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第34話 全然共感できませんわ

 およそ一ヶ月が経過した。

 調査の結果が出始めてきた。

 報告は選抜共感会議の席上で行われる。


 初めに報告されたのは教育分野のものである。

 調査を担当したのはマスノという二十代後半の女性であった。お金と時間をかけずに行うプチ旅行で広く共感を得た人物である。


「結論から申しますと、数学が全然共感できませんわ」


 マスノはそう言って報告を開始した。

 古き時代の貴婦人のごとき妙なしゃべり方であるが、これは初回の会議の自己紹介時、緊張のあまり錯乱してこのような言葉づかいになってしまい、以降、会議の場ではそれで通してしまうことにしたからである。


「教育の真の目的は役に立つことですわ。役に立つものを教えていれば納得もできますし、子供達の将来のためになるものを教えているという姿勢に共感もできますの。

 でも、役に立たないものを教えているとしたら、何がしたいのかさっぱりです。まったく共感できませんわ。

 ですからわたくし、小学校から大学まで様々な学校に直接赴いて、授業や講義をひとつひとつ一体何の役に立つのか見てみましたの。

 国語・外国語はコミュニケーションを取るのに大切な学問ですわ。それを教える姿にも共感できます。歴史は伝統・文化を伝える大事なものですし、地理は世界中の人々の生活の営みを知ることで、こちらも温かみが感じられますの。体育は健全な肉体をはぐくみますし、美術・音楽は美を感じる豊かな心を育てます。家庭科は生活のための知識を伝えますし、倫理は人として大切な心を健全な方向に導きます。

 問題は理数系ですわ」


 一度言葉を句切り、扇子で手の平をパシパシ叩く。

 貴婦人をやる以上、小道具にもこだわるようである。


「物理は原子核がどうこう、素粒子がどうこうと訳のわからないことをやっています。化学は妙な化学式を並べ立てています。地学は鉱物がどうした地層がどうしたと騒ぎ立てています。

 こんなことを子供達が学んで、いったい何の意味があるのかさっぱりです。あんな血の通わないものを生徒達に教えたら、心が冷たく渇いてしまいますわ。温かみが感じられるのは生物くらいです。

 それでも、化学と生物は医学につながるからとか、物理は機械や電気に必要な学問で生活に役立っているとか、しつこいくらいに言われるので、しぶしぶながらも、一応認めましょう。もっと役に立つと思えるやり方で教えられないものか、もっと教える姿に共感できるようにできないものか、と思いますけれども、一応納得します。


 でも、数学は論外ですわ。小学校までにやる算数は一応、学ぶことで足し算引き算など日常の計算ができるようになるからいいとしても、中学高校でやる二次方程式だの三角関数だの微分積分だの、一体世の中の何の役に立つのさっぱりですわ。

 こんなのを教えようなんて考え、まったく共感できませんわ。

 みなさんの中で数学を社会に出てから使ったことがある方がいらっしゃいまして? いらっしゃいませんよね?

 学校の先生方は、数学は論理的思考を養うために必要だとか何とか言いますけれども、論理的思考なら討論の練習でもした方が子供達の将来のためにもなりますわ」


 マスノはその後も数学を攻撃し続けたが、姫首相はそういうものかと思ったきり、それ以上特に何も感じることはなかった。

 姫首相もまた家庭教師や学校の先生から算数数学の類を習ったことはあるが、一種のパズル・論理実験のように感じており、別段批判すべきものとも思わなかったからである。

 遠い昔、妹の次王女に何か算数の話をした覚えもあった。算数は役に立たないとか何とか思った記憶もある。けれども、その時も、算数そのものを攻撃しようなどという気は起きなかったのである。


 会議員達は違った。

 マスノの言葉に感じるところがあった。数学教育というものへの嫌悪感を触発されもした。

 みな、似たように嫌悪感を覚えていたのである。


 かつての共感委員会と、今こうして行われている選抜共感会議の最大の違いはここにある。

 メンバーが似た者同士であるかどうか、である。


 共感委員会は議員や学者など様々な経歴を持つ者たちによって構成されていた。

 経歴が異なれば意見も異なる。

 言うことはバラバラで、まとまりがなかった。


 選抜共感会議は違う。

 既に述べた通りである。

 みな、同じように世の多数派から共感を集めた者たちである。みな、同じ共感試験を筆記・実技・面接と同じようにふるいにかけられて合格した者たちである。人物像はある程度似通っていた。

 とりわけ、どういうものに共感を覚え、どういうものに共感を感じないか、という点において、似たり寄ったりであった。

 それゆえ、マスノが攻撃する点に対しては、会議員達もまた批判的な気持ちになっていたのである。


 けれども会議員達はまだ政府だの官邸だのといった場に馴染んでいなかった。

 馴染んでいるのはジョセイヒくらいのものである。

 他の者たちはみな、政策を決定する会議の一員に選ばれたという自覚はあっても、実感はない。

 この場でマスノの言葉に強く賛意を示せば、彼女の意見が政策として実現されるかもしれない。数学に対する強い圧力がかかるだろう。社会全体が大きく変わる。膨大な予算も動くに違いない。自分の言葉で十字国全体を巻き込むことになる。

 そうして、いざそういう段になると、急にためらう気持ちが生じたのである。

 本当にやってしまっていいのだろうか、もうちょっと考えた方がいいのではないだろうか、という風に迷いが生じたのである。


 あなたの目の前にボタンがあったとする。

 ボタンを押すと、あなたがかねてより実施してほしいと思っていた政策が全てただちに実行される。

 あなたの国全体に、すぐさまその政策が適用される。国中が大きく変わる。

 あなたはためらいなくボタンを押すだろうか。それとも、いざ押す時になって、ちょっと待ってくれ、もう少し考えさせてくれ、と保留するだろうか。


 会議員達は保留を選んだ。


 ◇


 次に報告されたのは趣味の分野についてである。

 世の中にはたくさんの趣味がある。十字国民一億人の多くは、熱心にやっているにせよ、何となくやっているにせよ、何らかの趣味を持つ。

 麺類とダイエットを愛する青年ヤメルセンが、この趣味についての調査担当者である。


「理解のしがたい、とても共感できないような趣味が世にあふれています」


 ヤメルセンはそう言って報告を切り出した。


「旅行や温泉やグルメ、スポーツや釣りや山登り、手芸や料理、映画鑑賞や音楽演奏、こういった趣味は見ていて楽しそうなのが伝わってきます。楽しんでいる人たちに共感できます。みなさんもおおむね理解できますよね。

 ですが、とうてい理解に苦しむ趣味も世には多数あるのです。例えば……」


 ヤメルセンは注目を集めるように、声を低めて、こう続ける。


「例えば、子供が喜びそうなデフォルメされたかわいらしい人物画を、いい歳した大人達が互いに描き合って見せ合う現場を見ました。子供がいるような歳の大人達がですよ? 正直気味が悪かったです。

 それから家電を分解することを嬉々としてやる人たちがいます。分解して部品を集めて新しい機械を作るのだそうですが、それで出来上がるのといったら、ひどい音のラジオだったり、火を噴く電子レンジだったりします。そうして失敗すると、いやあ間違えた間違えたと嬉しそうにします。電圧を間違えたかなと言って、紙に何やら書き付けます。そうしてまた楽しそうに分解します。何が面白いんだか意味がわかりません。

 使われなくなった道路標識を集めている人にも会いました。結婚もせず、集めた標識を飾るためだけに倉庫を借りて、休みの日は一日中コレクションを磨いたり眺めたりしているのです。みなさんも一度見てみるといい。あれは鳥肌が立ちます」


 姫首相の感想は、まあそういう人もいるでしょうね、と冷めたものであった。

 ヤメルセンの非難じみた報告はその後も続いたが、最後まで聞き終えても感想は変わらない。

 一方、他の会議員達はというと、ヤメルセンの言葉から、特殊な趣味に興じる人々の光景を想像し、共感できない気持ち悪いものだと思いはしたが、といって彼らの行為をやめさせるべきかというと、人権というものがあるのだし、そこまでやらないでもいいのではないか、と思った。


 結局保留となった。

 ヤメルセンには、引き続き調査を行うべし、とのみ命じられた。



 その後も、様々な報告が会議員たちによってなされた。

 小説や漫画や映画などのメディア、ありとあらゆる企業活動、人間の生き方、宗教、食事など、様々な分野において、調査報告がなされた。

 どの分野においても、共感できないものはそれなりに存在する。

 報告者は熱心な口調で、これが問題だ、これが共感できない、と主張する。


 けれども姫首相にはピンとこない。

 そういうものもあるのですね、程度にしか感じられない。


 会議員たちはピンと来ている。

 しかし、彼らは国を動かすことにはためらいがある。人権なども頭にちらつく。


 結果、何も決まらない。

 調査を続行するよう求められるだけである。


 共感会議の設立から三か月が経過した。

 状況は何も変わっていなかった。

 調査はする。報告はする。

 けれども、具体的に世の中に働きかけてみんなが共感し合えるような社会環境を作り上げよう、というそもそもの目的については、何も進んでいなかった。


(どうしましょう)


 姫首相は困った。

 まずい、ということは理解していた。まるで進んでいないのだ。

 どうにかしなければならない。


 といって、どうすればいいのかわからない。

 ジョセイヒ案はつまるところ「みんなが共感できないものをどうにかしよう。具体的に何をどうするかは調べてから決めよう」である。

 そうして調べた。

 しかし決まらない。

 何しろ報告者の調査結果を聞いても姫首相にはピンとこないのだ。

 会議員達もどこかしらためらいがある。三か月たって、政治の場に少しばかりはなじんできたとはいえ、だからと言って人権だのなんだのの問題を乗り越えて、十字国を大きく変えてしまうかもしれない政策に賛意を示す決断はまだできない。入社三か月の新入社員が社運を決する決断を求められても困ってしまうのと同じである。

 といって、会議員達が納得してないものを強行してしまっては、会議の意味がない。


 アコビトに相談しようかとも思ったが、結局しなかった。

 この時期になると、アコビトは展覧会で展示した絵が評判を集め、天才絵画少女として話題になりつつあった。姫首相の手を離れ、本格的に自立を始めている。

 暇を見つけては一緒に遊ぶというのは相変わらずだが、何かを相談するということは一切なくなっていた。


 アコビトは、それについて何も言わなかった。

 今でも姫首相が相談してくれれば喜んで応じるつもりでいる。

 けれども自分から、相談して、とは言えない。


 相談すれば政治の話になるかもしれない。

 政治家でも官僚でもない自分が、あまり口出しすべきではないと、小さかった頃には思わなかったようなことを考えるようになっている。

 たまには相談してくれてもいいのにな、と寂しい気持ちになりながらも、遠慮している。

 姫首相は姫首相で、アコは自立しようとしているのですから、と寂しがりつつも相談を遠慮している。

 つまるところ、お互い遠慮していたのである。


 そうして相談相手のいない姫首相は一人悩む。

 が、何も決まらない。


 姫首相の決断にはいくつかのルールがある。

 例えば「一人では重要な決断ができない」などである。

 詳しくは物語の最後に明かすが、そういったルールがあり、ルールに乗っ取った上でいくつかの条件を満たすと「決断」することができる。

 けれども今はその条件を満たしていない。

 ゆえに決断できない。


 そんなおり、姫首相が官邸の休憩室に入ると、ジョセイヒがいた。


「こんにちは、姫首相」


 ジョセイヒは気安くにっこり笑う。

 姫首相も「ああ」と言って座る。


 はじめ、二人は天気の話や、人気のケーキの話をする。

 けれども、次第に話題は共感会議の現状の話へと落ち着いていく。

 しばらくは、困ったな、困りましたね、というようなことを二人で言い合っていたが、姫首相が「どうしたらいいと思うだろうか?」と聞くと、ジョセイヒは少しの間、うーん、と考え込む仕草を見せた後、おだやかな口調でこう言った。


「本気で報告させてみたらいいんじゃないですかね」

「どういうことだ?」


 姫首相がたずねると、ジョセイヒは「簡単な話です」と言う。


「みなさん、本気じゃないんですよ。必死じゃないと言えばいいんですかね。こう、自分が調べたものを、命がけで伝えようとする気迫に欠けていると言いますか。いえ、これはわたしもそうなんですけれどね。そういう気概・気骨・気組が足りないように見えるのですよ」


 姫首相は「ほう」と言った。


「それで、ジョセイヒはどうすべきだと?」

「こうすべきです」


 そう言うと、ジョセイヒは姫首相の目を真っ直ぐに見た。

 いつもの気安い雰囲気ではなく、真剣な様子で口を開く。


「姫首相の口から本気で熱を込めて叱咤激励するのです。何をおっしゃるかはお任せ致しますが、ともかくも火をつけるべく、徹底して鼓舞なさるのです」


 姫首相は「ふむ」とうなずく。

 どうでしょうか、と考えた。それほど悪い案にも思えなかったし、強いて反対する理由もなかった。何よりジョセイヒの期待が感じられた。


「よかろう。一度やってみようではないか」


 しばし考えたのち、姫首相はそう答えたのだった。

いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。


前回33話の冒頭で、会議員達がジョセイヒ案に賛同した理由がわかりにくかったので、修正しました。

修正内容を簡単に書くと、以下のような話を挿入しました。

「会議員達は、共感できない人やものに、これまで悩まされてきた。

 ジョセイヒの案は、計算によるものか、そうでないかはともかく、そんな彼らの悩みを上手いこと肯定してあげるものだった」


次回は明日11/24(金)に更新します。

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