第38話 十字国民の日常
ジーレは三十歳の男である。
家電メーカーで経理の仕事をしている。
このところ何となく暮らしぶりが良くなった。
良くなったと言っても、給料が大幅に増加したとか、通勤の便が良くなったとかいうわけではない。そもそも劇的に何かが変わったわけではない。
ただ、何と言えば良いのだろう。精神的な満足感が以前よりも得られるようになったのだ。姫首相の言うところの、満たしたい感情が満たせるようになった、というやつである。
五年半前、姫首相がさっそうと現れてメジリヒトを打倒した時、ジーレは興奮した。首相就任を宣言した時は熱狂した。
自分達がかつて追放してしまった王族の美しい姫が電撃的に帰国し、悪い独裁者を追い出して国家元首になってしまったのである。
映画のようなできごとだと思った。
姫首相は常に堂々としている。威厳がある。尊大な態度も、王族であるし、よく似合っているから気にならない。
年齢が若すぎると言う人も少数ながらいるけれども、彼女の他に頼れる人がいないのも事実だ。
実際、姫首相はそこらへんの政治家なんかより、よっぽど頼りになる。言うべきことは堂々と言い、締めるべきところはビシッと締めてくれる。
それだけなら他にもいるが、何というか求心力がある。この人の言うことなら聞いてもいい、と思えるものを持っている。
何より決断力がある。
今の混乱した十字国に必要な、強いリーダーシップを発揮してくれている。
首相就任からまもなく、「国民みんなが共感し合える国」という国是を掲げた。
よくわからないけれども、共感するのは良いことに決まっている。
それに他でもない、あの姫首相が言うことである。今より良い国を作るのだと言っている。きっと実現させてくれるに違いないと思った。
共感貴族の件は残念だった。
けれども過ちを認め、責任を取った。失敗の原因をきちんと分析し、次はこうやるとはっきり言ってくれた。だから首相推薦選挙でももちろん、姫首相に票を投じた。
首相に再選してからは、約束を守り、宣言した通りのことを推し進めているらしい。
しばらくは何をやっているのかよくわからなかったが、みんなから共感されない人には重税を、みんなから共感される人には認定証を、という一連の政策を打ち出した時は、きっと姫首相のやることだから良い結果を生むに違いない、という予感がした。
予感は正しかった。
ジーレは毎朝六時に起きる。
通勤は電車を使う。
車内にいる人達は、みな共感し合える人達だとわかっている。少なくともまるで共感できない者はいないと知っている。
なぜなら、みんな、認定証を首から下げているからだ。このところは、誰もがそうしている。ファッション誌では、おしゃれな認定証コーデ、という特集まで組まれている。
時折、見知らぬ乗客とほほえみ合うことがある。
いつもではない。毎日でもない。ただごく自然と笑みを交わすことがある。
話しかけることもある。
この日は同年代の男が相手であった。
以前は絶対に話しかけなどしなかった。ほほえみかけたり、話しかけたり、そんなの気持ち悪いとさえ思っていた。
今は、どうしてこれまでやらなかったんだろう、と思えるほどである。
初対面であるが気にならない。
周囲の視線も気にならない。周りの人間も、ちらほらと、同じようなことをやっているからだ。
そうして話をする。
天気の話から始めて、最近よくやる運動の話、このところ飲み始めたお酒の話などをする。ありふれた内容だが、話の内容よりも、雰囲気や口調や態度などから、お互いに何かを交わし合っていると感じている。
別れる時も徒労感などない。代わりに、ああ、共感し合えたなあ、という満足感がある。
職場に着くと、すれ違う人達に朝の挨拶をする。
ジーレの勤め先は大企業である。人が大勢いる。これまでは、たまに見かける顔だけれども、名前も何をやっている社員かも知らない、という人が多かった。
今は挨拶ついでに、日によっては例えばネクタイの柄をほめる。それを糸口に、プライベートで身につけるアクセサリの話などを軽くする。そうして、よおし、また共感し合えたぞ、という気持ちを胸に、自分の席につく。
仕事中は、同僚と、時には上司も交えて、経費申請の書類処理や、給与計算作業などをしながら、仕事に差し支えのない範囲で世間話や冗談を言い合う。
社交辞令で話しているのではない。
その証拠に、話せば話すほど、共感したという充足感が得られる。
昼食は社内食堂で食べる。
同じ部署の人間のみならず、時には他部署の人間と同席を求める。求められた側も、嫌なそぶりを見せずに同意する。
そうして仕事のことや、プライベートなことを話す。
無論、人間同士である。性格が合わなかったり、趣味が違っていたりすることはある。
それでも、根っこのところで共感し合えている、わかり合えている、という感覚はある。
だから、話してみたけれども、何かが合わなくて、苦痛で、適当なところで切り上げる、ということは少ない。何かが合わなくても、何かが共感し合えるのである。
一日の仕事が終わると、皆の都合や雰囲気によっては、食事会をやる。
今までは面倒くさいな、早く帰りたいな、と思うことも何度かあったが、最近はそうではない。
これもまた、他部署の人間を誘うこともある。それどころか、会場でまるで知らない人同士が合流することも「これで何度目かな」と思える程度には珍しくない。
そうして、全くの初顔合わせ同士で酒を交わし、乾杯をし、時にはビリヤードやダーツやカードゲームに興じ、忌憚なく語り合うのである。忌憚なく共感し合うのである。
不思議だ、とジーレは思った。
共感認定の審査を受ける際、ジーレは自分がみんなから共感されるに足る人間であるかどうか、はっきりとした自信はなかった。
けれども、審査は拍子抜けするほど簡単なものだった。職業はこれこれで、シュートボールという人気スポーツが趣味で、アクション映画を好んで見て、他にこれこれこういうことが好きで、休日はこう過ごしていて、などと言ったことをいくつか書き、証明する資料と共に提出して、それで合格である。
こんな試験にさえ合格できない人間は一体どういうやつなんだろうと思ったが、経理部でも二人、そういうのがいたらしい。
彼らはほどなくして退職した。
思い出してみると、一人は、どことなく暗くて、ぼそぼそと早口がかった変な話し方をしていた。もう一人は、話し方も身なりも普通であったが、どことなく何を考えているのかよくわからない感じがしていた。仕事づきあいで話す分にはそこまで問題があったわけではないが、どこか不気味と言われればその通りであった。
けれども、たった二人である。
その二人がいなくなっただけで、劇的ではないにしろ、どことなく風通しが良くなった気がする。以前よりさわやかな心持ちで日々を過ごせるようになった気がする。
今考えれば、あの二人は毒であったに相違ない。
毒とはすなわち、どうやっても共感し合えない相手、根っこから通じ合えない相手、完全なる異端者である。
毒と関わると嫌な気持ちになる。付き合えば付き合うほど、どうにも気持ち悪い心持ちになる。
飲み物で満たされたグラスが百杯ある中、二杯だけ毒の入ったものがあると想像してもらいたい。
飲み物に口をつけなければならないとしたら、どうするだろうか。ぐぐっと一気に飲むようなことはせず、チロチロとなめるように警戒するように飲むだろう。
これまでの人付き合いはそれであった。深く関わることができなかった。だから、本当の共感を得ることもできず、満たされた気持ちになることもできなかったのだ。
今は違う。
毒はもうない。姫首相が撤去してくれた。ないとわかると、不思議な解放感があふれている。
ああ、あの共感できそうにない連中はもういないんだ、と思うと、じゃあちょっとそこの人に話しかけてみようか、という心持ちになる。
皆、同じ事を思っているらしい。時折、ためらいながらも声をかけられることもある。すると共感が満たされた気持ちになる。
今までに話したことのある相手であっても、かつて話をした時は何とも感じなかったのが、今こうして話をすると不思議なほどに共感し合える心持ちになれるのである。毒かもしれないと思って無意識のうちにかけていたブレーキを、外すことができたからだろう。
ジーレは、このように日々深い共感を得られることへの満足と、姫首相への感謝を心に抱きながら、眠りにつくのであった。
ジーレのこの考え方が正しいかは、今日でも意見が分かれている。
ある学者は、姫首相が十字国から異分子を取り除いたことで、十字国民の同質化が進んだ結果、こうなったのだと言う。
別の有識者は、姫首相が、こういうのは共感できないから関わっちゃダメ、ああいうのも共感できないから近付いちゃダメ、とあれやこれや禁止したために、共感認定の取り消しを恐れて皆が皆、似たような考えや好みや趣味を持つようになり、結果として国民同士がお互い共感しやすくなったのが理由だと言う。
いずれにせよ、この当時の十字国民の共感が高い水準で満たされていたのは、確かであった。
姫首相の首相就任から五年半の月日が過ぎていた。
姫首相は二十一歳、アコビトももう十三歳になっていた。
いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。
また書きます。