第25話 ジョセイヒ
姫首相は首相在任中、主にアコビトとの会話により、様々な思想を得た。
人間は感情を満たすために生きている。
楽しいは成長である。
親切にお金で返礼するのが失礼なのは、貢献欲や自己実現欲が台無しにされるからだ。
まだあるが、キリがないのでこのへんにしておこう。
これらの考え方は後世、肯定されることもあれば否定されることもある。
否定の声で多いのは「十字国が滅んだ以上、姫首相のこれらの思想も間違っているのだ」というものだが、となると、では十字国はいったいなぜ滅んだのか、という疑問にぶつかってしまう。
直接の原因は、わかりきっている。
○○を△△したからである。
姫首相がそうする決断をしたからである。
では一体なぜそんな決断をしてしまったのか?
決断に到るには、プロセスがある。
プロセスには様々な人物が関わってくる。
ジョセイヒという若い女もその一人である。
さて、アコビトの部屋を出た姫首相は、癒やしの時間が終わったこと、および問題がまだ解決していないことを自覚していた。
「ネット政策に対し、優遇策を導入する。優遇する理由も設ける」というところまで、姫首相は決断した。
重要なところはアコビトとの話の中で、もう決まっているという感覚がある。後は「優遇の理由をどうするか」の具体的なアイデアを考えるだけであり、そんなことは大して重要ではないと思っている。ぱっと自分一人で決めてしまって良い程度のことだと思っている。
ただし、その具体策のアイデアを思いつけば、の話である。思いつかなければ、決断することもできない。
(共感広場の参加者たちは)
と姫首相は思う。
(参加者たちはきっと、みなさん、共感したい、共感されたいという感情を満たすために参加しているのでしょうね。だから、そこに優遇策を導入して、お金のやりとりが入ってきてしまっては、お金で感情を売り買いしているような印象を与えてしまいかねません。
言い換えれば、そういう印象を与えないように、みんなが納得する理由にもとづいて優遇策を導入すればいいんですよね。でも、どうやって?)
アイデアは見つからない。
執務室で考える。移動中の車の中で考える。風呂で考える。
何も出てこない。
日にちが一日一日と過ぎていく。
それでも何も浮かばない。
ある日、姫首相は官邸の休憩室に足を運んだ。
女性向けの休憩室である。
女性向けと銘打たれているわけではないが、いつのまにか、そういう扱いになってしまっている部屋である。
この時は秘書がいた。
二十人いる首相秘書の一人である。
「あー、こんにちはー、姫首相」
女性秘書は軽く手をあげてあいさつした。
初めて休憩室で彼女と出くわした時にはずいぶんと恐れ入られたものだった。
今ではだいぶなじんでいる。彼女の素のしゃべり方であろう、気安い口調で話す。
女性秘書は名をシオ・ジョセイヒと言う。
歳は二十代半ばである。髪は肩口で切りそろえている。表情はさばさばしていて、話しやすい雰囲気を持つ。
官邸事務スタッフの中では、姫首相に最も年齢が近い。
「お疲れですか?」
「まあ、ちょっとな」
姫首相はそう言ってジョセイヒ秘書の手元を見る。
携帯電話を持っている。姫首相が来るまで、いじっていたのだろう。その画面がここ連日見続けてきたウェブサイトのものであることに気がつく。
「共感広場をやっているのか?」
「ええ、プライベートとしてですけどねえ」
姫首相は考える。
たまにはアコ以外の人に政治の相談してみるのもいいのではないでしょうか、と。
姫首相は首相なので、もちろん日ごろから様々な相手と政治の話をする。始終する。
しかし相談という形式でも雰囲気でもない。会議だの会談だの協議だのといったものである。話す相手はたいてい歳が大きく離れていることもあり、気安い相談という形にはならない。
この女性秘書相手には、天気の話だの、ファッションの話だの、ショートケーキを尖っている方と広がっている方のどちらから食べるかだの、といったような話しかしてこなかったが、考えてみれば、秘書を相手に政治の話をするのは自然な行為に思えた。
無論、アコビト以外を相手に素を出すことはできない。
幼少の頃より、あらゆる相手に対して、冷然、威厳、気品を兼ね備えた支配者としての振る舞いをしてきた姫首相は、今さら素を出すことなどできない。
大変な勇気を要する。
ただジョセイヒ相手であれば、同性で歳も近く、また、こうして時おり話をすることで、お互いがなじんできたこともあり、平素より威圧感も冷徹さも弱まるのである。
素は出せずとも、雰囲気はそれなりに柔らかくなる。相談するにはちょうど良いと思った。
あるいは姫首相がこのように考えたのは、このところアコビトからの相談が減ってきていることを、無意識のうちに感じ取っていたからかもしれない。
姫首相からは相変わらずのペースで相談する。けれども、アコビトからは、出会って間もない頃と比べて、悩みをあれこれ打ち明けられる件数が、少しずつではあるが減ってきている。
アコビトは少しずつ自立しようとしている。自分の問題は自分で解決しようとしている。姫首相のことは好きだし、決断の姿は格好いいと思っているけれども、それはそれとして自立はしなければならないと思っている。
このようにして相談し合うことが減った寂しさを、姫首相は補おうとしているのかもしれない。
(どうやってたずねましょう)
姫首相は考える。
(ストレートに聞くのは露骨すぎますよね。となると……)
そこまで考えると、姫首相は口を開いた。
「共感広場をやっていて、何か嫌なことはないだろうか?」
「嫌なこと、ですか?」
ジョセイヒは首をかしげ、問い返す。
「うむ。わたしの場合は、文字が小さいことだな。あれは読みづらい」
「首相、それ、携帯の設定の問題だと思いますよ」
「なに、そうなのか?」
姫首相が大げさに驚いてみせると、ジョセイヒは「あはは」と笑った。それで雰囲気がだいぶほぐれた。
「そうですねえ」
ジョセイヒは考え込む。
ほどなくして、こう言った。
「共感できない投稿が出てくるのが嫌ですねえ」
共感広場は、全参加者の最新の書き込みを時系列順に表示させたり、ランダムで書き込みを表示させたりすることができる。
そのおり、共感できない内容の投稿が出てくることがある。
ペットボトルのキャップを並べてうっとりしている投稿であったり、難解かつマイナーな哲学書を読んですばらしいと絶賛していたり、場の連続性がどうこうなどと訳のわからぬことを書いて喜んでいたり、といった内容の投稿である。
見ると不愉快な気持ちになる。気分が悪くなる。
そのようなことを言う。
「ああいうのを書く人ってどうにかならないんですかねえ」
ジョセイヒは笑って言った。
顔はにこやかである。口調も落ち着いている。
けれども全体から、どことなく不快感がにじみ出ている。
姫首相は、その不快感には気づかない。
ジョセイヒの言葉をきっかけにアイデアを思いついたからだ。
さきほど、アコビトとの話の中で決断したことを実現するアイデアである。
思考は既にそちらに向かってしまっている。
姫首相は今、じいやのことを思い出していた。
ほめて伸ばすのが得意だったじいやのことである。次王女を相手にほめて伸ばす教育を行い、次王女をきゃっきゃと楽しそうに笑わせたじいやのことである。
(じいやのやり方を参考にすれば上手く行くのではないでしょうか)
姫首相はそう考えるのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
破滅フラグが1つ、また1つと立っていきます。今回は1つ、前回は2つ立ちました。
次回は明日投稿します。
2017/11/12 誤字脱字修正