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第23話 「楽しい」の正体

 ネット案の報告を受けた夜、姫首相はアコビトの部屋にいた。

 この時期、アコビトは海外の絵画コンクールに送った絵が落選したばかりであったが、本人はまだまだ自分は子供だからとあまり気にしていなかった。

 部屋には、絵を描くのに役立つかもしれないと姫首相がプレゼントしたパソコンが置いてあった。早速触っているようで、何をやっているかはわからないが、ほこりをかぶっている様子もないので、使っているのだろうということは想像できる。


「アコはネットはやるのですか?」


 じゅうたんの上にうつぶせで寝転び、足をパタパタさせながら姫首相は言った。

 彼女自身はあまり積極的にはやらない。とりわけ世論や世情の調査に関しては、官邸に上がる専門家の報告を信頼しているため、自分から調べることは少ない。


「うん、絵を描いて投稿するウェブサイトがいくつかあってね、たまに見てるの」


 姫首相は、初めて知ったとばかりに、感心した声を上げる。


「絵を投稿できるウェブサイトはいくつもあるんですよね。どういうところが一番にぎわいますか?」


 姫首相はたずねた。にぎわうところと、そうでないところの違いがわかれば、何か参考になるのではと思ったのだ。


「うーん」


 アコビトは小さな手をあごにちょんと添えて唸る。

 姫首相はそんなアコビトをほほえましそうに眺める。出会った頃より少し大きくなったけれども、まだ小さくて幼い。成長する時はあっという間かもしれないけれども、今はまだそういう雰囲気を残している。

 見られていることに気づいたアコビトは、照れたように、むぅ、と頬を膨らませる。

 姫首相は笑う。アコビトも、初めはふてくされたような顔をして、でもすぐに笑ってしまう。二人して笑い合う。

 笑いがおさまった頃、アコビトは「質問の答えなんだけれども」と言う。姫首相も「はい」と言って向き直る。


「楽しそうならみんなやると思うの」

「楽しい?」


 一瞬姫首相は、アコは何を言っているのでしょうか、と思った。アコビトが何かまずいことを言った気がしたからだ。

 けれどもすぐにこう思い直した。


(何がまずいのでしょうか? アコはただ楽しそうならいいと言っただけです。それはもちろん、不謹慎かもしれませんが……。

 ……不謹慎?

 えっと、つまり、わたしは、楽しいと思うのは不謹慎だと思ったのですよね。

 なぜ?

 なぜかというと……そう、そうです、わたしは絵の投稿の話を、共感広場に応用できないかと考えていました。それで、共感広場を楽しくやる様を想像してしまい、国家の大事な話に対して楽しいだなんて不謹慎な、と思ったんです)


 そして、はっとする。


(国家の大事なことを楽しくやるのはまずいのでしょうか? 何がまずいのでしょう? そもそも楽しいってなんでしょう? なぜわたしたちは楽しいという感情を持っているのでしょう。この感情に何の意味があるのでしょうか?

 楽しいという感情を人類が持っているということは、この感情が生存競争の上で有利だったんですよね。どうして楽しいと有利なんでしょう?)


 ここまで考えると姫首相はアコビトに向き直った。雰囲気が真剣になりすぎないよう、にっこり笑って、こう言う。


「アコはどんな時、楽しいですか?」

「姫ちゃんとこうしていると楽しいよ?」

「そ、そうですか、えっと他は?」


 姫首相は顔を赤くしながらたずねる。

 アコビトは人差し指で自分のおでこをつんつんしながら考える。ほどなくして、その人差し指をピンと上に立てて言った。


「色々あるの。学校で友達と仲良くなって一緒に遊ぶのも楽しいし、新しいことを教えてもらうのも楽しい。知らなかったことがわかった時とか、描けなかった絵が描けるようになった時とか、ちょっと難しい問題が解けた時とかも楽しいの」

「知らないことがわかったり、できないことができるようになったりすると楽しいですか?」

「うん」

「すごく?」

「とても!」

「決めました! それです!」


 姫首相はアコビトに指を突きつけ、自分の中にある曖昧なものがやっと言語化できたと、興奮をあらわにしながら言った。

 ふふっ、と少し得意気である。

 アコビトはきょとんとしている。


「つまり成長です」

 姫首相は突きつけた指を、先ほどのアコビトと同じようにピンと天に向けて言う。

「例えば勉強して、知らないことがわかると知識が増え、成長します。絵やスポーツで、今までできなかったことができるようになれば、これも成長です。そんな時、人は楽しいと感じるんです。

 きっと、遠い昔、成長を楽しいと感じる遺伝子を持つ種族のほうが、感じない種族よりも生存競争で有利だったのでしょう。成長が楽しければ、それだけ能力が上がりやすくなりますからね。

 これが、楽しい、の正体なんですよ。楽しいは、成長なんです」


「うーん」

 アコビトはひたいをまた指でつんつんしながら考え込む。

「でも、学校の勉強が嫌いな子はいるよ? 勉強なんて面倒くさいって言っている」


 姫首相は笑ってこう答えた。


「たぶん、まだセンサがないのでしょう」

「センサ?」


 アコビトは首をかしげ、たずね返す。

 姫首相は、ええセンサですよ、とうなずく。センサというのはとっさに出て来た言葉だったが、なかなか上手い表現だと思った。


「楽しいと思うには自分の成長度合いがわかるセンサが必要なんですよ。

 昨日は5までできた、今日は6までできた、というのが明確にわからなければ、自分がどの程度成長したのかわかりません。わからないと自分が上達しているのか下手になっているのか何も変わっていないのか、今ひとつ実感できません。

 ほら、コンピュータゲームだと、遊ぶ人が画面上のキャラクターを操作するでしょう? ゲーム機のボタンを押すと、コンピュータ画面上のキャラクターが走ったりジャンプしたりする。そうして崖を飛び越えたり、悪い敵を倒したりして遊ぶんです。

 わたしも、狩人のキャラクターを操作して、魔物を狩るゲームをやったことがあります」


 北方連邦にいた頃、姫首相は短いながらも学校に通っていた時期があった。

 そのおり、クラスメイトが携帯ゲーム機を教室に持ち込んで遊んでいるのに混ぜてもらったことが幾度となくある。複数人で協力してプレイして魔物を倒すゲームで、何百万本も売れていると言う。大勢でわいわい騒いで遊ぶコミュニケーションツール、という印象だった。

 そういった経験からコンピュータゲームに多少の馴染みはあった。


「で、ゲームによっては、このキャラクターが成長します。

 例えばレベルという要素があります。

 レベルというのは強さです。ゲームを進めてレベルが上がると、キャラクターは強くなります。高くジャンプできたり、強い攻撃ができたりします。例えば、レベル1から2になると、今まで苦戦していた魔物が楽に倒せるようになったりするんです。

 そして、このレベル上げを夢中になってやる人は大勢いる」


「うん、クラスでも、そういうの好きな人、多い」


「そうです、そういうのは、自分の分身であるキャラクターが成長したのが、はっきりとわかるから楽しいんですよ。今まで倒せなかった敵が倒せるようになった。踏破するのにあれだけ苦労していた洞窟が、少し楽になった。

 レベルという数字が上がるのが楽しいというより、今までできなかったことができるようになるのが明確にわかるのが楽しいんでしょうね。

 成長したのが明確にわかる。はっきり自覚できる。だから楽しいんです。でも……」

 姫首相は少し声を落とした。

「でも勉強がどれくらいできるかは、ゲームほどはっきりとは、わからないんです」


 アコビトは首をかしげる。


「テストで点数つけるよ?」

「テストはたまにしかやりませんし、一回のテストで明確にわかるかというとあやしいでしょう? 結果が返ってくるにも時間がかかる。ゲームほどダイレクトじゃないんです。つまり何が言いたいかというとですね……」


 気がつくと、アコビトが、うんうん、と真剣になって聞いている。

 嬉しくなってつい語り口調に熱が入る。


「勉強なんて、たかだかここ数千年の間にできた習慣だということです。近代教育という意味ではせいぜい二百年です。それまでは人類は勉強なんてしてきませんでした。当然、勉強の成長を認識するセンサ、なんてものも遺伝子には組み込まれていません。後天的に取得するしかないんです。だから、人によっては、このセンサがない。センサがないから、自分自身の学力の成長を感じ取れないんです」


 姫首相の脳はフル回転している。

 素を出せて生き生きと考えられるおかげか、一緒に悩んだり考えたりしたいという気持ちのためか、アコビトと話していると不思議と色々なことが思いつく。

 思考に声が追いつかないほどである。


「面倒くさいという感情は、無駄なことをしないため、エネルギーを節約するために、『無意味なこと』と脳が判断したことをやらないための感情だと、これは今思いついたんですが、そういうものだと思うんです。

 勉強が面倒くさいと思う子は、脳が勉強を無駄なことだと判断しまっているんです。

 なんで無駄だと思っているかというと、自分の成長が感じられないからです。成長が感じられないのはセンサがまだないからなんです」


 アコビトは、そっかあ、と納得したようにうなずく。

 そしてすぐに何か思いついたような顔をして、こんな質問をする。


「じゃあじゃあ、友達と遊んだり、好きな人とお話ししたりするのが楽しいのは?」

「人脈も財産ということです。そういうことをすると人間関係が広がったり深まったりするでしょう? 言い換えれば人間関係が成長する。だから楽しいんです」


「おお……」

 アコビトが感嘆したように口を開ける。

「姫ちゃん格好いい……」


「いやあ」


 姫首相は照れたように笑った。


 なお、この「楽しいは成長」という考えについては、姫首相は一応念のため、後日、複数の専門家に裏付けの問い合わせをしようとは思っている。

 もっともアコビトと話して決めたことである。明白に間違っていると断定されない限りは、突き通すつもりである。

 そして、問い合わせの結果、そのような断定はなされなかったのである。


 姫首相は、この考えをネット案に導入する決意を固めた。



 翌週の共感委員会で、姫首相はネット案担当者に対し、共感の成長を感じられる仕組みを作るように命じた。


「成長、ですか?」

「そうだ」


 姫首相の指示はこうである。

 共感広場に多くの国民が参加してもらうためには、ともかくも楽しくなければいけない。

 人間が楽しいのは自分の成長を感じた時である。

 つまり、自分の共感力の成長を感じられれば、共感広場は楽しくなる。


 けれども、自分がいま現在、どのような共感をどのような人たちから集めているか、あるいは以前と比べてどれだけ他者に共感できるようになったか、などは誰でも感じ取れるものではない。

 これらを総合的に感じる取るセンサがなければ、成長を実感するのは難しい。

 であれば、政府から共感広場の参加者に対し、成長度合いが見えるようにしてあげる必要がある。センサがなくても共感力の成長がわかるようにするのだ。


 楽しい、という言葉を聞いて眉をひそめる委員もいる中、姫首相はおおよそこのようなことを述べた。


「ええと、見えるようにと申しますとどのような?」


 修行僧のような外見の担当者がたずねる。


「コンピュータゲームの専門家に依頼して決めさせろ」

「ゲームですか?」

「そうだ。特にゲーム内のキャラクターを成長させることで、遊ぶ人に楽しいと感じさせるのが上手いゲームの開発者に頼むんだ。

 何しろ成長で人を楽しませる専門家だ。そこがゲームの最も肝要なところで、そこが楽しくなければ廃業してしまう。

 そんな業界で生き残っている連中だ。共感広場においても大いに手腕を発揮してくれよう」

「はあ。あの、ゲームではなく、心理学や脳科学の先生ではだめなのでしょうか?」

「わたしはゲームの専門家と言ったのだ。聞こえなかったのか?」

「は、はいっ!」


 冷たい口調で姫首相が命じると、担当者は慌てたように首を縦に振った。

 こうして依頼されたゲームの専門家は、共感広場の参加者が今現在どんな共感をどの程度得ているか一目でわかるデザインを導入するなど、存分に腕を振るった。


 三ヶ月後、成果は出た。

 参加者の数も、一人当たりの一日の平均利用時間も、全て大幅に上昇していたのである。


 共感委員会でも、この話題で持ちきりになる。

 いいじゃないですか、と言う委員がいる。今こそ攻め時ですよ、と言う委員がいる。やりましょう、姫首相、我々が本気だと言うことをアピールしましょう、と言う委員がいる。


 姫首相はネット案を全国規模で大々的に実施することを決意した。

 もはや案ではない。正式に政策として採用しようと決心したのだ。


「とにかく大規模に行う」


 居並ぶ共感委員達を前に姫首相は言った。

 話し合いの中、やるべきことが決まっていく。

 十字国民一億人全員が参加したとしても耐えられるようにシステムを拡張しなければならない。メンテナンス要員も大幅に拡充しなければならない。宣伝も派手にやるべきだろう。ビラを全国的にまいたり、CMもバンバン流したり、とにかく政府が本気だと言うことを伝えるべきだ。


「しかし……」

 と、なおも慎重な委員の一人は言う。

「どうなんでしょう? その、ネット案は」


 姫首相は首を横に振る。


「ネット政策だ。正式に政策として採用する。言葉を間違えるな」

「ええ、そのネット政策は、そう上手く行くのでしょうか。顔を直接合わせるわけでもないですし、コンピュータの上だけで共感と言っても……」

「責任はわたしが取ってやる」


 姫首相は尊大な口調で言った。

 言った瞬間、勢いで口にしてしまったと思っていた。決断ではなく、まさしく勢いである。

 とはいえ、大したことであるとは思っていない。政治も安定してきたし、自分がいなくなれば、代わりに政治の専門家が席を占めることになるだけである。むしろそっちのほうが十字国にとってはいいかもしれないとさえ思っている。


「失敗したら首相を辞任する。皆に責任はかぶせない。いいな?」


 よくはない。

 彼らからすれば、姫首相の人気のおかげで自分たちの今の地位があるようなものである。

 姫首相がいなくなって、自分たちが今のままでいられるとは思えなかった。

 が、そんなことは口に出しては言えない。

 結局彼らは「姫首相がそこまで言うなら……」と、しぶしぶ従うのだった。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

次は明日投稿します。

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