第26話 共感貴族
二ヶ月後、姫首相は報道会見の場に臨んでいた。
「……以上のように、みんなが互いに共感し合える国家を作るため、我々政府は共感広場というウェブサイトを全国展開することにした」
姫首相は居並ぶ記者達に向けて言う。
相変わらず姿勢がいい。威厳と自信に満ちあふれた態度である。
演説中は常にそうであるように、大衆に訴えるべく、言葉に熱がこもっている。原稿も見ず、視線は堂々と正面を向いているので、テレビ越しに見ている国民は自分に話しかけられているかのように感じる。
「この共感広場というものは、成人以上であれば誰でも参加できる。一日十回まで投稿することができる。
何を書いてもいい。家庭の話でも趣味の話でも、守秘義務と良識の範囲内なら仕事の話でもいいだろう。
他の参加者の投稿も見ることができる。
ただし誰が書いたものかはわからない。というより、共感広場では個人名を出すことは一切禁止する。有名人が有利になってしまうからな。
だが、名前はわからなくても、その投稿に対して共感を示す事ができる。
共感を示すとどうなるか? ここで共感ポイントの話をしよう」
姫首相は一呼吸入れ、話を続ける。
「共感ポイントとは、参加者個々人の持つポイントである。あらかじめ要点を言っておくと、みんなから共感されれば、たくさんポイントがもらえる仕組みになっている。つまり、あなたが何か投稿する。その投稿に大勢の人が共感する。すると大量のポイントがあなたに入る。そういう仕組みだ」
そう言って姫首相は、細かい数字やルール、不正行為防止の方法、身体などにおいて何らかの不自由のある人への配慮、について話した。
一通り共感ポイントの説明が終わると、姫首相は「さて」と言った。
「さて、ここで臣民諸君に言いたいことがある。共感はマナーである」
姫首相は宣言する。
「繰り返す。共感はマナーである。
つまりこうだ。
我々は皆、社会生活を送る上でマナーを守っている。人前で大声を出さない。最低限の身なりは清潔に整える。ゴミは決められた場所に出す。いずれも周囲の人間に良い感情をもたらすためのものである。心地よくさせるためのものである。
では、共感はどうか? 臣民諸君は、言動や振る舞いに大いに共感できる人を見かけたら、どう思うか? 会社で、学校で、家庭で、『ああ、この人、共感できるなあ』と思える人に出会えたらどう思うか?
心地よいだろう。良い感情が得られるだろう。
わたしは、そんな周りを幸せにする人たちを、ほめたいのだ。大いにほめちぎりたいのだ。
なぜなら、共感ポイントの高い人、すなわち皆から共感される人というのは、それだけ周囲を心地良くしているということだからだ。素晴らしい人物だからだ。大事にしたい人だからだ。国家の宝だからだ。
宝に対しては、政府としても報いたい。よくやってくれたと気持ちを示したい。人々を幸福にすることで、大いに経済効果も発揮するに相違ないであろうから、国をお金の面でも豊かにしていることになる。それをお返ししたい。具体的には……」
姫首相は、本人及び所属企業の減税、保険料減額、公団住宅優遇など、各種の「気持ち」を列挙し、最後に感情のこもった声でこう言った。
「臣民諸君! わたしは何度も繰り返そう。共感はマナーである。
だからこそわたしは、マナーを守り、周りのみんなを幸せにしている人間に報いたいのだ。大いにほめたいのだ。賞賛したいのだ。素晴らしい人だ。よくやった。ありがとう。これはお礼だ。こう言いたいのだ。
どうかわたしに、素晴らしい皆々殿へのお礼をさせてほしい!」
会見はこれで終わった。
◇
共感広場の全国展開が始まった。
共感マナー論の演説が効いたためだろうか。優遇策への批判はさほど強くなかった。
盛り上がりは上々だった。
参加者は日ごとに増えていく。みな、大いに投稿する。また共感を示す。
これらを総合した盛り上がり度数という数値が出されるのだが、報告される数値は毎日のように上昇していく。
三ヶ月ばかりが過ぎた。
「盛り上がっていますなあ」
閣議で情報通信大臣が嬉しそうに言う。
日頃は、今ひとつ影の薄い人物であり、そういえばこんな人もいましたっけという印象であるが、こういうときは素直に喜びを示す。
姫首相も機嫌よく同意する。
姫首相は機嫌のよいまま、記者会見に臨み、マナーを守っている人間は素晴らしいとほめちぎる。終始絶賛の言葉を浴びせる。
ありがとう、君たちのおかげで十字国はより住みよくなっていっている、と持ち上げる。
私邸に帰ると、アコビトにも嬉しそうに言う。
「よかったです、アコ。盛り上がってます」
「うん、そうだね」
アコビトはうなずく。
この頃は声の響きや抑揚から少しだけ子供っぽさが抜けてきた。
とはいえ、ふんわりとした雰囲気は、いつもの通りである。
だから、じっくりと観察しないと、元気がないことには気づかない。
アコビトは共感を国の指針とすることに、えも知れぬ不安感を覚えている。共感政策の話をされるとその不安を思い出す。
どうしてこんなにも危惧を抱いているのか、自分でも説明はできない。
だから、変なことを言って姫首相の邪魔をしてはいけないと、そのことは口にしない。不安な気持ちを押し込める。
「あ、えっと、そういえばね、絵をね、また外国のコンクールに送ったんだ」
話をそらすようにアコビトは言った。
「おお、あの絵ですか」
アコビトはこの間まで学校のクラスメイトを題材に絵を描いていた。
姫首相の絵を描くと、外国でも名の知られている有名人の姫首相を直にモデルにした、という付加価値がついてフェアではないと考え、無名のクラスメイト達を題材にしたのだ。
学校の教室も描かれていて、生徒達はそこに半ば溶け込んでいる。全体として独特のゆがみがある。二次元と三次元が並列して存在している。色も形も次元さえも、歪み、また溶け込んでいる。
けれども不思議と気持ち悪さや不気味さはない。当のクラスメイト達も、絵を見て別段不快な気持ちにならなかったという。
あるのは、独特の雰囲気であり、絵から目を逸らせまいとさせる力である。
「きっと入選しますよ」
「うん、ありがとう」
アコビトはうなずいた。
にっこり満面の笑みを浮かべながら元気よくうなずいた、というわけではなかった。
◇
さらに一ヶ月が経過した。
盛り上がり度数が陰りを見せ始めた。
徐々に上昇をやめ、停滞する。ついには少しばかりではあるが下がり始めた。
頭打ち、というにはやや早い。官僚達の見積もりでは、もう少し伸び続けるはずである。
「どうしたのでしょう?」
情報通信大臣が困ったように言う。
「どういうことだ?」
姫首相も首をひねる。
ひねっていても何もわからない。
緊急で共感委員会を招集する。
共感貴族の話を聞いたのは、その席でのことである。委員の一人がそんな噂があると口にしたのだ。
「なんだ共感貴族とは?」
姫首相の問いかけに、委員は「あくまで噂ですので……」と前置きした上でこう言った。
「どうも共感ポイントを多く得ていることを笠に着ている連中のようなのです。横柄な態度を取ったり、共感ポイントを金儲けの道具に使ったり……」
「金儲けの道具? どうやって?」
「そこまでは私もちょっと、その……」
「わからぬなら、さっさと調べろ」
「は、はいっ!」
姫首相がにこりともせず、出来の悪い家臣を蔑むような目で命じると、委員は飛び上がるように席を立ち、調査に向かった。
翌週の共感委員会で報告された事実は、委員達にとって衝撃的なものだった。
共感ポイントが高い人物への特典に一つに、所属する企業の減税措置がある。
これは、皆から共感されるような人材を育てた企業への優遇措置という意味合いだったが、これを利用して、高ポイント者の中から自らを大企業に売り込む者が続出したのである。
企業は扱う金額が大きい分、減税効果も大きい。大企業であれば1パーセント減税されるだけでも平均的な会社員の生涯年収を上回る効果がある。
高ポイント者はこれに目をつけた。
自分を雇え、私の共感ポイントはこれだけ高いのだぞ、雇うだけで毎年莫大な減税効果があるぞ、その半分を私によこせ、嫌なら他に会社に行くぞ。そう話を持ちかけたのである。
中には複数の企業間で自分を雇う権利をオークションにかけた者もいる。
共感貴族の存在は徐々に世間に知られつつある。
何しろ大勢いる。中には自分がいかに高い報酬を得ているか、いかに上手くやったかを自慢げにひけらかす者もいる。
共感貴族には出社義務はほとんどないが、おもしろ半分に出勤して、誰も逆らえないことをいいことに横柄な態度を取ってまわる者もいる。
そこまでする者は稀だとしても、急に羽振りが良くなり、どうしたことかと家族が聞くと、まあ実はこういう事情なんだと打ち明けることはよくある。
そこから世間に広まっていく。
だいいち、共感貴族という呼称がついていること自体、世間に知られてきている証拠である。
共感が金儲けの道具にされているのである。
それも露骨に大金を稼ぐ手段に用いられている。
十字国民は汗水を流して苦労することを尊いと思っている。楽にお金に稼ぐことに嫌悪の目を向ける傾向がある。
それゆえ、今回のケースは、いかにも致命的に思われた。
共感委員会の席上では、ただちに企業減税措置をやめるべきだという意見があがる。
いやしかし初年度でいきなりやめてしまっては体裁が悪いという反論が出る。
体裁はともかく、企業の中には社員が大勢の人から共感されるよう、真剣に教育しているところもあるのだから、そういう企業の努力を無に帰すようなことをするのはどうか、と言う委員もいる。
ある委員は、こんなことが起きてしまったら共感広場を誰も使わなくなってしまう、と言った。なぜかといえば、自分が共感を示した相手が共感貴族かもしれず、自分の共感が露骨な金儲けの道具に使われてしまっているかもしれないからだ。自分の気持ちを馬鹿にされたような気持ちになってしまうではないか。共感広場はもう終わりだと、この委員は言った。
別の委員が、まあまあ、と言う。盛り上がり度数はまだまだ高いのだし、参加者達もあまり気にしていないのでは、と言う。
意見はバラバラである。
姫首相は決断を下せない。
結局何も決まらず、しばらく様子見をしましょうという雰囲気に落ち着いた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は明日投稿します。