第27話 辞任すべきか?
様子は悪くなるばかりだった。
盛り上がり度数は急速に下がっていく。参加者の一日当たりの投稿数も、他の参加者の投稿に共感を示す回数も減る一方である。
企業の中では疑心暗鬼が広まりつつある。
あいつはたくさん共感されそうなやつだ、共感ポイントが高そうなやつだ、ということは会社から金をもらっているんじゃないか、と疑われる。
疑われた社員は時には携帯電話を力づくで取り上げられ、共感ポイントを強制的に調べ上げられることもある。
騒ぎをおさめるために、会社側が社員全員の共感ポイントを聞き出し、リストにして発表する例もあった。その会社では発表後、今後は共感ポイントの低い社員が白い目で見られるようになったそうである。
ポイントが高すぎると嫉妬されるが、低すぎると軽蔑されるのである。嫌悪の目で見られるのである。どうしてあいつはあんなに共感ポイントが低いんだ? 誰からも共感されていないということか? 大丈夫なのか、あいつは? あんなやつと一緒に仕事したくないぞ。そんな目で見られてしまったそうである。
共感ポイントが低いある社員は幼児向けのテレビ番組の鑑賞を趣味としており、また別の社員は数学の問題を解くことを趣味としており、いずれも、なぜそんな皆から共感されないような趣味を持っているのだと、ひどく非難された。
これらはまだまだ一部の例に過ぎない。
けれども、この先、どうなるかはわからない。一部の例では済まなくなるかもしれないし、もっとひどいことになるかもしれない。
盛り上がり度数が急減したのは、こういった世の中の雰囲気を反映してのことであろう。
共感委員達はといえばこの事態に「共感広場への参加を成人以上に限定していてよかったですな」と言うばかりである。
未成年の参加も許容していたら、学校内でこれを材料にしたイジメが起きていたかもしれない。それが起きなくて良かったと言うのである。
「それで今後についてなのだが」と姫首相が言うと、ようやく議論が始まる。
始まるが何も決まらない。
企業減税措置は今年度限りで廃止すべきだという意見が出る。いっそのこと優遇措置そのものを廃止すべきではという声も出る。まだ始まったばかりだからもう少し広い目で見たらどうかとの発言も出る。ネット政策そのものをやめてしまおうという声すら出てくる。
姫首相は何も言わない。
委員達の意見はバラバラである。
何より、共感広場も優遇策も、姫首相が率先して主導してきたものである。今さら何を言えるのでしょうか、という思いがある。
(こんなことがしたかったのではなかったのです。こんなことがしたかったのでは……)
姫首相の胸の内に「辞任」という言葉が浮かんだ。
「責任は私が取る。失敗したら首相を辞任する」と姫首相は言った。
今、まさに失敗しようとしている。共感広場は国民の信頼を失いつつある。であれば前言通り辞任すべきかもしれない。
しかし一方で、まだ立て直せるかもしれない、という考えもある。
企業減税措置のみを廃止し、共感貴族を罰する。そうすればやり直せるかもしれない。
だがどうだろう。すっかりケチのついた共感広場を今さら復興できるだろうか。
他の優遇策にしても抜け穴があるかもしれない。
そもそも「抜け穴があるかもしれない」と思われてしまうこと自体が問題だ。実際は穴などなくとも、あるかもしれないという疑いは、この先ずっと残り続けるだろう。共感貴族などもういません、一掃しましたと言ったところで、どこまで信用されるか。
信用がなければ、投稿に共感を示す事がためらわれる。共感を示す事で、また共感貴族を生んでしまうかもしれないからだ。共感を気軽に示してもらわないと、共感広場の運営が成り立たない。
(であれば)
と姫首相は思う。
(であればやはり辞任すべきでしょうか……?)
でも、と思う。
姫首相には貢献欲がある。みんなの期待に応え、世の中をよくしたい。そういう思いである。
辞任など大したことないと思っていた。代わりに政治の専門家が就けばいいとさえ思っていた。
けれども、いざ辞任が現実的になると、これほど世の中に貢献できる仕事は他にないことに気づく。
貢献できるチャンスなのである。
首相を辞めてしまってはそれもできない。
とはいえ、失敗したら首相を辞任すると明言してしまった。まだ失敗してないと強弁したところで、やはりどう見ても失敗に見える。
先日は共感貴族だと疑われた会社員が暴行を受ける騒ぎがあった。
電車の中で携帯電話を使って共感広場をやっていただけで、共感貴族だと決めつけられて殴られた事例もある。
共感広場の国民相談窓口に寄せられる苦情は増える一方である。
あるテレビ局は共感貴族の特集番組を組んで流した。顔を隠して出演した共感貴族は、「共感広場にはずいぶんと儲けさせてもらいました」と言って、平均的な会社員が百年かかっても稼げない額の入った通帳を誇らしげに見せた。
放送直後、盛り上がり度数は崖を落ちるように激減した。今も戻っていない。
決断の時が迫っていた。
◇
私邸に帰るとアコビトがいる。
「姫ちゃん、おかえり」
と迎えの言葉を言う。
「ただいまです、アコ」
姫首相は言う。
それから、ためらいながらも口を開いた。共感広場の件で相談したいと思ったのだ。もう守秘義務だ何だと言っていられなかった。
「あのですね、アコ。共感広場のことなんですけれども……」
そう言って姫首相はいつものように相談を始める。
アコビトはそれに対して、うん、うん、と笑って答える。
内心は不安で渦巻いている。アコビトは国の指針に共感を据えている現状に、説明しようのない不安を覚えていたからだ。話を聞くだけで、言いようのない怖さに襲われる。
これまでは守秘義務の都合上、姫首相から共感政策の話をされたことはなかった。されたとしても「共感」の部分を伏せた一般論として話をされたり、「共感」を別の何かに置き換えた例え話の形で相談されたり、といったやり方であった。
こうもがっつり共感の話をされるなど、初めてであった。心の準備もない。
アコビトの動悸が次第に高まっていく。
姫首相の話が進むにつれ、だんだん気持ちを隠しきれなくなる。
自分でも言葉にできないような不安で姫首相を困らせてはいけない、と思えば思うほど、身体ががくがくと震えてくる。
ついには姫首相が「それでですね、今後についてなのですが」と言って何気なく伸ばした手を「いやっ!」と叫んではねのけてしまう。
「アコ……?」
姫首相は信じられないものを見たかのように呆然とする。
「あ、あ、ご、ごめんなさ……」
アコビトは気がつくと体ががくがく震えていた。
そんな震える体を自らの両手で抱きしめながら、つっかえつっかえ謝った。
何度も謝った。
姫首相はしばしの間、じっとアコビトのことを見ていたが、突然、「うん、この話はやめましょう!」とパンと手を叩いた。
そうして、「え? え?」ととまどうアコビトの両手を手に取ると、「さあ、両腕の上下運動ですよ、ばんざーい、ばんざーい」と何度も上げ下げする。
アコビトは目を白黒させる。
ただ、つないだ手のひらが温かいのはわかる。ぬくもりを感じる。だんだんと震えがおさまっていくのがわかる。
「ひ、姫ちゃん。もう大丈夫だよ?」
アコビトが言うと、姫首相は手を放し、そうしてにっこり笑ってたずねた。
「そういえば、読書感想文の宿題が明日まででしたよね。ちゃんとやっていますか?」
アコビトは不意を突かれたように一瞬言葉に詰まるが、すぐにこう答える。
「え、えっと、まだだけど……」
「もお、ダメじゃないですか。どこで困っているんですか?」
「その、書き方がよくわからないんだよ」
そう言ってアコビトは感想文の題材の本を見せる。適当に表紙がかっこいいのを選んだと言う。
まだ最後まで読んですらいないらしい。
そこで二人して、一緒に本を読むことにした。
体を寄せ合い、交互に声に出して読む。
冒険の物語である。
主人公は嵐の中を走る。剣を持って戦う。悪者の馬車を奪って脱走劇を繰り広げる。
けれども、なかなか冒険の舞台に辿り着かない。タイトルが「マルガル島の冒険」であるのに、船にすら乗っていない。
「この人、寄り道してばかりですねえ」
「さっさと行ってほしいよね」
とうとう最後まで目的地に着かなかった。最後のページには「航海編に続く」とある。続刊ものだったらしい。
二人で顔を見合わせ、それから声を出して笑った。
読書感想文は「わたしが考える航海編」と題し、主人公の大活躍をでっちあげることで済ませた。
「そんなのでいいの?」とアコビトが聞くと、姫首相はすました顔で、「最初に、『わたしはこの本を読んでとても主人公のことが好きになりました。どれくらい好きかというと、今後の活躍を想像して書いてしまうほどです』と書いておけば、読書感想文っぽくなるから大丈夫ですよ」と答えた。
やがてアコビトは寝静まる。
姫首相は先ほどのアコビトの表情について考えた。
彼女はどうしてあんなにおびえたような反応をしたのだろうか?
今さら本人には聞けない。
けれども考えなければならないと思った。
これまで一緒に悩み、考え、決断してきたアコビトのことである。納得のいくまで考えなければ気が済まなかった。
あれこれ思考を巡らせる。
共感が国是であること自体は絶対的に正しいという前提に立っているので、土台からアコビトの考えと異なっているのだが、それには気づかないまま、どうかこうかして理屈を組み立てる。
結論は、アコビトは姫首相に首相辞任を期待してる、というものだった。
国民みんなが共感し合える国作り、という方針は無条件で正しい。
けれども、それを実現する政策が間違っていた。
間違っていた以上、トップである首相は速やかに責任を取って後継者に道を譲らなければ、共感し合える国作りが頓挫してしまうかもしれない。
アコビトはそれを不安がり、恐れていたのだ。
「そうですか。アコはわたしに首相辞任を期待していたのですか」
口に出してみると、辞任することがとても自然なことのように思えた。
何よりアコビトが期待しているのである。目の前でこうもはっきりと期待されたのである。
国民の期待に背いて職を辞してしまうのは恐怖であるし、みんなから白い目で見られてしまうかもしれないと思うととても恐ろしかったが、アコビトがすぐ側で期待してくれていると思うと、何だか勇気が湧いてくる。
一緒にいてくれる、側で支えてくれていると思うと、震えるような恐怖であっても克服できるのである。
(期待に応えなければいけませんよね)
姫首相はそう思ったのである。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話は明日投稿します。