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第36話 人間証明書

 一連の重税政策は姫首相の演説と共に発表された。

 演説中、姫首相は「共感をさわやかにしたい」と何度も語った。

 

「おいしい料理の脇に、におい魚が置いてあったら、どうだろう?

 無論、におい魚は味は良い。栄養もある。優れた食品だ。単品で食べる分には良い。

 しかし、料理の横においてあるのはどうだろう? ビーフシチューやパスタやケーキの横に置いてあったらどうだろう? 気にせずに食べてくださいと言われても、せっかくの料理が台無しになってしまうであろう。

 それと同様に、共感できないものが世に存在していると、せっかく共感できるものに触れたとしても、気分は台無しになってしまう。

 そこで、我々政府は、数々の工夫により、共感の周りをさわやかにしたいのだ」


 姫首相は力強く訴えた。国民の現状に心底同情と憤りを示す。我々がこの現状を解決すると力強く堂々と語る。そうして、ともかくもわたしがなんとかするから任せてもらいたいと自信にあふれた態度で宣言した。


 メジリヒト打倒から四年の歳月が過ぎ、また共感貴族の一件があったとはいえ、姫首相の人気はいまだに高い。

 その姫首相が、久しぶりに演説をして、変わらぬ美しさと英雄然とした立ち振る舞いで「任せてくれ」と力強く宣言したのである。

 国民は大いに沸き立った。


 肝心の政策内容に対しては、国民の大多数は何ら反対の意を示さなかった。

 政府の言う、いわゆる「共感できないようなこと」をやっている人間は少数派であり、重税と言われたところで、自分達には関係のない話だと思ったからである。

 休みの日に数学の問題を解いて楽しそうにするなど人間ほとんどいない。

 役所に掛け合って廃棄された交通標識を譲り受け、綺麗に磨いて展示するような人間もほとんどいない。

 制作者の言いたいことがまるで伝わってこないような映画を、それがいいのだと喜んで見る人間にしたって、ほとんどいない。

 どれもこれも、自分達とは別世界の話だと思ったのである。


 もとより十字国民にとって「共感しない」という言葉は無条件で悪いことを意味する。

 その無条件で悪いことをやっている人間を罰するというのだ。

 国民の大多数は極めて当然のことのように受け止めた。


 少数派による反対運動も起きた。

 デモ隊の行進、政治家を通した訴え、表現の自由や職業選択の自由をはじめとした憲法違反を主張する告訴、街頭やインターネットを通した署名活動や啓蒙活動など、やり方は様々である。


 だが、結局のところ、どれも当局によって鎮圧された。

 警官達によってデモ隊が拘束される様を、国民はネットやテレビを通して「共感できないやつらなんだから仕方ない」と冷ややかに見ていた。

 ニュース番組では「共感は国是なのだから、従うのが国民の義務でしょう。第一共感できないような後ろ暗いことをやっているから悪いんですよ」とコメンテータが語っていた。


「共感は絶対的に素晴らしいものではない。こんな政策を続けていたらとんでもないことになる」ということを様々な根拠・事例に基づいて理路整然と駅前で訴えていた、とある企業の営業マンと技術者の二人組が、警官達とのいさかいの際に不幸にも二人とも命を落としてしまった時も、「そうなっても仕方ない」という空気であった。

 姫首相の耳に入れば、あるいは何かが違っていたのかもしれないが、政府関係者は下手にそんなことを伝えて面倒ごとに巻き込まれたくなかったがゆえに、この報告を握りつぶしてしまった。ニュースでもさほど大きく取り上げられなかったため、姫首相がこの事件を知ることはなかった。


 少数派達に同情的な考えを持つ者もいた。

 けれども、彼らは決してその考えを口には出さなかった。

 のちに生き残った十字国民の一人はこう語っている。


「あの当時は十字国中がそういう空気だったんです。いわゆる一般的に見て共感できないものに石を投げつけなければいけないというか、非難しなければならないというか、ともかくそういう雰囲気でした。

 あの頃は『共感する』という言葉が良い意味にしか使われない言葉であり、『共感しない』という言葉が悪い意味にしか使われない言葉だったんです。この理屈には誰も逆らえません。何か言えば『共感できないものを支持するのか。お前もやつらの仲間か!』とよってたかって叩かれてしまうからです。

 ともかくもそういう空気だったんです」


 そういう空気になってしまった理由は三つある。


 第一に、姫首相が言ったからである。

 あの誰も批判できない姫首相が「共感できないものをどうにかしたい」と言ったのだから、それを支持しなければいけない雰囲気になっていた。


 第二に、三年にわたる共感政策の成果である。

 共感政策はなんだかんだで三年間、続けられている。共感は素晴らしいものだと、あの手この手で主張し続けている。共感貴族の一件で一度はケチがついたが、姫首相の辞任で水に流されている。

 国民のうちに「まあ、共感できる人やものは大事にしないといけないよな」という意識が生まれていた。

 この意識は時と場合に応じて「まあ、共感できない人やものは、何をされても仕方ないよな」というものにひっくり返る。

 そして、ひっくり返ったのである。


 第三の理由はすでに述べた。もともと十字国民は「共感しない」という言葉を、無条件で悪い意味にのみ用いていた。それゆえ、悪いものを攻撃して何が悪い、とごく自然に思ってしまったのである。


 ほどなくして法が施行された。一連の共感政策が有効になる。

 いくつもの影響が現れ始めた。


 まず、世の中のそこかしこから数学に関するものが消えた。

 中学高校からは数学の授業が消えた。

 大学では数学を扱う研究室が次々と廃止されたし、数学科に到っては学科そのものがなくなった。

 企業においても、例えば数学研究を熱心に行っていたようなところは、自ら進んで該当部署を閉鎖した。共感府からの命令や圧力、そして何よりも重税を回避せんがための判断であろう。それでも活動を続けていた企業もあったが、それらもほどなくして重税の支払いや世の圧力に押され、活動を停止するか、あるいは数学を使わない形に活動を切り替えたのである。

 大学や企業、あるいは書店や図書館から提出された関連書籍、すなわち大なり小なり数式の載っているような本は、一部は政府の倉庫にしまわれ、残りは燃やされた。


 また、いくつかの業界がつぶれた。

 たとえば、自作パソコン界隈やボードゲーム界隈などである。

 これらは、政府から共感できるものと認定されておらず、無理にやれば企業にも個人にも重税を課される。

 瞬く間につぶれた。


 映画や小説のようなメディアにおいても、世の中のほとんど誰からも共感されない作品ばかりであるにもかかわらず、一部の根強いファンに支えられて生き残っているジャンルが数多く存在していた。

 それらは事実上発禁となった。

 高額の税がかけられたことで価格が急騰したため、販売が困難になったからである。

 すでにある数多くの作品群もまた、数学の本と同じ運命を辿った。

 せめてインターネット上で無料でもいいから自分の創作物を公開できないかと企てる者もいたが、ほどなくして諦めるに到った。ネットの使用履歴から、公開者を特定され、共感できない毒物を世の中にさらしたということで、迷惑税を課されることが判明したからである。


 ほどなくして、共感認定証なる制度が生まれた。

 仕事、言動、考え方、趣味などにおいて、きちんと共感できることだけをやっていると認定された成人以上の十字国民であれば、認定証を取得できる。

 共感できる国民とできない国民をきちんと区別しようという狙いである。

 制度誕生から半年ほどでおおよそ十字国成人のうち、おおよそ97パーセントが取得した。

 残りの3パーセントが取得をしないのは、生来の気質により、あるいは人間関係などの事情で今さら生き方を変えられないことにより、あるいは意地になったがゆえなど、諸々の理由によるものである。


 必然、というべきであろうか。

 ちょうどその頃、企業や役所では、従業員に対し、共感認定証の提示を求めるようになった。

 提示しない者はただちにクビになる、というわけではない。ただし、それ相応の扱いを受ける。

 出世はできない。給料は上がらない。激務を課される。ミスをしたら大勢の前で露骨にいじめられる。訴えても誰も聞いてくれない。

 それが嫌なら共感認定証を見せれば良い。

 見せられなければ、つまりはそういうことである。


 見せられなかった者の中には、会社にいられなくなって退職した人も大勢いる。

 やめたら新しい職を探さなければならない。

 職の応募には履歴書の他に共感認定証のコピーが求められる。求められない職は、極めて薄給であったり危険であったりする。

 プライバシーの侵害だ、労働法の違反だ、などと訴えを起こす者もいたが、裁判所だろうと労働局だろうと、共感されない者の味方を好んでするような人はほとんどいなかった。


 近所付き合いの中でも、いつのまにか共感認定証は求められるようになっていた。

 初めのうちは、そのようなことはなかった。お隣に住むAさんに対し、ある日突然認定証を見せろなどとは言わなかった。

 けれどもある時、殺人事件が起きた。容疑者は認定証を持たない者だった。

 似たような事件が続けてもう一件起きた。


「みんなから共感されないやつは殺人犯ということなんです!」


 テレビの画面で、何とか大学の心理学者なる人物が声を大にして叫んでいた。

 認定証を持っている殺人犯も大勢いたが、それらは無視され、ただひたすらに認定証を持たない殺人犯が非難された。

 それだけが理由、というわけでもないだろう。

 ただ、それを契機に、親しき仲にも礼儀ありだよね、認定証を見せ合うのは信頼の証だよね、という雰囲気ができてしまった。


 もし隣人が認定証を持っていないことが判明すると、その者の扱いは大きく変わる。

 挨拶をしても無視される。壁に落書きが描かれる。ドアの鍵穴に接着剤を詰められる。郵便受けを荒らされる。

 警察に訴えても認定証を持たない者だと判明すると露骨に対応が悪くなる。

 ストレスで健康を害して病院に行っても、認定証がないことで後回しにされる。診察もいいかげんになる。どころか精神科を勧められもする。

 一人暮らしで近所付き合いなどないという者であっても、ある時、大家がやってきて認定証を見せてくれと言われる。見せられなければ次回の契約更新はない。


 不思議な話である。

 認定証自体はただのカードである。別にこのカードがあるから優遇するとか、ないから冷遇するという法があるわけではない。

 にも関わらず、十字国民はこのカードをまるで、人間であることの証明書、のように扱っていたのである。

いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。

また書きます。

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