第29話 なぜ「一生懸命」働くのか
姫首相が私邸に戻ったのは日も暮れた頃であった。
結局、何も決めることができず、すごすごと帰ってきたのである。
自室で一息ついていると、アコビトが入ってきた。
「姫ちゃん」
ふわふわした髪を揺らしながら駆け寄ってくる。ぽすんと顔を姫首相の胸に押しつけ、ぐりぐりする。
十一歳になり、以前ほど明白に甘えることは減った。どことなく雰囲気も変わった。
絵が上手く行っていることで自信が出て来たのか、しっかりしてきている。
急激に成長し始めている。もう、以前ほど小さいわけでも幼いわけでもない。口調も少し変わった。自立した大人への道を着実に歩み続けている。かつてほど悩みを相談してくれなくなったことにも、姫首相はもう気づいている。
それでも二人きりになった時は、今そうしているように、たまにではあるが甘えてくる。
あるいは前回、姫首相の手を「いやっ!」と叩いて気まずくなってしまったことへの反動かもしれない。
理由はなんであれ、甘えられて姫首相は嬉しかった。
たまにしか甘えてくれないのが寂しくはあるけれども、それでも嬉しかった。ふんわりした髪をそっとなでる。アコビトも、嬉しそうに笑う。
二人して笑い合う。
寂しい気持ちが紛れた気がする。
アコビトは首相辞任のことは一言も口にしなかった。気を遣ってくれているのかもしれない。
姫首相も口にしない。代わりに絵の話をする。
「賞のことはいいのですか?」
「うん。あれは、あくまで、将来に期待って言っているだけだよ。まだまだこれからなんだから」
「今は描かなくていいのですか?」
「むやみに描いても、あまりいいのができないんだ。ときどきバババってやるのがいいんだよ」
「つまり短時間で集中してやるのが良い、ということですか?」
「うん、そんな感じ」
姫首相は少し考え込んだ。
もう十年も前、じいやが言ったことを思いだしたのだ。
話自体の主旨は忘れてしまったが、十字国民は「みんなで努力する」ことを好む、といったことを言っていたような気がする。
じいやの言葉通り、十字国民は、とかく一生懸命に働く。
「一生懸命働く」という言葉に悪い印象を持たない。
例えば、災害映画では、主人公が家にも帰らず徹夜で問題解決に当たる姿が描かれる。八時間睡眠をばっちり取る姿は描かれない。
スポーツ大会では、選手生命を失うことになろうとも、全力で身体を酷使して勝利に貢献することが美談とされる。
会社では有給休暇を取った者は休み明けに「良いリフレッシュになりました」と言う。あくまで人生においては仕事がメインで、仕事のためのリフレッシュとして有給休暇を取ったのだという体裁を取る。
逆に警備員が職務中にあくびをすると、ただちにクレームが入る。
駅員がホームに落ちているものを拾おうとかがんだところ、座って休んでいる、けしからんと苦情が入れられた事例もある。
これらの根源には何があるのだろうか?
ふと、そんな疑問が湧いてくる。
アコビトにたずねてみた。
「昔はどうだったのかな?」
アコビトは、ふわふわした髪をゆらしながら、そう答えた。
「昔ですか?」
「うん、ずっとずっと、何百年も昔」
「どうでしょう?」
姫首相にもわからない。
使用人に資料を持ってくるよう命じた。
私邸には十字国のちょっとした歴史資料室のようなものがある。近くに図書館もある。
歴史好きの使用人が一人いて、これならどうでしょうか、と本を一冊持ってくる。
そうして手に入れた資料を床に広げ、二人して読み合う。
すると五百年前の時点で、こと農村部では、今と大して変わらないことがわかった。
村では、決して仕事をなまけるべからず、という掟がある。汗水を垂らすことこそ尊いという標語もある。
誰々さんちの某がどのようになまけていた、といちいち記録に残っている。仕事中に両手を上げて伸びをしていたのできつく注意した、とも書いてある。
水路の整備など、村で共同して当たる仕事において、自分の担当する作業が終わったからと、まだ忙しくしている村の面々をよそに、さっさと休んでしまう。そんな行為を繰り返していた村人を、村八分にしたという記録もある。
「手が空いている人は、他の人の仕事を手伝うべきだ」という村側の意見と、「そんなことをしたら自分の仕事を早く終わらせる動機がなくなって、かえって非効率だ」という村人の意見が衝突したそうであり、そんな村人の言い分に対して「なまけ者の卑しき性根なり」と書かれている。
記録は様々な方法で残されている。村の中で記録を残した例もあれば、外から訪れた商人なり役人なりが記録を残した例もある。外国からきた貿易商や宣教者による記録もある。
それらが共通して、十字国の様々な地域の様々な村々で、一様に前述のようであったと書き残している。
この時代、農村部の住民が人口の九割以上を占めている。つまり、十字国民のほとんどがこうであったということになる。
「どうして、こうだったのでしょうね?」
「なんでだろうね?」
二人して首をひねる。
どうしてだろう、なんでだろう、と首をかしげる。
「この時代の農村の人たちって、普段何をしていたのかな?」
「と言いますと?」
「えっとね、つまり、一日の過ごし方とか、一年間の過ごし方とかそういうのだけど」
アコビトの疑問に答えるべく、また資料を依頼する。
資料はあっという間に届く。自分の得意分野である歴史知識を生かせる機会が来たと、使用人がはりきったのだ、
二人して目を通す。一年間の過ごし方のところで、アコビトは妙なことに気がついた。
「一年に二回、必ず忙しい時期があるよ」
「確かにありますね」
田植えの時期と収穫の時期である。十字国民は米を主食とする。春に田植えをし、秋に収穫する。必然、これらの時期は忙しい。
「あと、台風がよく来るね」
「来ますね」
「この時も忙しいみたい」
「家屋や田畑を守るために、色々必要なんでしょう」
十字国の国土は台風の通り道にある。毎年、夏から秋にかけて、幾度も台風が来る。時には甚大な被害が出る。
水害を防ぐために土嚢を積んだり、家屋を補強したりといった現実的な対策から、台風を遠ざけるために木々に錆びた鎌をくくりつけるという迷信じみたものまで、やるべきことはたくさんある。当然、忙しい。
「それがどうかしましたか?」
「何か引っかかるんだよ」
言われて姫首相も考える。
田植え、収穫、台風。
自分が村長だったらどうするか?
姫首相は考えた。
田植えも収穫も一年のうち出来る時期が限られている。
台風であれば、来るとなったら急いで対策しないといけない。
失敗したらどうなるだろうか?
食糧生産に大きな支障が出る。食べるものがなくなる。最悪餓死してしまう。村が滅んでしまう。何が何でも避けなければならない。
(となると……)
何かが見えてきた気がした。姫首相は口を開いた。
「私が村長だったら、こうします」
いつも「共感」を読んでいただき、ありがとうございます。
次回30話は、明日11/17(金)に投稿予定です。