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第31話 次が最後

 翌日、姫首相は官邸に出勤した。

 仕事は少ないが、ないわけではない。


 一区切りつけて休憩室に行くと、女性秘書のジョセイヒがいた。

 携帯電話をいじっている。


「あ、姫首相、こんにちは」


 携帯電話を持ったまま立ち上がる。その拍子に電話の画面が見えた。


「いやいい、座ってくれ」


 ジョセイヒは、それじゃあ失礼しまして、と腰掛ける。


「それはそうと」

 姫首相は自身も座りながら言う。長い足を優美に組む。

「まだ共感広場をやっているのだな」


「ああ、携帯の画面、見えちゃいましたかあ」

 ジョセイヒは笑って言う。

「これ、結構好きなんですよねえ」


「共感ポイントがずいぶんと高いのもそのせいか」

「ああ、それも見えちゃいましたかあ」


 頭をかいて苦笑いをするジョセイヒを見て、姫首相は彼女を見直す気持ちが芽生えていた。

 ジョセイヒは共感貴族ではない。政府の中枢に共感貴族がいたらまずいから、という理由でメンバー全員、一度調査されている。ジョセイヒは引っかかっていない。

 彼女はただ共感し合うことが好きで、得意で、それゆえ共感ポイントがああも高いのだろう。そしてそれを金儲けに利用することもなく、ただただ共感広場を楽しんでいるのだろう。姫首相はそう思った。

 姫首相はジョセイヒのことを、今まで特段すごいと思っていなかった分、なおのこと評価を改めたい心持ちになっていた。


「君からは以前こんな話を聞いたことがある。共感広場をやっていると、時おり共感できない内容の投稿が出てくるのが嫌だ、と」


 手触りの良さそうな長い黒髪をそっと指でつまみながら、姫首相は言った。


「そうでしたねえ」

「そうした書き込みは減っただろうか?」


「そうですねえ」

 ジョセイヒは、視線を上に向けながら、考え込む。

「まあ、共感広場の中では減りましたねえ」


「共感広場の中では?」

「つまり、実社会では、ええと実社会というのは実際に人と面と向かって会うことを言うんですけれども、そっちのほうは、はっきり言っちゃうと、あまり変わらないということなんです。えっと……」


 ジョセイヒは姫首相の顔色をうかがう。


「続けてくれ」


 姫首相は白い手を優雅にひるがえし、先をうながす。


「あ、はい。例えばですね、わたし電車通勤なんですよ。電車って、見知らぬ人同士が大勢、何分も何十分も同じ場所にいつづけるわけですよね。

 当然、いろいろな乗客の顔や仕草をずっと見てしまうことになるのですが、そうすると、まあ、だいたいわかるんですよ」

「何がだ?」


「共感できる人かどうか、です」

 ジョセイヒは言った。

「毎日電車に乗りますよねえ。色々な人と顔を合わせます。『ああ、この人と会って話をしたら、きっといろいろ共感できるだろうなあ』と思える人もいれば、思えない人もいます。見ればだいたいピンときます。それで気づいたんですが、増えていないんですよ、共感できる人が」


 共感ポイントの高いジョセイヒの言うことだけに、姫首相は説得力を感じた。


「つまりジョセイヒはこう言いたいのか。共感広場の中での人々の振る舞いは変わったかもしれない。けれども、現実世界においては何も変わっていないと」

「まあ、言ってしまうと」


 姫首相は、なるほど、と感心する。

 もっとも、電車の中で共感できそうにない人がいたとして、気になるかというと、ジョセイヒほど気にはならなかった。

 ただ、着眼点は面白いと思った。


「それで、ジョセイヒはどうすべきだと?」

「今申し上げたのは、あくまで一例です。この種の問題が十字国には多々あります。ですから」


 と、そこまで言ったところで、声がかすれたため、お茶を一口飲む。

 あるいは、わざとかすれさせて、間を演出したかったのかもしれない。

 ジョセイヒはこう言った。


「共感の専門家集団を準備すべきです」

「共感の専門家」


 姫首相はジョセイヒの言葉を繰り返す。


「はい。わたし、思うんですよ。共感の専門家ってどんな人だろうって。心理学者でしょうか? 精神科医でしょうか?

 でも、彼らは別に共感そのものの専門家、というわけではないですよね。もし共感の専門家がいるとしたら、何が共感できるもので、何が共感できないものであるかを、誰よりも理解している人なんじゃないでしょうか?」

「ふむ」


 姫首相はうなずいた。

 実のところ、姫首相は専門家というものに弱いところがある。

 政治の会議をする時、姫首相は自分の意見を積極的に述べたりはしない。政治の専門家である閣僚や議員の意見にまず耳を傾ける。口を挟むのは最小限にとどめる。事前にアコビトと相談していた場合を除き、概ねそうする。

 例えば、共感宣伝の会議の時、姫首相は「一通りの意見が出そろったところで、姫首相が口を開いた」という行動をとった。専門家に弱いからである。

 自らを真に偉大なる指導者と見なしていたら、また違った対応をしていただろうが、あいにくと彼女は演じているに過ぎない。自己評価は、自分はまだまだ未熟、ただの素人、というものでしかない。


 加えて、ジョセイヒの意見は、昨夜、アコビトと話をして決断した「みんなが共感し合える環境作りをする」という考えに沿っている。

 共感の専門家を集めれば、共感し合える環境作りを上手いことやってくれるのかもしれませんね、と思った。


(そうですね。共感の専門家を集めてみましょう)


 姫首相はそう考えた。

 もっとも姫首相自身は、近々首相職は辞任する。再選の見込みもないと思っている。


(ただ、まあ)

 と姫首相は思う。

(けじめはつけたほうがいいですよね)



 姫首相は国政選挙に立候補した。

 元々辞退するつもりであったが、考えを改めたのだ。共感政策の失敗を明らかにし、次の機会が与えられたならこうする、と表明すべきだと思ったのである。

 当選するとは思っていない。これは個人としてのけじめである。決断というよりも反省である。

 どうして失敗したのか、どうすればよかったのかを総括して終わりたかったのである。


 立候補に当たって記者会見を開いた。

 どれほど集まるかと思ったが、取材陣が大勢押しかけて驚いた。


「臣民諸君!」


 姫首相はおなじみのフレーズで記者会見を切り出した。


「我々は、いや私は共感政策を失敗した。国是であるにもかかわらず成功に導くことができなかった。よってあらためて首相辞任を宣言する。後継者はわたしの能力不足により、決めることはできない。選挙による国民の判断をあおぎたい」


 報道陣の中から、改めてため息交じりの声が上がる。

「本当に辞めるのか……」というつぶやき声も上がる。

 姫首相は続けて、こう言った。


「さて、首相は辞任するが、今回、わたしは国政選挙に立候補することとした」


 今度は、今までとは別の驚きの声が上がる。

 考えてみれば、姫首相は首相であるのに、一度も選挙に出馬したことがない。

 姫首相は、立候補の理由は失敗のけじめをつけるためだ、と言い、こう続けた。


「今から、共感政策の失敗の原因と対策案を述べる。そして、もし当選し、それ相応のポストが得られたら、次のチャンスにおいてはこういう政策をとるという公約を掲げる。それがわたしなりのけじめである。

 さて、まず失敗の原因から話そう。

 原因は金である。ネット政策を推進するに当たり、金をエサに掲げてしまった。それゆえ共感貴族などというものを生んでしまった。

 無論、今年度分の優遇策は、約束した以上、きちんと履行する。しかし、当選して、権限が与えられたならば、来年度以降の分については全面的に廃止したい。さて……」


 姫首相は記者達をぐるりと見渡す。


「さて、金が原因であるとは言った。

 しかし、それは根本原因ではない。問題は、我々政府が、臣民諸君に頼りすぎていたからである。

 我々の掲げた共感政策は、どれも諸君が積極的に努力しないと実現しないものであった。

 しかし、共感とはそういうものだろうか?

 臣民諸君のほとんどは毎晩寝るのに苦労はしていないだろう。それは寝るのに快適な環境が整えられているからだ。清潔で柔らかい寝具、安全な家、静かで適度に温度調節された部屋、こういったものがそろっているからだ。

 仮にそれらの環境が失われ、家も寝具も何もかもなくなり、寒空のもと、固く冷たい地面の上で寝る羽目になったとしよう。ここで政府が『快適に睡眠を取れるようにみんなでレッスンを受けましょう』などと言い出したら、臣民諸君は『いやそんなことよりまず部屋と布団をくれ』と思うだろう。

 共感も同じだ。睡眠を取るのと同じくらい、自然に摂取できるようにしたい。

 そのために必要なのは環境だ。ごく当たり前のように共感を得られる環境だ。

 ではどうやってその環境を作るのか?」


 姫首相は問いかけるように言う。


「それは新設する選抜共感会議で決める。

 会議は、これまた新設する共感試験によって選抜された会議員たちによって行われる。

 受験資格は共感広場で一定以上の共感ポイントを得ているなど、政府から指定された方法で、人々から共感を集めていることである。無論、共感貴族は除外する。優遇策は廃止するため、共感ポイントの唯一の活用先は試験の受験資格を得ること、ということになる。

 試験は筆記と実技と面接で行われる。合格すると選抜共感会議員に就任する。

 給料はさほど高くない。他の公務員と同程度だ。しかも任期がある。安定した職とは言えない。

 代わりに、共感政策の立案に関わることができる」


 姫首相は髪をかきあげる。息を吸い込む。吐く息に言葉を乗せる。


「わたしは遅ればせながら、ようやく気づいた。共感政策とはすなわち、国民の誰もが意識せずとも自然と共感し合える、そんな環境を作ることだ、と。政府が為すべきことは、努力せずとも当たり前のように、みんなが共感し合える環境を築くことだったのだ。

 ゆえに、臣民諸君、わたしは約束しよう。もし諸君らが、わたしに今一度チャンスを与え、首相に当選させてくれたならば、わたしは全力でこの環境を作ると!

 そう、みんながみんな、ごく当たり前に、ごく自然に共感し合えるような、そんな環境をわたしは作る。約束だ!」


 会見はこれで終わった。



 ひと月後、選挙の結果が出た。


 姫首相は国会議員に当選した。

 のみならず、首相指名投票でも最多票を獲得した。


 後世の歴史家は言う。

 結局のところ十字国の最大の問題は姫首相の他に人材がいないことであった、と。

 指導力のある人間、カリスマのある人間、魅力のある人間、政治力のある人間、といった人材は大勢いただろう。けれども彼らには「この人になら従ってもいい」と人々に思わせる理由がなかった。

 というより、姫首相の理由が強すぎた。独裁者を自ら先陣を切って血を流してまで打倒した美しいお姫様である。神話のようであり、おとぎ話の英雄のようであり、映画のようであった。

 彼女に替えてまで国家元首にしたいと思える人材など、どこにもいなかったのである。


 首相を自ら辞任し、騒ぎを起こしたことも、致命的な打撃にはならなかった。

 結局のところ姫首相の代わりはいないのである。

 そのような大前提があることを、みな、無意識のうちに感じ取っていたからだろうか。辞任騒動についても、「権力にしがみついていたメジリヒトと比べ、失敗したら自ら責任を取る潔い行為」と評価しなければならない空気に、いつのまにかなってしまっていたのである。


 当の姫首相はというと、驚いていた。

 皆さん、そんなに甘くていいのでしょうか、と思った。

 思いはしたが、選ばれた以上、期待されているということである。

 期待には応えなければいけませんよね、と思った。


 同時に、次が最後でしょうね、とも思った。

 次も失敗してしまったとしたら、さすがに三度目のチャンスを与えられることはないでしょう、と思った。

 絶対に失敗できない、という思いが姫首相のうちに湧き上がっていた。


 憲法を制定し、共感を国是とすると定めてから二年が過ぎていた。

 この時、姫首相は十九歳、アコビトは十一歳だった。


 なお、この当選を期に、姫首相はセーラー服をやめ、代わりによく似た意匠の黒の上下を着るようになった。

 トレードマークのセーラー服であったが、そろそろ着るような歳ではないから、と考え、別の似たような服に替えたのである。


 姫首相の第一次首相時代は、こうして終わった。

 ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まろうとしている。


 第2章完

 第3章に続く

いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。

第2章はこれで完結です。

幕間を1話挟んだ後、第3章が始まります。

次話は明日11/20(月)に投稿します。

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