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第39話 バカンス

「だいぶ背が伸びましたね」


 ある時、姫首相はアコビトに向けて言った。

 公務の少ない一日で、早めに切り上げて帰ってきたのだ。

 アコビトも学校が早く終わってからは、宿題もなく、絵の仕事もなく、二人して床にごろごろ寝転がりながら、だらだらと話をしていた。

 姫首相は無論のこと、アコビトもなんだかんだでこのだらだらする時間を大切に思っている。お互いに悩みの相談はしなくなっても、こういう時間は大事にしていたのだ。


「そう?」


 アコビトが首をかしげて言う。


「ええ、そうですよ。もう大人と言っても、問題ありません。このままだとわたしを追い抜く日も遠くないかもしれませんね」

「姫ちゃんは無理だよ。背、高いんだから」


 アコビトは笑って言った。

 とはいえアコビトも日ごと、ぐんぐん背が伸びてきている。顔つきも大人びた様を帯び始めてきている。もう出会った頃のアコビトではない。ふんわりとした印象はまだ残っている。けれども、小さくて幼くて自立していなかったかつての姿はもうない。


 ただ、お互いがお互いを大切に思っている点は変わらない。

 そこは変わっていない。

 だから、アコビトは安心して今のこの時間をゆっくりと過ごせばいいはずだった。


 けれども、アコビトには一点不安があった。彼女は、姫首相にある点で隔たりを感じていた。

 姫首相のやっている共感政策がどうしても理解できないのである。間違っているとさえ思う。


 十字国民は満足の意を示している。

 アンケートでも電話調査でもネット調査でも、どれを取っても、かつての立憲君主制時代以上の満足度と幸福度を示している。

 そもそもアコビトは政治家でも何でもない。姫首相から相談されたならともかく、自分から政治に口出しすべきではないと思っている。

 姫首相もアコビトに政治の相談をすることは、もう二年以上やっていない。


 それゆえアコビトは自身の考えを姫首相に言わない。

 言えない。

 だが一方で、間違っているという感覚も、決してなくならない。

 そこに隔たりを感じているのである。


 姫首相はアコビトのそんな内心には気づかない。

 アコビトは姫首相がカン・アンキョウの共感案を採用したときから、ずっとその考えに違和感を持ち続けてきた。同時のその考えを「姫ちゃんがこれだけ熱心にやっているのだから、きっと正しいんだ」と考え、子供の自分が違和感を覚えたというだけで変なことを言って邪魔してはいけないと、ずっとその気持ちを押し殺してきたのだ。


「そういえば、アコ。このあいだの個展はまた成功だったそうですね」

「うん。がんばったよ」


 アコビトはVサインをした。

 アコビトは幾度となく繰り返したコンクールへの作品応募や、展覧会での作品発表を経て、去年から個展を開くようになっていた。海外を中心に活動をしており、すでに三ヵ国で個展を開催している。いずれもそれなりの成功を収めている。スポンサーにならせてくれ、という企業からの声もかかっている。


「十字国ではやらないのですか?」

「まだ早いかな」

「そうですか。ちょっと残念ですね」


 アコビトの作品応募や展示はいつも外国で行っている。

 十字国でやると、みんな姫首相に気をつかって公平に評価されないから、というのが理由の一つである。


「まあ、首相をやめた時の楽しみに取っておきますか」


 アコビトが「え?」と驚きの声を上げる。


「姫ちゃん、首相やめちゃうの?」


「すぐではないですよ」

 姫首相は笑って言った。

「ただもう五年以上も首相をやっていますしね。長くても十年だと思います。それ以上、一人の人間が元首の地位を占め続けるのはよくありません。だから、差し引きあと五年弱ですね。それだけ経ったら引退します」


「そう……」


 アコビトは複雑な心境で言った。

 姫首相のやっている共感政策は理解できないし、本音を言えばやめてほしいけれども、一方で姫首相が国家元首をやっている姿は本心から格好良いと思っているからだ。

 姫首相はアコビトの表情を、単に自分が首相を辞めるのを寂しがっているからだと解釈した。

 そうしてこう言った。


「そうです。もし、わたしが引退したら、一緒に旅行に行きましょうか」

「旅行?」

「ええ、旅行です。色々な国を回って、絵を見たり、おいしいものを食べたり、安全なところであれば二人でゴロゴロしてみたり、そうやって世界を一周するんです」

「行く!」


 アコビトは飛びつくように言う。


「はい、行きましょう」


 姫首相は笑って言った。



 旅行は、ごく気軽な思いつきだったが、口に出してみると、なかなか良いアイデアに思えた。

 一度そう思うと、あれこれ計画を立ててみたくなる。公務の最中に、ついつい立案してしまう。

 外国へは首脳会談だの世界何とか会議だのという目的でたびたび訪れてはいるが、あくまで仕事である。北方連邦では何年も過ごしてきたが、あれは亡命先であって、旅先ではない。

 プライベートで何の義務も無しに気楽に海外旅行をしたことは、まるでないのである。

 それゆえ、旅行の予定を立てるのもこれが初めてである。初めて、というものは、物事を新鮮に見せる。新鮮であるがゆえに、熱中する。


 そうやって姫首相が上の空であることを見かねてであろうか。

 あるいはそんな姫首相を見て、首相就任から五年間、ほとんどまとまった休みもなく働き通しであったことに疲れてしまっているものと勘違いしてしまったのかもしれない。

 共感会議の場で、ジョセイヒはこう言ったのである。


「姫首相、よかったらバカンスを取ってはいかがでしょうか?」

「バカンス?」


 姫首相は、初めて聞く単語であるかのように聞き返す。

 長らく聞いた記憶のない言葉であった。あるいは聞いたことはあるかもしれないが、他人事としてしか耳にしたことのない言葉であった。


「はい、バカンスです」

 ジョセイヒは、にっこり笑って言う。

「といっても、本来のように一ヶ月二ヶ月というのは難しいでしょうが、でも二週間ほどでしたら大丈夫だと思いますよ」


 姫首相は「ほう」と言いながら、共感会議員たちを見回す。


「そうなのか?」


「もちろんですわ」

 貴婦人マスノが言った。

「姫首相のおかげで、共感政策は順調そのものですの。最近はこの会議もだいぶ短くなってきましたし、二週間程度全く問題ございませんわ」


 他の会議員達も同様にうなずく。

 続いて、閣議の席上で、バカンスを取ることを試みに宣言してみる。

 どの閣僚もあっさりと、良いのではないでしょうか、とうなずいた。

 今は国会も閉会されているし、難しい外交や安全保障の局面でもない。来月あたりにでも取ってよろしいのではないでしょうか、と言う。

 来月はこれこれこういう予定が入っておいでですが、と秘書が言ったが、それを聞いたサカン補佐官が、なあにその予定なら大したものではないですし私が何とかします、と胸を張る。


 以上の経緯により、姫首相はバカンスを取ることとなった。

 二週間という決して長くはない期間ではある。SPも同行するに違いない。

 しかし、ともかくも、引退後に予定していた旅行を、軽くお試しするかのように先取りすることができたのである。


 姫首相は大いに喜んだ。また興奮した。

 浮かれているため、アコビトにこのことを伝えるに当たっても、せっかくだから一つ驚かせてやりましょう、と思った。


 やり方はこうである。

 まず今度の休日、公務で外出するのだと事前に伝えておく。最近のアコビトは、今月末の展覧会に向け、休日はずっと私邸の自室で絵を描いている。だから家には間違いなくいる。

 そうやって絵を描いているところを、わっと部屋に入って驚かせるのである。クラッカーをパンパンと鳴らし、高らかに来月の旅行を宣言するのである。

 興奮のあまり、緻密さとはかけ離れた計画であったが、姫首相自身は、実に素晴らしい考えだと満足している。


 姫首相は忘れていた。

 四年前、水槽山に登って間もない頃、姫首相はこんなことを思ったのだ。


 ――でもアコはあれで案外恥ずかしがりやで、絵を描いている時に急に部屋に入ったら「まだ見ちゃダメなの!」ってすごく怒られて、あれ以来ノックは欠かさないようになりましたし


 そうして、それ以来、ノックは忘れずに習慣づけていたのだ。


 けれども、この時の姫首相は、興奮のあまり、そんなことはすっかり頭の中から消えてしまっていた。


 休日が来た。

 外出先でアコビトが自室にいることを使用人を通して確認した姫首相は、すばやく私邸に戻る。アコビトの部屋の前に立つ。ドアノブに手をかけ、勢いよく開ける。クラッカーを鳴らそうと、手をかける。


 信じられない光景が目に入った。

いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。

また書きます。

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