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第37話 救いの手

 共感認定証が世に広まりきった頃のことである。


 大規模な情報流出が起きた。

 共感府が抱えている、共感認定の未取得者リストが、インターネット上に流出したのである。

「この人は、みんなから共感されていない」と国が認めた人物の名前や住所のリストが、十字国民なら誰でも閲覧できる状態になってしまったのである。

 流出事件は何者かの意図によるものではないか、とも言われている。真相は今でもわかっていない。


 共感府は慌てて流出を食い止めたが、一度世に広まった情報を回収することは不可能に近い。

 共感認定証を持たない者に対する差別やいじめはますますひどくなる。


 共感認定のない者への差別はなぜ起きるのか?


 当時の十字国民の気持ちを理解するには、あなたの国で常識検定という国家資格試験が新設されたと想像してもらえればよい。

 大抵の者にとって、簡単な試験である。ごく基本的な、最低限身につけておけば良いであろう社会常識を披露すればよいだけである。97パーセントの人は合格する。

 その常識検定に不合格となった者が、職場であなたの目の前の席に座っている。あるいはあなたの隣に住んでいる。

 どんな気分になるだろうか?

 その者は、誰でも当たり前に身につけているはずの社会常識を持っていない、と国から判断されてしまっているのである。

 不安にならないだろうか?


 もし不安を感じたのなら、十字国民の気持ちはまさにそれである。

 彼らもまた不安だったのだ。

 十字国民にとって、共感できない人間というのは、つまるところ非常識な存在なのである。


 もともとその傾向はあった。

「共感できない人はちょっと……」という気持ちは、十字国民の胸の内にあった。

 その胸の内を、政府が、そして姫首相が後押ししてくれたのだ。「共感できないものが世に存在すると、気分が台無しになってしまう」と言ってくれた。心の内を代弁してくれた。

 傾向は一層強くなった。


 結果、十字国民は、認定証を持たない人間に対し、無自覚のうちに、あるいは明確な自覚をもって差別するようになった。

 あるいは、自らは手を下さずとも、黙認した。

 感覚としては、風呂にも入らず、洗濯もせず、悪臭を漂わせている人間に対する一般人の嫌悪の視線に近い。多くの一般人は「風呂に入らないやつが悪い。入れ! でなきゃ、差別されても文句言えないぞ」と思うのではないか。そうして「どうしてこの人は、ちゃんと住む家があるのに、風呂に入らないのだろう」と不安で不気味な気持ちになるのではないか。

 十字国民も同じである。「共感してもらえるように努力しないのが悪い。努力しろ! でなきゃ、差別されても文句言えないぞ」と思ったのである。そうして「どうしてこの人は、みんなから共感されないことをやっているのだろう」と不安で不気味な気持ちになったのである。


 政府の立場は今少し異なる。

 彼らは、不安になっていればいいわけではない。


 何よりの問題は、大量の失業者であった。

 大学の数学科や、ボードゲーム業界など、いくつもの雇用先を、政府は事実上お取り潰しとした。雇用先が減少し、産業界全体が縮小すれば、失業者があふれる。

 共感認定証を持たない者が職場を追われるケースもある。認定証がないがゆえに学校を卒業したのに職に就けないというパターンもある。これらのケースが一層失業問題を加速させる。

 カズエースのようにぬきんでた業績のある者、あるいは海外にコネのある者は、認定証がなくともよい。彼らは既に外国に移住しており、そこで生活の拠点を得ている。

 しかし、現実には、そうでない者がほとんどである。必然、それらの者は無職となる。彼らは共感失業者と呼ばれた。


 政府もこれを全く予期していなかったというわけではない。公共事業を初めとした失業者対策も考えていた。

 けれども、その数が予想外であった。

 共感府が情報を流出させた影響を差し引いても、なお予想を大きく上回っていたのである。「こんなに失業者が出てくるなんて……」という有様だったのだ。


「いやはや、困りましたなあ、はは……」

「感想はいい。さっさと何とかしろ」


 しきりに汗をぬぐう経済大臣に対し、姫首相は冷ややかに命じた。

 この大臣は経済のプロフェッショナルを自認しており、失業者数の予想を打ち立てた上で、対策についてはお任せくださいと豪語していたのである。

 その結果がこれである。

 命令も冷ややかになろうものである。


 経済大臣は「は、はい!」と弾かれたように声を上げると、その日から連日、経済省に泊まり込みを始めた。汗を流してあちこちかけずり回り、あれこれ官僚に指示をする。

 が、目に見える効果は出ない。


 そうして、ひと月ばかり過ぎたある日のことである。

 姫首相の下に奇妙な連絡がもたらされた。


「ギッカジョーだと?」

「はい。そう名乗る者からの申し出です」


 姫首相の問いに、秘書が答える。

 海の向こうより支援の申し出があった、と言うのである。共感失業者達を海外で引き取りたい、と言うのだ。


 申し出をしたのは、ボス・ギッカジョーという名の実業家であった。

 十字国出身の彼は、外国に経営の拠点を持ち、コンピュータ業界で大いに活躍していた。

 この時、四十七歳である。


 やり手の実業家の男を想像していただきたい。

 その男がジャングルで遭難し、一ヶ月のサバイバルののち、野性味を帯びて生還した様を思い浮かべてもらいたい。

 それがギッカジョーである。

 身なりも立ち振る舞いも洗練されているが、目はぎらぎらとしている。ほしいものは何が何でも手に入れてやる、と言わんばかりである。


 十字国を訪れ、姫首相と面会したギッカジョーは、外国暮らしが長いせいか、ややなまりのある十字語で、あらためて口頭にて支援の申し出をした。

 共感認定を受けていないがゆえに、十字国内ではどこの企業も敬遠して就職の口がない、そんな共感失業者達が十字国には大量にいる。

 そんな者達を、ギッカジョーは引き取ってくれると言う。


「ありがたい話だが、お前の望みは何だ? それで一体何の利益がある?」


 姫首相は冷徹な瞳で射貫くようにして問いかける。


「安い労働力です」

 ギッカジョーは野性味あふれる顔をにやりとさせながら、簡潔に答えた。

「私を初めとして、様々な外国企業が、今回の失業者引き取りプロジェクトに参加しています。私はコンピュータ業界ですが、他にも機械、電気、化学、通信など多岐にわたっています。

 目的は、自分の企業でほしいと思う人材を、失業者達の中からスカウトすることです。率直に言って、失業者達には他に選択肢はない。だから安く買い叩ける。十字国は先進国です。先進教育を受けた人材をこれだけ大量に、しかも安値で買えるだなんて、まるでバーゲンセールです」


「皆が皆、使える人材とも限らぬぞ? 後で送り返されても困る」


 姫首相は冷然と問いただす。


「そういう人材は、それはそれでどうにかできます。いえ、どうにかして見せましょう。そこは経営者の手腕というやつです」


 ギッカジョーはよどみなく答えた。


「移民問題もあるだろう。大量に移民がやってきては、外国としても困るのではないか?」

「移民と言っても無職ではありません。仕事先は我々が何とかします。それにプロジェクトに参加している会社の多くは多国籍企業です。移民先も分散させます」

「言語や文化風習の違いもあろう」

「たたき込みます」

「自信家だな」

「経営者の美徳というものです」


 姫首相は「ほう」と言った。

 あごに白い手を当て、考え込む。

 彼女の側には経済大臣を初めとして、この件にかかわる様々な関係者らが居並んでいた。彼らの多くは、やっかいな失業者問題を片付けるいい機会だと思っていた。幾人もが、オブラートに包みながらも自らの考えを姫首相に伝える。


「よかろう」

 姫首相は言った。

「お前の好きにするがいい」


「ありがとうございます」


 ギッカジョーは目をぎらぎらさせながら、丁寧に頭を下げた。

 姫首相は、うむ、と鷹揚にうなずいた。


 こうして十字国から、大量の共感失業者が、外国へと姿を消した。

 ギッカジョーは、言うだけのことはやった。引き取った失業者達のほとんどを、何らかの形で職に就かせたのである。

 失業者達も必死だった。必死でない者は、そうなるように教育した。十字国に戻ることはできない。ここでやっていくしかない。その事実をたたき込んだ。

 その甲斐あってか、やがて彼らは言語や文化風習の壁をどうにか越え、新しい土地で生活の基盤を得ることができたのである。


 こうして十字国から「みんなから共感されていない人」の大多数が姿を消した。

いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。

また書きます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 言論弾圧がついに始まり、ついに後戻りできないところまで進んでしまいました。 ここでぎりぎり踏みとどまり続けて、新しい指導者が生まれるまで国家経済や安全保障を持ちこたえさせられるかどうか……で…
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