第24話 優遇策
ネット政策の全国展開が始まろうとしていた時のことである。
姫首相のもとにサカンが訪れ、このような質問をした。
「優遇策はどう致しましょうか?」
「優遇策だと?」
姫首相が聞き返す。
話はこうである。
ネット政策を実施するウェブサイトである共感広場は、全国展開するまでのつなぎとして、参加者を特定の地方に絞った試験運用が今も行われている。
が、実のところ、参加者によって、適用されるルールが若干異なっているのである。
たとえば、ある区域の参加者は投稿できる文字数の制限が緩和されている、といった具合である。
色々なやり方を並行して試すことで効率的に試験しようという狙いである。
その区域のひとつで先週から優遇策が実施されていると言う。
優遇策とは、多くの人から共感を集めている参加者を、税制面などで優遇するものである。
具体的には、所得税と住民税の減税、公的医療保険料の減額、国公立の学校の入学試験の家族も含めた優遇、公務員採用試験の優遇、所属する企業への減税、公団住宅の優先手配などである。
そのためか、先週より、この区域だけやたらと共感広場の参加者数や一日当たりの投稿数が多い。他者からどれだけ共感を集めているかを示す数値を共感指数と言うが、この区域の参加者一人当たりの共感指数推計値も急速に上がりつつあるという。
「減税だの何だのと大盤振る舞いだが、財事省や福祉省と話はついているのか?」
姫首相がたずねる。
「ついていないんですか?」
サカンは逆に驚く。
調べてみると、ついていなかった。
優遇措置を実施した人物は、まだ若手であった。人海戦術でとにかくいろいろなやり方を試してうまくいったものを採用する、という姫首相の手法は、そのぶん人員の配置を広く薄くしてしまう。
薄くなった結果、ネット政策の試験運用を行う区域の一つは、入省二年目の若手官僚に丸々任された。若いからインターネットのこともよくわかるだろう、と判断されたのかもしれない。
最初は周りに合わせて無難に運用していたが、全国展開されるまでに一回独自路線を試してみようと思ったのだろう。若いがゆえの好奇心もあったのかもしれない。
優遇策を導入した。
報告、連絡、相談という概念のあまりない若手であった。他の省庁に話を通すとか、根回しをするという概念も乏しい。
もろもろの優遇措置の導入は彼の独断によるものである。
反響は大きかった。
共感広場は大いに盛り上がり、どうにかして共感されようと、この区域の参加者達は今や大変に努力をしている。
ゲームの専門家がデザインの工夫によって盛り上げたものを、より一層にぎわせたのである。
この若手の上司は一体何をやっていたのかと姫首相は思ったが、聞いてみると、どうも彼は先週から胃の激しい痛みを訴えて緊急入院しているという。
山で修行をしていそうな外見の男であったが、意外と神経質だったようである。
引き継いだ後任は、引き継ぎに精一杯で、部下の管理にまでは目が回っていなかったようだ。
「困りましたね。数字は出ているんですよね」
サカンは、そう言って、うーんとうなる。
彼の見解はこうである。
独断でやったことはともかく、優遇策の成果は出ている。この区域の住民は他と比べて共感広場に熱心に参加している。共感指数も上がっている。
全国規模でこの優遇策を入れたら一体どうなるだろうか。
ものすごい成果が出るかもしれない。
一方で、規模が広がる分、金で釣ろうとしているという悪評もまた強くなるのではないかという懸念があった。
優遇策と言っても、中身は減税だの保険料減額だのであり、つまるところ金である。
悪評はすでにわずかだか出始めている。十字国民はお金に厳しいところがある。
二人して頭をひねる。
何も決まらない。
ひとまず保留にするとして、現状維持の指示をサカンに出す。
一人になった姫首相はあらためて迷った。
優遇策を導入すべきか否かである。
部屋をうろうろして迷う。首をかしげて迷う。
迷い続けると、視点を変えたくなる。
金で釣って何が悪いのか、と考えた。言い換えると、十字国民が金で釣ることに悪感情を抱くのはなぜか、と考えたのである。
(どうしてでしょう?)
姫首相は考える。
考えてみると、十字国では、何か親切をしてもらった時、お礼に金銭を渡すのは失礼な行為だとされている。贈り物か、あるいは行為で返すのが礼儀にかなっているとされる。
では、お金を渡すのがまるっきり悪いことかというと、そうではない。例えば、商売を始めようという息子や娘に、親が開業資金を援助するのは、別段失礼ではない。商売が成功した後、その開業資金を返すのも、それほどおかしな行為ではないだろう。
姫首相は政治家としての生涯において、ある時期までは、迷いが生じるとアコビトをたずねていた。
この時もアコビトの部屋をおとずれ、話をしている。
「どういうことでしょうね?」
「うーん」
親切に対してお金で返礼するとなぜ嫌がられるのか、という姫首相の問いかけに、アコビトは、ふわふわした髪を揺らし、首をかしげながら考える。
アコビトは、しばらくの間、うんと、ええと、と首をひねると、こう言った。
「えっとね、親切をすると、とっても気分がいいの」
「気分が?」
「そうなの。ふわふわするの」
「それです!」
姫首相は指をビシッと突き立てて言った。
人が親切をする時、どんな感情が満たされるのか?
それを姫首相は考えたのである。
結論はこうだ。
他者に対する貢献欲、「親切なことができる立派な自分」になるための自己実現欲、あるいは優越感。
人によって、あるいは場合によって異なるであろうが、これら三つの感情のいずれかが満たされるのではないか。
ここで重要なのは親切が無償であるという点だ。
無償であるからこそ、貢献したぞ、立派になれたぞ、優越したぞ、という気になれるのだ。
であるのに、お金を受け取ってしまったら、まるで雇われたかのようである。無償の行為でこそ得られた感情が台無しである。
同じ親切で返されれば、無償の行為の交換ということであり、お互いさまということであり、そこまで気分を害されることにはならない。
だから、親切にお金で返されると、嫌な気分になるのである。
開業資金の例えについては、あれは単にお金を渡しているのではない。商売を援助するという目的がある。
お金は単に目的を果たすための手段に過ぎない。子供に、やりたいことを実現させるためのチャンスを渡しているようなものである。渡された方もお金というよりチャンスを受け取った感覚であるから、別段気分は害さない。
姫首相はおおよそこのようなことを、オブラートに包んでアコビトに説明した。
オブラートに包んだのは、お金にまつわる生々しい話は、あまりアコビトに対しては、したくなかったからである。
姫首相の言葉を聞き終わると、アコビトはこう言った。
「じゃあ、理由があればいいと思うの」
「はい?」
姫首相はアコビトの突然の言葉に、意味がわからず、聞き返す。
アコビトも言葉足らずだったことに気づいたらしい。「えとえと、ごめんね、えっとね」と言った後、こう言い直した。
「あのね、お金をもらう理由があれば、嫌な気持ちも薄くなると思うの」
「……」
姫首相はしばし沈黙する。
それからおもむろに、また指をビシッと突き立てて、こう言った。
「それです!」
アコビトの言っていることの意味が、姫首相にもようやくわかった。
アコビトは、みんなが納得するだけの理由がある形でお金を渡せば、反感も薄らぐ、と言ったのである。
当たり前と言えば当たり前の話だが、言われるまで気がつかなかった。
「いいですね、決めました! みなさんがお金を受け取るのに納得するだけの理由を何か用意しましょう」
と姫首相は言った。
この瞬間、姫首相は優遇策の導入を決断したのである。
ただし、アコビトの答えはあくまで一般論にもとづくものである。具体性がない。
つまるところ、みんなが納得する理由とやらを、実際にどんなものにすればいいのか、まるでアイデアがない。
といって具体性を求めると、共感広場の話に触れざるを得ない。
守秘義務上、それはまずい。
姫首相はしばらくの間悩んでいたが、
(まあ、ここから先は自分で何とかしましょう)
と考えると、
「この話は、ここまでにしましょうか」
と言って話題を打ち切った。
「うん……」
アコビトが、うなずく。
なにやら、もじもじしている。
何か言いたそうである。
「どうしたのですか?」
「えっとね、あのね」
アコビトはそう言うと、絵をおずおずと取り出した。
これまでは、仕事の話の邪魔にならないようにと、しまっておいたのだろう。
「えっと、どう思うかな?」
そう、ためらいがちにたずねる。
「見せてください」
姫首相はにっこり笑ってそう言うと、絵に目を向けた。
絵には姫首相の全身像が描かれていた。
ただし、今までとはだいぶ趣が違う。
これまではただ写実的であった。よく言えば上手い、悪く言えばそれだけの絵だった。
それが今では、形と色に奇妙なゆがみがある。
ゆがんでいるのに不思議と姫首相だとわかる。絵に一種独特の趣を与えている。美しい計算が施されたかのような歪みである。
加えて、絵の中の姫首相には、十字国がまざっている。十字国の十字型の国土が、姫首相に溶け込んでいる。溶け込んでいるのに姫首相を注視すれば姫首相が、十字国を注視すれば十字国が、はっきり独立して浮かび上がって見える。これまた綿密な計算に基づいているかのごとき溶け込みようである。
さらには絵全体が平面的な画風と立体的な画風が混ざり合っている。背景もよく見ると工夫がしていそうである。
ともかく、全体的に妙なゆがみと溶け込みがあり、それが独創的な世界観を生み出している。
不思議と気味の悪さはない。
けれども、見ていると感情の妙なところが揺さぶられ、しばらく絵から離れられなくなってしまう。
「すごいですね……」
姫首相は意識せず、そうつぶやいていた。
「いつの間にこんなすごい絵を描けるようになったのですか?」
照れているのだろう。
アコビトは顔を赤くして笑った。
笑いながら、机の上のパソコンを見た。あれで何かしているらしい。
聞こうと思ったところで、ピピピという音が携帯電話から鳴った。
次の予定を知らせるアラーム音である。
癒やしの時間はここまでですね、と姫首相は自身に言い聞かせ、立ち上がると、また来ますと言って部屋を出た。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、遅くとも明後日11/12までに投稿します。