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第46話 真相の告白

 十字国を出て、海外で働いている技術者の一人が「十字国の品不足の原因」と題して、現地のテレビ番組に出演したのは、ちょうどこの頃であった。

 十字国では恐ろしくて言えなかったことを、今ようやく言うことができます、と前置きした後、男はカメラに向けてこう語った。


「突然ですが、数学が何の役に立つかご存じでしょうか?


 答えを言いましょう。

 国民を餓死させないためです。


 数学がわかると買い物をする時に便利だとか、論理的思考を鍛えるのに役立つとか言う人もいますが、そんなのは些細な点に過ぎません。


 もう一度言います。

 数学は国民を餓死させないための学問です。


 どういうことか?


 今、この世界には七十億人の人間が暮らしています。

 けれども、機械文明が誕生する前、いわゆる近世と呼ばれている時代においては、人類はまだ十億人しかいませんでした。

 どうしてかと言えば、当時の人類は十億人分の食糧や生活物資しか生産できなかったからです。それで精一杯だったんです。

 ところが今、プラス六十億人分もの人口を養うことができている。無論、世界では途上国を中心に今でも飢餓があり、痛ましい限りですが、それは紛争地域に食糧が届かない等の政治上の理由であって、純粋に食糧生産という意味では百億人分だって生産することができます。


 どうしてこんなことができるのでしょう?

 近世の人達が精一杯やって十億人分しか生産できなかったのに、どうしてその七倍もの生産量を達成することができたのでしょうか?


 みんなが超人になったからでしょうか?

 神様が恵みを与えてくれたからでしょうか?

 いいえ、違います。


 機械のおかげです。

 例えば化学肥料があります。食糧生産を飛躍的にアップさせるものですが、これは工場の機械によって作り出されます。

 あるいは、トラクターやコンバインといった農業機械があります。農作業を段違いに効率化させます。これも化学肥料と同様、工場の機械から生み出されます。そもそも農業機械自体が、その名の通り機械です。

 車や船といった輸送機械もあります。食糧を初めとして様々な物資を世界中に届けます。今や、我々が食べているもののほとんどは、船やトラックで運ばれてきたものです。この輸送機械も、農業機械と同様、工場の機械から作り出されるものです。そして輸送機械自体も、また機械です。

 要するに、たくさんの機械のおかげです。


 こういった数多くの機械があることで、人類はプラス六十億人が生きるための必需品を得ることができているのです。

 逆に言えば、機械がなかったら、六十億人は餓死してしまいます。

 あなたの知っている人を六人思い浮かべてください。最後に思い浮かべた一人以外、全員死にます。あなたも含め、全員死にます。


 機械がなければ人類は餓死する。

 ここまではいいですね?」


 男はそこで軽く咳払いをすると、水を飲む。

 ふぅ、と一息つく。

 話を再開する。


「さて、これまで機械機械と言ってきましたが、機械とは何でしょうか?


 例えば、身近なところで電気ポットを見てみましょう。お湯を沸かす機械ですね。

 外側はプラスチックの層で覆われています。

 層を外すと、中にはお湯を入れるための金属の槽があります。

 金属の槽の底には、お湯を湧かすためのヒーターと、お湯を給水パイプ経由で注ぎ口まで運ぶためのポンプとモーターがついています。

 ポンプの隣には基板があり、熱を制御するための電子部品がたくさん並んでいます。

 基板の裏には、温度センサがついています。温度を検出して電気信号に変換する部品です。

 電気ポットの上部にはパネルとスイッチが搭載されています。スイッチを押すことで、お湯の温度や湧かす時間を設定できます。

 パネルを外してみると、これまた基板がついていて、マイコンという半導体が中央にデンと居座っています。


 さて、この電気ポットを作るにはどんな技術が必要でしょうか?

 まずプラスチックの材料を抽出し、成型する技術が必要です。

 金属加工の技術も必要です。

 ヒーター、ポンプ、モーターを作るため、電気、磁気、伝熱、力学といったものを学ぶ必要もあります。

 マイコンがありますから、半導体を製造する技術と、ソフトウェアの技術も必要ですね。


 これらの技術は、おおむね工学として分類されています。

 工学を学ぶにはどうすればいいでしょうか?

 図書館に行ってみましょう。工学のコーナーがあります。本がたくさん並んでいます。制御工学、通信工学、磁気工学、材料工学、伝熱工学、電子工学、電気工学、振動工学、半導体工学。まあ、たくさんあります。

 適当な本を手に取ってみてください。数式がびっしり書かれていると思います。どの書籍も、数学の本かと思うくらいに、微分方程式やら三角関数やらベクトル演算やらが列挙してあります。


 つまり、工学というのは、どれもこれも数学が必要不可欠なんです。

 なぜか?


 まず物理学というものがあります。物理学は数学をベースに作られています。なぜって、エネルギーや力のかかり方、電気や磁気の法則、電波の仕組み、熱伝導、そういった物理現象を説明するには数式が必要不可欠だからです。

 工学はこの物理学をベースに作られています。電気工学は物理学の電磁気理論を使っていますし、伝熱工学は物理学の熱力学理論を使っています。

 ゆえに、工学もまた数式が必要不可欠なのです。


 まとめるとこうです。

 数学 → 物理学 → 工学 → 機械 という流れがある。

 ゆえに、機械づくりには、数学が不可欠である。


 もっとも、この考え方に関しては、技術者の間でも諸意見があります。

 うちの会社の現場では数学なんて使っていない、工学の本は、あれは学者の本であって、現場の技術者には関係ない、と言う人もいます。

 いや、我々の企業の現場では数学は必要不可欠だ、大学で工学を学んだ人間じゃないと話にならないよ、と言う人もいます。

 以前は機械設計や電子回路設計に数学は欠かせなかったけれども、今はそういうのは全部パソコンがやってくれるから、そんなに必要ないよ、と言う人もいます。

 いや、まだまだパソコンでできることは限られているからね、将来はともかく、今のところ結局は人間が手で数式を書いて理論を組み立てないとダメだよ、と言う人もいます。


 つまるところ、現場によるわけです。

 現場によっては、そんなに数学を使わない。現場によっては、必要不可欠である。


 要するに、どこかで必要なのです。

 そして、そのどこかが、機械文明の維持に必要不可欠な現場であることも多々あるのです。


 学校で、子供達に数学を無理矢理教えているのも、そのためです。

 数学を教えたところで、それを将来使う人間は十人に一人、あるいはもっと少ないのかもしれません。

 けれどもその一人がいないと、機械文明を支える人間がいなくなってしまう。大学の工学部や理学部に入って初めて数学を教えるのでは、間に合わないかもしれないし、ついていけない学生が大勢出てくるかもしれない。

 そうなったら、十人に一人すら確保できないかもしれない。機械文明が維持できなくなる。国民が餓死してしまう。

 そんなギャンブルをやるくらいなら、子供達には可哀想だけれども無理矢理数学を学んでもらうべきだ。

 そういう考えです。


 そうやって、どこの国でも、少なくとも必要最低限の機械技術・知識は維持しているのです。機械文明を支えているのです。

 結局のところ、人類を餓死させないためには、機械文明と、その根幹にある数学が必要不可欠だと理解しているからです。

 もし、どこかの国が、数学なんて役に立たないから、国民の誰も知らなくていい、と考えたとしたら、機械文明の世界で生きる国の方針として、あまりにもギャンブル過ぎます。

 どうなっても知りませんよ? と、そう言いたくなる選択なのです。


 ところが、この選択を事実上、実践した国がありました。

 学校で数学を教えないどころか、数学そのものを禁止した国、そう十字国です」


 技術者の男はここで少し間を取る。

 心なしか、目つきが鋭くなる。


「今から十字国で何が起きているのかを説明します。


 十字国では数学が禁止されました。

 あの国では共感が絶対視されています。国民の多数が共感できるものは良いものであり、国民の多数が共感できないものは悪いものであると、そう見なされています。


 数学は共感できないもの、と判断されました。

 一番の理由は、数学をやる人に、共感できなかったからでしょう。XだのYだのに値を代入したり、偏微分方程式を解いたり、極限値を求めたり、といった、難しい上に、何の役に立つのかわからないことを楽しそうにする姿は、大多数の国民にとって、まるで共感できないものだったのです。


 共感できないものは排除されます。

 数学は禁止されました。

 学校から数学の授業が消え、書店や図書館から数式の書かれた本が姿を消しました。


 加えて、数学を使うことそのものも禁止されました。共感できないことをやるのは、たばこを吸うのと同じで、周りに迷惑がかかるから、というのが理由です。

 物理学ができなくなります。工学もできなくなります。

 訴えたところで『共感できないことを言うな!』と言われておしまいです。共感は良い意味にしか使われない言葉なので、これに異を唱える人間は無条件で悪になるのです。

 数学をこっそり使おうとすると、今度は当局から摘発されます。摘発されれば悲惨な目にあいます。

 こうして、数多くの人材が海外に流出しました。また、数多くの書籍や研究資料が破棄されました。

 ごく一部の研究室では、表向きは数学を使わない形でどうにか細々と研究が続けられたそうですが、ほぼ壊滅と言って良いでしょう。


 同様の問題は企業でも起きました。

 先ほど私は、現場によっては数学が必要不可欠だ、と申し上げました。

 現場には、工場の機械を作っているメーカーも含まれます。

 これらのメーカーもまた、数学が使われている資料を破棄し、数学を今後使わないことが要求されました。数式が書かれた装置や電気回路や電子回路の開発資料が破棄されます。ノウハウを知る人材が外国に追放されます。もう数学を使って機械を作ることができなくなります。

 数学が必要不可欠な現場であれば、致命的でしょう。


 ところで、工場の機械というのはつながっています。

 どういうことか?


 例えば車の製造工場で、車を作るのに必要な機械があります。

 機械には様々な部品が使われています。その部品を作るための機械があります。

 部品には材料が必要です。その材料を作るための機械もまたあります。

 ネジ一本作るのでさえ、金属精製やら加工やらでいくつもの機械が必要です。

 車のような複雑なものであれば、製造するのに膨大な数の機械が必要になります。不要な機械なんて一つもありません。


 膨大な数の機械が必要ということは、中には特殊な機械もあります。

 十字国でしか使われていないような独自仕様の機械もあります。特殊な機械だから、作っているメーカーも数社しかない、ということもざらです。

 もし数学禁止によって、もうどこのメーカーもその特殊な機械を作ることも直すこともできなくなったら? 開発資料は数式が書かれているからと破棄されています。どういう仕組みで動いているのか、もうよくわからないのです。よくわかっている人間は、共感できないやつだと言われて、国外追放されています。どうなるでしょうか?

 簡単です。車が作れなくなります。車を作るのに必要不可欠な機械を、もう製造することも修理こともできないからです。今ある機械が壊れたらおしまいです」


 男は深々とため息をつく。


「私が勤めていた工場でも、ある時、製造ラインの機械が一台壊れました。

 機械は自社開発していましたので、部品の一つに問題があることがすぐわかりました。

 ところが、その部品メーカーに在庫がないと言うのです。

 担当者とは親しかったので、こっそり聞き出したところ、部品を作る機械のうち何台かが壊れてしまったとのことです。さらに、その機械を直すための技術が失われており、生産高が落ちたところを、噂を聞きつけた顧客から、今のうちに買っておかなきゃ、と注文が殺到し、今や一年待ちだと言います。部品を作る機械はどんどん壊れていくから、一年後の入荷も保証できないとさえ言います。


 私はその機械をあきらめることにしました。

 そうして、どうにか製造ラインを調整し、最適化して、生産高が落ちないように工夫しました。最適化には数学が必要でしたので、トイレにこもってトイレットペーパーの上でがりがり計算して、終わったら流して証拠を隠滅しました。


 それで、どうにかこれで大丈夫だと思ったら、また別の機械が壊れました。

 工場には機械がたくさんあるから一台くらい壊れてもたいしたことはないんじゃないか、と思うかもしれませんが、製造ラインというくらいですから、製造工程もいくつかに別れており、その工程ひとつひとつにおいて異なる機械が必要なのです。

 工程によっては機械が一台か二台しかありません。

 壊れた機械は、一台しかない機械でした。機械を直すには部品が必要で、けれども先ほどと同じ理由で部品を手に入れることはできませんでした。

 工場のラインはストップします。

 何とか代わりの機械を、と思ったのですが、同じ種類の機械を作っている国産メーカーは三社しかなく、三社とも全滅でした。

 海外の機械は、うちの工場の生産方式といくぶん合わないところがあり、そのまま使うことはできません。


 さらに恐ろしい事実が判明しました。

 先ほど、私は工場の機械同士はつながっていると申しました。ある機械を作るには、別の機械が必要であり、その別の機械を作るには、さらにまた別の機械が必要である、という具合です。

 それらの機械の中には、年に数台程度しか作っていない完全オーダーメイド制で、しかし十字国工業全体のいわばツボを押さえた必要不可欠な機械、というのがあります。

 心臓のようなものですね。小さいですが、なくてはならないものです。

 その機械の開発現場には三十人程度しかいません。一方でバリバリに数学を使っています。

 もしこの現場が摘発されて、この機械の製造が止まったら、十字国の工業にとって致命的です。

 そして、実際に摘発されてしまったのです。


 もはや、うちの工場だけの問題ではありません。

 十字国の工業全体がピンチなのです。心臓がやばいのです。


 私は思いました。

 真実を訴えるべきでしょうか?

 しかし、訴えるということは共感政策を否定することになります。共感を批判することになります。そんなことをした人間がどんな目にあってきたか、私はよく知っています。

 十字国に残り続けるべきでしょうか?

 残ったところでどうにかなるとは思えません。勤め先のメーカーは製品が作れないのですからつぶれるでしょう。転職しようにも、どこのメーカーもやがては同じ末路を辿るに違いありません。

 というより、十字国そのものが危機です。工業生産がどんどん衰退しているのです。機械文明がどんどん失われているのです。機械文明が失われた先にあるのは餓死です。


 私は国を出ることを決めました。

 そうです、怖くて逃げだしたのです。

 幸いにしてギッカジョーさんが外国への移住と現地での就職を斡旋してくれました。

 ギッカジョーさんには感謝しています。こっちでの生活も決して悪いものではありません。

 ですが、日ごとに罪悪感はつのります。このまま黙ってていいのだろうか。しかし、下手なことを言っては、かえって十字国を混乱させてしまうのではないか。『共感されない』人たちが、ますます攻撃されてしまうのではないか。しかし、何もしないでいたら、待っているのは間違いなく破滅だ。

 そうして思い悩んだ末、今日、こうして皆さんの前でお話しすることに決めたのです」


 男は目にキッと力を入れ、大きく息を吸うと、こう言った。


「これをお聞きの十字国民の皆さん!

 どうか目を覚ましてください!

 共感は絶対的なものではありません。あくまで人間の感情の一つでしかないんです。良い面もあれば悪い面もある。他の感情と同じです。

 だからどうか、共感できないからといって、できなかったもの自体を否定しないでください。このままでは、あなた方を待つのは悲惨な末路です。

 どうか、どうか考え直してください!」


 この番組はネット配信を通じて世界中に流された。

 十字国民の反応は「共感の正体」という論文が発表された時と同じであった。

 怒りと非難である。


 十字国民は、共感という、彼らにとって、いい意味にしか使われていない言葉を批判された。

 しかも、批判したのは、十字国民からしてみれば「品不足の原因を作ったやつ」であり「逃げ出したやつ」である。

 十字国民の大多数は反発し、また拒絶したのである。


 姫首相も拒絶反応を示した。

 ジョセイヒが逃亡した直後で、気が立っていたというのもあるかもしれない。

 彼女は、極めて反射的に「国民の皆さんがせっかく共感し合えるようになったのになんてことを言うのですか」と、不快感をあらわにしたのである。

いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。

また書きます。

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