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幕間 十字国取材記

 今回登場する『筆者』は、この小説の投稿者の【からくらり】ではなく、作中世界の人物です(つまり実在の人物ではなく、架空の人物です)。

 この小説に実在の人物は一切登場しません。

 筆者は、十字国の出身である。


 ――突然、このように、筆者について語ることを許していただきたい。


 筆者は、十字国で生まれた。

 姫首相を遠くから見たこともある。

 国が亡びる前、外国に移住した。まだ小さかった頃のことである。


 それ以来、ずっと足を踏み入れていなかったのだが、本書を書くに当たり、取材のため、とうとう久方ぶりに訪れることになった。


 十字国は、姫首相時代に一度滅亡している。

 筆者が訪れたのは復興が始まってから、それなりの歳月が経過した頃のことであった。

 すでに、復興開始当初の混乱や治安の悪さはだいぶおさまり、十字国全体が暗い過去を振り切って、光の当たる未来を目指そうという活気に満ちあふれていた。


 取材をするに当たり、当初筆者は、これは極めて広範囲を駆け回る必要があるに相違ないと考えていた。

 広範囲というのは、場所を意味する。同時に人間関係も意味する。

 なにしろ、姫首相は国のトップである。

 本拠地は首都の交わり都市であるにせよ、職務上、十字国中に、そして世界中に足を運んでいるはずである。

 また、国の元首として、極めて広い人間関係を持っているはずである。

 それらを全て取材するとなると、これはきっと相当骨の折れる仕事になるに違いない。

 そう考えていた。


 そうして、その骨の折れる仕事をこなさなければ、とうていこの本は書けないと思っていた。

 なぜなら、本書のテーマは「十字国を滅亡させた姫首相の決断」であり、その姫首相はと言えば、世界中に足を運び、様々な人間に会って話をしているのだから、当然それらから影響を受けているはずである。

 その影響の考慮無しに、本書は書けないと考えていたのだ。


 だが、そうではなかった。


 筆者は取材をした。

 十字国の北部も南部も東部も西部も、北方連邦を初めとした諸外国も、いくつか足を運んだ。色々な人とも会い、話も聞いた。

 ところが、ある程度進めたところで、おかしなことに気がついた。

 端的に言えば「姫首相は、色々なところに行ったし、色々な人にも会っていたけど、何の影響も受けていない」のである。「姫首相は首都のごく狭い人間関係の中においてのみ影響を受け、決断を下している」のである。


 いや、むろん、取材がまったくの無意味だったというわけではない。

 面白いエピソードをいくつか聞くこともできた。



 例えば、西部を取材した時はこんな逸話を聞いた。


 十字国西部は、古い文化と町並みが今でも残っている地域である。

 外国から首脳を招く時は、交わり都市ではなく、西部の歴史ある建物において、会談やら会食やら共同記者会見やらを行うこともある。


 伝統芸能によるもてなしも行う。

 ある時、銀鳥国(ぎんちょうこく)の大統領を、(うた)(ぶし)でもてなした。

 唄い節とは、まあ十字国のミュージカルのようなものである。客席の一部が舞台の上にあり、客の反応をアドリブでとらえて、演者もまた即興で芝居や歌をアレンジするという特徴がある。

 姫首相と銀鳥国大統領は、二人とも舞台の上にいた。


 ところが、通訳が何かを間違えたのか、あるいは大統領が聞き間違えたのか、大統領は突然立ち上がると歌い出したのである。

 若い頃はそれなりの俳優をやっていて、ミュージカルに出たこともあるという大統領は、朗々とした声を劇場に響かせる。

 唄い節は、確かに客の反応を取り込むものではあるが、さすがに客が大声で歌うなどというのはマナー違反である。

 さあこれはまずいぞ、という雰囲気が流れる。大統領はそれにまるで気づかない。上機嫌で歌い続ける。


 まさに、その時である。

 姫首相が、やおら立ち上がったかと思うと、一緒に歌い出したのである。

 凜とした歌声が、大統領とハーモニーを奏でながら、響き渡る。

 のみながらず、姫首相はミュージカルらしく大げさなポーズをしてみせ、大統領もまたにやりと笑って、それに応えるようにポーズを仕返す。

 やがて姫首相は、ごく自然と大統領を席に着かせると、唄い節は何事もなかったかのように再開したのである。


 なお、姫首相は後日、この時の唄い節の楽団を、公式には「すばらしい舞台であったから是非ともまた見たい」という建前で。

 実際は、舞台を滅茶苦茶にしかけてしまった詫びだろう。

 その後も何度か連続して、外国要人歓迎の持てなしに呼ぶこととなったのである。



 南部では、こんなエピソードを得た。


 ある時、海軍主催の式典が、とある港で行われ、重要な行事だからと姫首相も出席した。

 式典のさなかである。

 バシャンという音と共に、悲鳴が上がった。

 参加者の子息令嬢であろうか。

 子供が海に落ちたのである。


 騒然とする中、黒い影がひゅっと駆け抜けると、やおら海に飛び込んだ。

 姫首相である。

 着衣のまま海に入る。器用に泳ぎ、静かに海に沈んでいこうとする子供を引っ張る。そうして、駆けつけた者たちに手伝わせ、陸まで引き上げさせたのである。

 子供は無事に息を吹き返し、周囲に安心の声が広がる。


 姫首相は海の中で首から上を突き出したままである。

 早く上がってください、と声をかける側近達に対し、濡れたままでは色々とみっともないだろう、と言う。

 それを聞いて慌てたのは侍女達である。

 黒くて分厚い大きな布を用意すると、陸に上がった姫首相をさっとくるんだ。

 そうして、小柄な侍女が幾人か、布と姫首相との間に入り込むと、周囲から見えないように、タオルで濡れを拭いたり、替えられる服を替えたり、ドライヤーで乾かしたりした。外から見ると、姫首相を包む布が、もこもこ動いているように見える。

 その姫首相はというと、もこもこに構わず、侍女たちと共に式典の壇上に戻り、冷徹な顔で、さっさと続けるように促す。


 こうして、厳かで真面目な式典が続く中、姫首相は堂々と座りながらも、黒くて大きな布に全身を包まれ、その布を終始もこもこと動かし続けたのである。

 関係者の間では、この日のことを、もこもこ式典とか、もこもこのあれ、などと密かに呼ぶようになったそうである。


 なお、後日、姫首相は、この日の彼女の取った行動について、一国の元首として自身の身を危険にさらすような行為は軽はずみであること、またああいう場合の救助は主催者の海軍の職掌であるから、任せるのが筋であると言うことを、遠回しながらも海軍幹部から言われたことがある。

 姫首相はこう答えた。


「あの時は、あれが必要だったのだ。わかれ」


 人気取りの行動を取ることで民衆の支持を得て、それによって十字国をより一層しっかりとまとめるために必要な行為だったのだと、そう姫首相は言いたいのだと、この時の幹部は理解した。

 が、どうだろう。自分自身の重要性を今ひとつ理解していない姫首相のことである。

 アコビトを助けた時のように勢いで行動してしまい、それをごまかすためにそれらしいことを言っただけ、というのが案外真相なのかもしれない。



 北部では、次の通りの話を聞いた。


 共感政策を宣伝すべく、姫首相自らが遊説に回っていた時のことである。

 折しも雪祭りの時季であり、せっかく近くでやっているのだからと、視察というか観覧というべきか、見て回ることとなった。普段はこういう儀礼的なことは名誉職である大統領にやらせているのだが、まあついでである。

 その時のことだ。

 雪祭り会場の道が一部凍りついていたのだろう。

 姫首相が足を滑らせた。

 転びそうになる。姫首相は、そうせまいと、足を踏ん張る。が、その踏ん張りがまた滑る。

 そうして、ひとしきり、下手なダンスのようなステップを踏んだあげく、どうかこうかして、転ばずに落ち着いた。

 正直なところ、かっこ悪い。みっともない。

 気まずい空気が流れる。


 が、そこで、姫首相は笑った。

 ただ笑ったのではない。

 両手を腰にやり、少し前屈みになりながら、「くっくっくっ」と笑う。それから「ははははは!」と天を仰ぐようにして笑う。

 その笑い方が、何とも優雅であった。同時に王者らしさがあった。

 かっこ悪かった印象は、どこかに吹き飛んでしまった。

 笑うだけで不格好をなかったことにできるというのは、実に姫首相らしい。


 このエピソードにはちょっとした続きがあり、帰り際、姫首相は雪祭りの管理責任者を人が大勢いる前で呼びつけたのである。

 管理不行き届きの責を取らせるつもりか、と人々が思う中、青い顔をした責任者の両手を姫首相は、がっとつかむと、こう言ったのである。


「いや、素敵な雪祭りをありがとう」


 さらには、両手をぶんぶん上下に振る。肩ポンポン叩く。責任者が顔を赤くして頭を下げると、あらためて両手で握手をする。 

 責任を取らせまいとする気遣いであろう。

 この責任者は、十字国滅亡後も生き残り、復興後は、雪祭り復活祭を開催することになる。


「私にとっては素晴らしい人でした」


 筆者の取材に、責任者は、当時をしみじみと振り返るように、こう言った。




 東部においては、こんな逸話を得た。


 メジリヒト追放の革命が成立してから間もない頃、この独裁者によって処刑された人々が眠る東部最大級の墓地を、姫首相は慰霊のために訪れていた。

 カメラを持った取材陣もまた大勢いた。

 姫首相が墓の前に立って鎮魂の祈りを捧げようとすると、一斉に多数のフラッシュがパシャパシャと炊かれる。


 すると姫首相は、さっと振り返り、こう言った。


「今だけは、静かにしたまえ」


 その振り返るさま、声を出すタイミング、声の抑揚、表情、それらが全て絶妙であった。

 妙に逆らえない何かを感じてしまう、そんな見事な塩梅(あんばい)があったのである。

 取材陣は一斉にしんと静まりかえった。

 姫首相は「よろしい」というと、さっと姿勢を正し、鎮魂の祈りを捧げるのであった。


 この時、取材陣から少し離れたところで、ビデオカメラを構えている男がいた。

 別段狙ってそこに陣取っていたわけではなく、単に要領が悪くてはじき出されただけである。

 その男が、姫首相がさっと振り返るさま、静かにするように言い、取材陣達が水を引くように一斉に沈黙するさま、これらを見事にとらえていたのである。離れていなければ撮れない映像であった。

 男はその年の最上級映像賞を受賞した。


 後日、男は姫首相に会う機会があったおり、この時のお礼を言った。

 すると姫首相は「ふむ」とひとこと言ったかと思うと、その場にあった段差に片足を乗せ、上空をビシリと指さすポーズを取って見せた。

 男ははっとするようにすかさずカメラを構える。

 姫首相は、ははは、と笑い、「さすが最上級映像賞受賞者だ。シャッターチャンスを逃さないな」と言ったそうである。


 姫首相は普段、人前では怜悧冷徹な姿であるが、雪祭りの時といい、政治が関わらないと案外このように崩した顔を見せることもある。



 北方連邦にも取材に行った。


 姫首相は幼少のおり、この国に亡命していた。

 そのころ、彼女を気にかけていた人物の一人に、北方連邦の名誉大統領がいた。

 老齢のご婦人である。 


 北方連邦は元々ノースタキ王国という王政国家だった。王様がいて、王子や王女がいた。

 名誉大統領は元々王女だった。

 ところが革命が起き、王政は崩壊した。

 未来の名誉大統領である王女は、当時わずか三歳であり、大人達に連れられて外国に亡命した。

 帰国したのは、それから二十年以上経ち、色々と落ち着いたり、情勢が変わってからのことである。


 母国に帰った王女には、名誉大統領という職が与えられた。

 公式な政治権限は何もない。

 時折、形ばかりのサインをしたり、形式的な承認を与えたりするだけの仕事である。

 が、非公式の影響力はあった。

 彼女が、これこれこういうことを気にかけている、と発言すれば、政府の面々は、なんとなく気を利かせなければいけないような心持ちになるのである。


 名誉大統領が気にかけたのは、当時姫と呼ばれていた姫首相だった。

 なんと言っても、姫首相の境遇は名誉大統領と似ている。三歳で母国を追われ、外国に亡命した王族である。

 自分と重なるものを感じていたのだろう。

 次王女共々、気にかけ、会食に招待したり、観劇に招いたりした。


 北方連邦で姫首相達が安全な地位を得ることができたのは、この名誉大統領の気遣いがあったから、とも言えるだろう。

 名誉大統領は姫首相が十歳の時に亡くなり、これにより姫首相の北方連邦での立ち位置は微妙になり、徐々に居づらくなっていくのである。

 これがなければ、あるいは姫首相は十字国帰国の決断を下さなかったかもしれない。


 余談だが、名誉大統領には孫娘がいた。

 姫首相とは一歳違いだった。

 互いに頻繁に会える立場ではないものの、歳が近く、女の子同士ということもあり、それなりに仲良くなった。


 この孫娘と、国家元首となってのちの姫首相が、再会した。

 お茶とケーキを囲み、当時に戻ったかのように、二人して楽しげに語り合った。

 話が弾み、孫娘がつい昔のように、何気なく、ふざけて姫首相の肩をバシバシ叩いた。

 その時である。

 SP達がさっと反応したのである。

 反応は一瞬のことであった。すぐにまた、ごく自然と風景に溶け込むように、気配を消す。


 孫娘はただ一言、

「そうだったわね……」

 と言った。

 もうあの時の日々はかえってこないことを、この一言に込めたのだろう。

 二人の間には、もう子供の時の時間は流れていなかった。



 勇ましい話もある。


 元来、十字国は資源に乏しい。

 例えば原油はほぼ100パーセント、海外からの輸入である。主要な輸入先はブラー国という。


 そのブラー国で紛争が起きた。

 十字国はパニックである。

 原油の輸入が止まってしまうのではないか、と誰もが思った。

 原油がないと、ガソリンも軽油も重油も精製できない。車も走らないし、船も止まるし、発電所も半分以上が止まってしまう。

 車が止まれば都市に食べ物を運ぶことができない。

 発電所が止まれば工場も止まることになる。工場が止まれば、現代農業に必要な化学肥料も農作機械も作れなくなり、農作物が作れなくなる。機械も化学肥料も使わない昔ながらの農法では、生産できる食料の量がガタ落ちしてしまう。

 また、工場が止まっているのだから、工業製品を外国に売って、そのお金で外国から食べ物を買うこともできない。だいいち、買ったところで、船も動かないのだから運ぶこともできない。

 十字国民の大半が餓死してしまうのである。


 といって他のところから原油を買おうにも、生産側にだって事情はある。

 人口一億の先進国に必要なだけの注文を急にどうにかしろと言われても、色々と都合がある。


 この困難に立ち上がったのは姫首相である。

 産油国の一つであるイルオ王国に乗り込むと、王族同士のラインを利用して、権限のある王子と面会し、原油の増産とその購入を取り付けたのである。

 そうして、当面の原油を確保した十字国は、その時間を利用して世界各国の産油国と交渉し、少しずつ注文に応じてもらう形で、どうにかこうにか危機を乗り切ったのである。



 このように姫首相は、逸話には事欠かない人物である。


 あちこち訪れている。

 人間関係も意外とある。会って色々と話をしている。


 だが、それらは、姫首相が十字国滅亡に到るまでに下した数々の決断とは、驚くほど関係がない。

 影響を受けた様子がまるでないのである。


 姫首相の重要な決断は、交わり都市のごく一部の人間関係によってのみ、下されている。

 人間関係の代表的なものがアコビトであろう。

 とにかく、ひどく限定されているのである。


 それゆえ、本書においては、これらの逸話については、ほとんど触れていない。

 メインテーマと関係がないからである。

 主筋と無関係の話を長々と書くわけにはいかない。せいぜいが、こうして幕間で少しばかり語る程度である。


 それにしても、と筆者は思う。

 この異様さは一体何だろうか、と。


 今はただ、粛々と書き進めていくだけである。

 十字国が結末を迎えるまで、ただただ書いていくばかりである。

いつも「共感」を読んでくださり、ありがとうございます。

次回からは第3章が始まります。

明日11/21(火)、次話を投稿します。

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