第35話 満たされた条件
姫首相は会議員たちを鼓舞した。
叱咤激励した。
ほどなくして、選抜共感会議の雰囲気が変わった。
報告者たちが必死になったのである。
これまでも熱心ではあった。
しかし、どんな手を使ってでも自分の伝えたいことを伝える、という気迫はなかった。
それが今はある。
姫首相の強い叱咤の言葉が効いたのかもしれない。
あるいはそれはきっかけに過ぎず、会議員達はもとより、自分達がいまだ何の具体的な成果も上げられていないことに、ふがいなさを感じていたのかもしれない。
もしかすると、彼らはお互いにライバル意識を持っていて、自分の報告に対して他の会議員があまり真剣に反応をしないことにムキになっていたという、ただそれだけの話なのかもしれない。
いずれにせよ、姫首相の言葉を契機に、報告になりふり構わなさが加わったのである。
「こちらの映像をご覧願いますわ」
いま、教育分野担当の貴婦人マスノが、会議の場で報告を行っている。
彼女がスクリーンに映し出したのは、ヒロジロ大学の大学院数学研究科の教員や院生たちの姿である。
この大学は、こと数学に関しては国内トップクラスと言われ、海外の権威ある賞の受賞者を幾人も輩出していた。
スクリーンには今、もじゃもじゃ頭でよれよれの汚れた白衣を着た無精ひげの男が映っている。
『んー、このカメラはぁ、なんですかぁ?』
男はおじぎするように頭を下げた状態から、斜め上に顔を上げ、じろじろとレンズに視線を向けている。
「この男はカズエースと言い、数学科の次世代期待の星と言われている人物ですの。見ての通り」
と言って、マスノは軽蔑したような視線を画面に向ける。
「大変に気味が悪い男ですわ」
カズエースはカメラに向かって『んふふ』と何度も笑うと、突然『おお、ひ、閃いた!』と叫び声を上げ、どこかに走り去ってしまった。
映像はいったん途切れ、再びカズエースを映し出す。
インタビューをしているようであるが、早口であり、何を言っているのかよくわからない。
話しながら突然ホワイトボードに長々と数式らしきものを書きつける。そうして『美しいでしょう。ああ、美しいなあ。ねえ、美しいでしょう? ねえ?』と言う。カズエースがねえと言うたびに、カメラが後ろに下がっていく。
「ご覧の通り、全く共感できない人物ですわ。そして、これが」
マスノは噴霧器のようなものを取り出し、プシューとガスのようなものを吹き出す。途端、あたりに悪臭が漂う。
「この男のにおいですの」
マスノは言った。
においを容器に保存し、別の場所で解放させる技術である。
においを使うのはジョセイヒのやり方であるが、マスノもまたなりふり構っていないため、真似をすることにためらいはない。
そして真似だろうが何だろうが臭いものは臭い。
会議員達はそろって鼻をふさぐ。
わかったから窓を開けてください、という声が聞こえる。共感会議員とは悪臭に耐える仕事だったのか、と言う者もいる。
平然としているのは、堂々と腕を組んでいる姫首相と、にこにこ笑っているジョセイヒくらいのものだったが、内心はどうであったか。
換気が整うと、会議員の一人が言った。
「しかし数学科といってもたくさん人がいるでしょう。中には一人くらい変なやつもいる。失礼ながら、その一人を捕まえて強調しているだけではないですか?」
「ところが、そうではありませんの」
マスノはスクリーンに再び映像を流しはじめる。
数学科には、カズエース以外にも教員がいて院生がいる。彼らへのインタビューのようである。
動画内に写る人物の多くはこざっぱりした清潔な身なりと落ち着いた受け答えをしていた。中にはサイズが合っていない上にしわの目立つ服を着て、ぼそぼそと早口でしゃべる者や、やたらと長い髪で目を隠し、ぐふっぐふっと笑いながら話す者などもいたが、それらは少数派である。
多くの者は、ごく常識的な身なりと立ち振る舞いである。
やっぱり変なのはごく一部ではないですか、と誰かが言おうとした時である。
先ほどインタビューを受けていた若手准教授がまた画面に出て来た。
最初に登場した時はごくごく普通のさわやかな青年、という印象であった。
しかし今、スクリーン内の彼は熱く語っていた。数学がいかに面白いか、素晴らしいものかを熱弁していたのである。
口調は次第に早口に、興奮混じりになっていく。
ついには突然立ち上がると、先ほどのカズエースのように、ホワイトボードに髪を振り乱しながら数式を書き始めたのである。そうして『はあっ、はあっ、どうです、美しいでしょう?』と息を乱しながら言う。『ねえねえ、美しいでしょう、ねえ?』と言う。ふふふ、と笑う。
カメラはいつの間にか後ろに引いている。
「ちなみにこれがこの男の臭いですわ」
マスノが再び噴霧器を取り出し、ガスを噴出させる。
一同は身構えるが、さほど臭いはしない。
「大したことのない臭いのように思えますわよね? ですが、これを濃縮すると」
言うと同時に、手に取った別の噴霧器からガスが吹き出す。
うっ、といううめき声が聞こえる。
ひどい悪臭である。先ほどのカズエースの臭いにそっくりなのである。
「おわかりいただけます? どうも数学をやっている人間というのは、この独特の臭いを持っているようですの。一見さわやかぶっていても、根っこはカズエースという男と同類ということですわ。ですから……、あの、みなさん、お聞きになっていますの?」
会議員達は、ばたばたと席を立ち、窓を開け、換気扇をつける。
一息つくと、映像が再開される。
数学科の教員、院生へのインタビューが続いていく。
ある教員は、純粋数学がいかにエレガントで見事なものかを、会議員たちが誰も理解も共感もできない図と数式で熱心に語った。
ある院生は、自分がやっている研究について、パソコン上で複雑な方程式を展開させながら、早口に説明した。方程式を使って映像を作るという技術も見せた。最近はパソコンを使えば、数式も視覚化できて楽しいですよねえ、と嬉しそうに、うふふと笑いながら言った。
会議員十二名は誰一人として共感しない。
数学が何の役に立つのかという質問もしばしば数学科の者たちに投げかけられた。
ある者は論理的思考を養うのに役立つと答えた。ある者は、役に立たないからいいのだ、数学は純粋に数学であるべきなのだ、とインタビューアが引くくらい熱く語った。
いずれも回答も、会議員達の共感を呼ばなかった。
報告が終わる頃には、こんな役にも立たず、やっている姿に共感も覚えない学問が、十字国に存在する意味があるのだろうか、と糾弾する雰囲気ができていた。
前述した通り、選抜共感会議のメンバーは互いに似通っている。数学について思うところも、共感できないと感じる点においても、類似していた。会議員達はそろって数学という学問の廃止を望んでいたのである。
マスノの発表が、悪臭だろうが何だろうが利用できるものは利用するという、なりふりかまわないものであったことも後押ししていた。これだけ本気さを感じさせる発表をされたなら、それに応えてこちらも真剣に賛意を示さなければならない、という心持ちになったのである。
今日ではマスノの報告には疑問が持たれている。
ヒロジロ大学は確かに十字国トップクラスの数学研究科を持っていたが、あくまでトップクラスであって、トップではなかった。他にもその道で有名な大学はいくつも、それこそ首都である交わり都市の近くにだってある。
わざわざ首都から遠く離れたこの大学を選んだのは、たまたま常識外れの人物が多く在籍していたからではないだろうか?
またマスノの用意した映像は所々途切れていて編集の跡が見られる。インタビューについても「数学の良さをアピールするために、オーバーなくらい熱心な口調で話してください」とマスノから指示されたという証言もある。においにしても、どのような人物であれ、濃縮すれば強烈なものになるのは当然であろう。
けれども、共感会議の場において、このような指摘はなされなかった。
気づかなかったのか。あるいは気づきつつも、マスノの本気さに心を打たれたのか。
いずれにせよ、誰もがマスノの報告が事実であるという前提で議論に臨んだ。
しかし、マスノの報告が事実であるにせよ、そうでないにせよ、一方で、学問の自由というものがあるのもまた事実である。
教育省に働きかけて学校で数学を教えることを禁止することはできても、国民一人一人が数学を学ぶことを禁止することはできない。
「重税をかけたらどうでしょう?」
何気ない口調でジョセイヒが言った。
「タバコと同じですよ。タバコを吸うのは個人の権利ですけど、吸われると煙で迷惑だから税金をかけるでしょ? 数学も同じですよ。共感できないものをやられると気持ちが悪いから、税金をかけるんです」
「なるほど」という声が上がった。
とても良い考えだと会議員一同思った。
確かに、タバコと同じなら、前例と実績のある対応方法ということになる。これまでさんざん悩まされてきた人権の問題も解決できる。
名案だ。
そう思った。
会議員達はジョセイヒの提案を具体的なものにすべく、議論を重ねた。
その結果、おおよそ次のように意見がまとまろうとしていた。
まず数学を教えている教育機関に対し、その規模に応じて重税を課す。書籍にも価格が十倍になるほどの税をかける。図書館で数学の本を借りたり、インターネットで数学関係の調査をしたりした人間も、非共感税という名の税金を払わせる。
これだけだと、例えば数学科を論理科と名前だけ変えて、税金逃れをされるかもしれない。数学の研究機関を大学から民間企業に移転して官吏の目を逃れようとするかもしれない。
よって、教育であれ研究であれ、また企業活動であれ個人の趣味であれ、実態として数学を用いている場合は、それが誰であろうと、重税を課す。隠していたことがバレたら、追徴課税である。
姫首相は、これらの議論をただ黙って聞いていた。
彼女は初め、どうでしょうか、と思った。
確かに、ほめて伸ばす、というやり方は前回失敗した。共感貴族なるものを生んだだけだった。そういう意味では今回のコンセプトは、ほめてダメなら叱ってみよう、と言えるかもしれない。
しかし、それにしても、と姫首相は思うのである。これはちょっとやり過ぎなのではないでしょうか。学ぶ自由は誰にでもあります。それを重税によって実質禁止に近い状態に追いやってしまうのはどうなのでしょうか。
姫首相は確かに初めは、こう考えていた。
けれども、目の前で繰り広げられている議論は、姫首相の考えとは大きく異なるものである。
会議員達は、もはや数学規制の是非を議論などしていない。規制して当然と見なしている。こうも共感できないことが明らかになったのである。規制以外の選択肢はないと言う。
彼らの議論は、どのように規制すれば効率的かとか、いつ規制すべきかとか、そういった段階に来ている。
姫首相はこれらの議論に耳を傾けている。聞いている姿だけなら王者の風格が漂っている。
けれども、その内心は、大きく傾き始めている。専門家たる彼らがこうも一様に規制を主張しているのだから、それが正しいのではないかという気になりつつある。人権だの学問の自由だのと気になる点はあるが、その当たりはプロである彼らが考えていないはずはないだろう、とも思う。
元より自分は二十歳にも満たない若輩者に過ぎないとも思っている。威厳ある指導者像など演じているだけに過ぎない。
会議員達は専門家である。正しいのはどちらであるか自明に思える。
そもそも姫首相には、自分の意見に対する確固たる自信などはない。自らを心の底から偉大なる指導者だと自負している者であれば持っているであろうそれを、姫首相は保持していない。彼女はただ演じているだけである。
そう、姫首相は演じているだけなのである。
あの威厳と威風にあふれる元首像は、ただ演じているだけのものに過ぎない。素とは、まるでかけ離れている。
もしあれが姫首相の素だったら、十字国の歴史は、まるで違うものになっていただろう。
だが、実際は違う。
姫首相は、ただただ演じているだけなのである。
議論はまだ続いている。
しかし「決断」のルールに基づく条件は既に満たされている。
「諸君、そこまでだ」
姫首相はそう言うと、重税化を認めること、具体的にどのような手順・手続きでそれを為していくか、自らの「決断」を述べた。
姫首相は、態度といい話し方といい、平素のように冷然かつ威を発するものであった。それゆえ、知らない人が見れば、威厳ある姫首相の判断でビシッと決まったように見えたことだろう。さすが姫首相、ズバリと決断なされた、という具合である。
ジョセイヒはにこにこと笑っていた。
翌週、今度はヤメルセンによる、趣味についての報告が行われた。
彼もまた映像とにおいを駆使して、いかに共感できない趣味が世に存在しているかを繰り返し何度も何度も気迫を込めて強調した。
今度はよりあっさりと決まった。政府が指定したものに該当しない趣味、すなわち世の多数派にとってとうてい共感しえないような趣味を持つ十字国民は、漏れなく自己申告しなければならず、申告した者には重い税が課せられる。
もし、物品購入履歴やインターネット使用履歴から、共感されない趣味を隠れてやっていると断じられた者は、それより何倍もの重い税に加えて懲役刑まで課せられる。
会議員達の期待通りに姫首相は決断した。
メディア、宗教、食事などについても同様の決断がなされた。
こうして、国民の多数から共感されないと思われる、あらゆるものに対し、重税が課されることが決まったのである。
いつも「共感」をお読みくださり、ありがとうございます。
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