が出るほどでもない。
けれども不便で不愉快なのは変わりなかった。
近頃は以前にもまして、電気も水道も止まりがちである。
一連の問題を解決すべき政府はいったい何をしているのか、と国民は思う。
姫首相は任せてくれと言っている。それは信じたい。英雄然とした彼らの国家元首に対する信仰と信頼は、いまだに失われてはいない。
けれども、状況が一向に好転しないのも事実である。
姫首相の下の役人達が怠けているのかもしれない。予算を横取りして私腹を肥やしているのかもしれない。
噂によると、ジョセイヒとかいう共感会議員が金を持って逃げたという。やっぱりそうだ、間違いない。どうして姫首相の邪魔をするんだ。
怒りが腹の底からふつふつと湧いてくる。
こうした不満が尋常でないほどに溜まっていたのだろう。
ある週末の夜、一人の男が酒に酔った勢いで、首相官邸から十キロほど離れた路上の自動車に火をつけた。給油口をこじ開け、引火させる。車は勢いよく燃えた。
やがてボンという爆発音を立てると、パーツが飛び散り、その一つが近くにあったビルのガラスを割った。
区役所のビルであった。
そこを、日頃から政治に不満を持っているグループが、これまた酒に酔いながら、文句を言い合いつつ、通りかかった。
彼らはこの光景を見て、とうとう政府への暴力的な抗議活動が始まったものと勘違いした。
区役所の隣に、改築中の建物があった。物資不足のあおりで、工事の途中、会社が倒産してしまい、放置された材木やら鉄パイプやらが放置されていた。
彼らは手頃な得物を手に取ると、区役所のガラスを次々とたたき割った。
区役所の職員は、驚き、慌て、ある者は抗議し、ある者は裏口から逃げてしまったが、男たちはやめない。
現場は繁華街に近い。
通行人は多い。大勢が足を止める。何事かと思う。
中には、憂さ晴らしに自分も混ざってやろうと思う者もいる。たくさんいる。人数はふくれあがる。
ふくれあがると、今度は、これだけ大勢が暴れているなら自分もそうしよう、という考えを持つ者も出てくる。いっぱい出てくる。人数はますます膨張する。すでに二千人に達している。
武器を手にしている上、週末の繁華街近くであるためにアルコールが入っている者も多く、加えて大人数である。
皆、気が大きくなっている。
十字国民は我慢強い。
ただしそれは、周りの人間が我慢強くしている間だけである。ひとたび暴れ出すと、暴風雨となる。
彼らは暴風雨となった。
暴徒達は次の一歩を踏み出す。
区役所内のパソコンやら、戸棚やらを破壊し尽くすと、彼らの中から「政府に抗議に行くぞ!」という声が上がったのだ。
十キロばかり歩けば、国会があり、官庁街がある。首相官邸だってある。
今こそ我らが主張を訴える時だ、と言うのである。
我らが主張というのが何なのかはわからない。
誰も気にしない。
彼らはただ政府への批判を口にしながら街を歩く。
気が大きくなると、自分に従わない者が許せなくなる。
途中でなんとなく偉そうな雰囲気で気に入らない店を見かければ、正義の鉄槌と称して押し入って暴れ回る。商品を破壊し、あちこちにぶちまける。店員達はすぐに逃げたが、その場に踏みとどまっていたらどうなっていたか。
道行く人に向けて直接、暴動への参加を呼びかける。もっとも、彼らの主観では暴力でなく正当な抗議デモ運動である。インターネットを通じても、呼びかける。
ある者はこれまでのうっぷんを晴らすべく、ある者は面白そうだからと深く考えず、ある者は使命感に駆られて、ある者は単に酔った勢いで、暴動に参加する。
人数は雪だるま式に膨れ上がっていく。
そうして、一万人を超える暴徒達が、路上の自販機をたたき壊し、車に鉄パイプを振り下ろし、歓声を上げながら官庁街へと向かう。
暴動を知った姫首相は驚いた。
事態は一刻を争う。文字通り一分一秒を争う。
緊急閣議、というよりも集まれる者だけが集まった閣僚会議が開かれた。
「警察の対テロ用特殊部隊による鎮圧しかありませんな」
サカン補佐官が言うと、内務大臣も同意する。
「さよう、通常の警官達では即応性という点で問題があります。事は緊急です」
専門家ではない姫首相には何が問題なのかよくわからない。
けれども、閣僚達が皆、真剣な顔で特殊部隊の派遣に賛意を示していることは理解できる。
それでも内務大臣が、
「暴徒達に催涙弾を撃ち込みましょう」
と言った時は、心配になった。
「犠牲は出ないのか?」
という姫首相の問いに対し、内務大臣は正直に、
「わかりません。当たり所が悪ければあるいは」
と答えたからである。
これでいいのでしょうか、と姫首相はためらう。
だが、閣僚達から何を期待されているかはわかる。
「よかろう。内務大臣に任せる」
そう言って決断を下した。
結論から言えば、暴徒の鎮圧には成功した。
けれども犠牲者も出た。
撃ち込んだ催涙弾のうち一発が暴徒の頭部に、一発が別の暴徒の胸部を直撃したのだ。二人とも意識を失った。一人はその日のうちに、もう一人は翌日に息を引き取った。
他、大勢のけが人が出た。
暴徒達に対しては、同情の声もあれば、批判の声もあった。
同情する者は、批判の声を政府に向ける。内務大臣の血も涙もない無慈悲な決定に対する抗議の声である。
暴徒を批判する者は、代わりに政府を賞賛する。姫首相の毅然とした態度に対する賞賛の声である。
姫首相と内務大臣に対する、自分達のあからさまな態度の差は、十字国民にとって無意識のうちに取った自明の行為であり、疑問に思うところではなかった。
後世の人々は、なぜ十字国民がこの国難の状況において、それでも姫首相を支持するのかと不思議に思う。
だが、彼らは、苦しい時だからこそ、威厳と美しさを兼ね備えた英雄である国家元首にすがりたかったのだろう。
苦難の原因が姫首相にあるとは考えない。姫首相が別段何かまずいことをしたようには見えないからだ。それどころか、十字国全体を共感で満たしてくれた素晴らしい元首であるとさえ思っている。
原因はきっと他にあるに違いない。国民の多くはそう考えていた。
例えば、小売店やメーカーが何か悪いことをたくらんでいる、といった具合である。事実、そう考えて、スーパーの店員やメーカーの社員を捕まえて暴行まがいの行為が行われたケースも少なからずあったようである。
当の姫首相は自室で一人、悩んでいた。苦しんでいた。
暴徒に対する自分の決断が本当に正しかったのか、よくわからなかったのである。
(これでは、メジリヒトと同じではないですか)
そんな思いが姫首相の内にはある。自分に反対する民衆を暴力で鎮圧するのであれば、かの独裁者と変わりないではないか。そんな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
もっとも暴徒達は武器を持っていた。罪のない市民達に攻撃を加えていた。そういう意味では、彼らはつまるところ犯罪者であり、犯罪者をできるだけ素早く鎮圧するのは、国家として当然のことのようにも思われる。
そう思うとよくわからなくなる。わからなくなると不安になる。不安になると大切な人のことを考えたくなる。
そうして姫首相が思い浮かべたのは、アコビトのことであった。
もう三年以上、会っていない。
姫首相は、静かにそっと目を閉じた。
すると、最後に会った時のアコビトの姿が脳裏に浮かび上がった。別れた日のことである。
姫首相にとって辛い記憶であった。これまで思い出すことも拒絶してきた。
けれども、三年の歳月が経っていた。時が経てば、辛い記憶も客観視できる。
姫首相は今、はじめて、当時のことを落ち着いた気持ちで思い出すことができた。
――わたし、共感案は間違っていると思う。
記憶の中のアコビトは言う。
――共感政策も間違っていると思う。共感出来なくったっていいものはある。役に立つものもある。現に数学は、大勢の人が、心が動いた、と言ってくれる絵を生み出している。
姫首相は、ふと妙な引っかかりを覚えた。
何でしょうか、と頭の中の引っかかりをたどる。
たぐり寄せていく。
正体に気がついた。
ジョセイヒが逃亡した頃、「数学を廃止したことが、十字国の品不足の原因である」と主張する外国のテレビ番組をネット配信で見たことがある。十字国から出て行った技術者が、数学がなければ機械文明が滅んでみんな餓死するとかなんとか言っていた。
その番組の主張と、アコビトの言っていたことが似ているのである。
どちらも、数学は役に立つ、共感できなくても役に立つ、と言っているのである。
ただそれだけと言えば、ただそれだけのことである。
しかし、これまで気づかなかった。気づいてしまうと、気になって仕方がなかった。
(テレビとアコの言っていることは同じ)
心の中でつぶやく。
「テレビとアコの言っていることは同じ」
あえて口に出してみる。
不思議と抵抗はなかった。
そうして改めて問題のテレビ番組を見てみる。
当時は拒絶反応を起こした。
今は違う。「アコビトと同じことを言っているのですね」と思っている。
そう思うと、見る目が変わってくる。
理路整然と丁寧に語られているように見えてくる。なんとなく、正しいことを言っているのかもしれない、という気がしてくる。
無論、気がするというだけで「共感は無条件で素晴らしい」という何年も信じてきた考えを捨てることはできない。
せいぜい半信半疑である。
アコビトと同じことを言っているのだから、正しいと信じたい。けれども、今まで信じてきたこともそれはそれで間違っていない気がする。でも、テレビの言うことも筋が立っている気がする。とはいえ、共感案は十字国民も受け入れてくれた案で、それがまるっきり間違っているとは考えられない。けれども、でも、しかし……。
頭が混乱してくる。何が正しいのか間違っているのか、わからなくなってくる。
気を落ち着かせようと部屋を歩き回る。肩を二度三度と揺らす。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。最後の一呼吸分まで吐き出し終わり、それでも気は落ち着かず、なおも吐き出そうとする。息が苦しくなり、頭がぼんやりしてくる。
すると、こんな言葉が聞こえてきた。
――姫ちゃん。わからなくなったら、やってみるといいの。
アコビトの言葉だった。
――絵を描く時も、まず手を動かしてみるの。そうすれば、なんかいろいろ、わかるの。
やってみるといい。その言葉を頭の中で何度も反芻する。
「一度やってみるのもあり、でしょうか……」
姫首相はつぶやいた。
「期間限定で、今やっている共感政策を全部停止するんです。数学禁止も何もかも、試しにしばらくやめてみる。そうすれば、本当に正しいことが何なのか、わかるのではないでしょうか」
姫首相は首相権限のことを思い出していた。
十字国首相には憲法施行から十年間、つまりあと二年間、首相単独で振るうことのできる期間限定の強力な権限がいくつかある。法案提出権、法案と予算の拒否権、各省庁の局長以上の任免権、憲法改正の国民投票要求権である。
姫首相はこれらの権限を一度も行使したことがないが、その気になれば使うことができる。
「共感政策を無効にするような法案を提出する。または、共感政策実施のための予算を拒否して、実施できないようにする。あるいは、局長以上の官僚を、共感政策に反対する人間で固めてしまう。または、共感に関する憲法条文を削除する憲法改正案の国民投票を要求する。やりようはいくらでもありますよね」
もっとも、と姫首相は思う。
下手にこの問題を閣議にかけると、いつかの首相辞任騒動のように、もめる恐れがありますよね、と。
だから、やり方は考えなければいけませんよね、と。
そうして、あれこれ思案を始める。
すでに、共感政策の撤回を決断したつもりである。
けれども、実のところ、それは確固たる決断ではなかった。
心の奥底では、十字国の国是である共感政策を、暫定といえども、本当に撤回していいのかという迷いがあった。そんな重大なことを実施してしまっていいのかというためらいがあった。
姫首相本人はまだ自身の迷いに気づいていない。
しかし、それは確かに心の内に存在していて、決して消えようとはしなかったのである。
いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。
また書きます。