第22話 共感宣伝と共感診療と共感ネットワーク
一週間ほど経つと、今度は共感宣伝の報告が出た。
共感宣伝とは、共感し合うことのすばらしさを十字国中に宣伝しよう、というものである。
具体的には、テレビやネットやラジオや雑誌やポスターで広告を出す。
例えば、皆が共感し合える社会は素晴らしいとタレントが訴えているポスターが駅前に貼られる。
実際に共感し合える社会が来たらこうなるというイメージ映像も、テレビやネットで流す。最初に作った映像は、いかにも国が制作しましたという感がありありと出た謹厳で堅いものであったため、民間に委託して、より今の流行をとらえた映像を新たに作成させる。
ミニドラマも作られた。誰とも共感できずに引きこもっていた青年が、人と共感し合うことを学び、社会復帰するという内容であった。人気俳優を主役に抜擢し、大々的に放送した。
「効果はさほどありませんでした」
共感委員達の集まる部屋で、報告者は述べた。
声と表情は落ち着いているが、首から下が緊張のあまり震えている。器用な緊張の仕方をする。
「我々は共感動向という統計を取っております。
これは街頭アンケートだったり、電話調査だったり、インターネット上に書き込まれた文章の解析だったり、そういったものを総合的に解析して、人々が共感というものをどれほど意識しているのか調査したものです。
共感動向の数字が高ければ高いほど、国民が共感を強く意識していることになります。
ご覧の通り……」
そう言って、壁に映し出されたスクリーンの画像を切り替えようとする。
手が震えているせいか、二度失敗し、三度目でようやく切り替えられる。
スクリーンにはグラフが表示されている。縦軸に共感動向、横軸に時間が割り付けられている。グラフはほぼ横一直線だった。
「ご覧の通り、共感動向はほとんど変化していません。ミニドラマ発表の初日には多少上がっていますが、すぐに元に戻っています。
察するに姫首相が以前行った共感演説、あれがあまりにも見事だったので、今さら国民は宣伝を必要としていないのではないでしょうか。
アンケートの中には『共感が素晴らしいのはもうわかったよ、姫首相が教えてくれたんだから、今さらあんたらが言わなくてもいいよ』という回答もあります。一つではなく似たような回答がいくつもあるのです」
姫首相はモデルのように優雅に足を組みながら、報告者を冷たい目で見ている。
内心は、面と向かって褒められ、少し照れている。
いずれにせよ決断はしなければならなかった。
委員達からは、成果が出ていないなら中止すべきという意見が出た。また、より大々的に宣伝しなければ意味がないといった意見も出た。別の何かを宣伝したらいいのではという提案も出た。それは名案ですな、とある委員が言い、こんなことを代わりに宣伝してはどうでしょうかと別の委員が言う。
一通りの意見が出そろったところで、姫首相が口を開いた。
「我々がいま実施している様々な共感案があるだろう。あれを宣伝しろ。国民が我々のやっていることを知れば、他の共感案も成果が出るかもしれぬ」
冷然たる態度でよどみなく命令する。
報告者は首から下をいっそう震わせながら「かしこまりました!」と大きな声で受諾した。
◇
共感診療の担当者からも報告が来た。
共感診療とは、周りから共感されない人、および、周りに対して共感できない人を、医学的観点から診察・治療しようというものである。
報告者はカツカツと靴音を響かせて共感委員会の席上にあらわれると、いきなり両手を横に広げて、こう言った。
「他人に共感できない人、あまり人から共感されないと思っている人は、どうぞお気軽にお越しください。資格を持つ専門家が親身になって対処し、必要に応じて治療を致します。相談者様の秘密は守ります。
ご本人様の共感能力に問題がなくとも、周囲に誰からも共感されないような人がいることで、その近くにいる人も精神に悪影響を受けてしまうという事例もあります。
そういったケースも含めて、最新技術でもって万全の治療を施します」
「な、なんだね、いきなり?」
委員の一人が驚いたように言う。
「これ、共感診療の宣伝文句なんです。こう言って人を集めたのですがねえ……」
報告者はそう言って頭をかく。
「あまり来なかったのかね?」
「極めて、まったくと言っていいほど、来ませんでしたよ……。
ポスターもたくさん貼りましたし、ネットでも健保省を通じてだいぶアピールしたんですよ。
ですが、結果は閑古鳥です。閑散としてますねえ。来づらいのかもしれません。
共感が国是ですので、こういう所に来ると、その共感がないやつだと思われてしまうのではないか。社会人としてまずいのではないか。
そう思ってしまっているのかもしれません」
報告が終わると委員達の議論が始まる。
ある委員は、そうも閑散としているのなら閉鎖もやむを得ないでしょう、と言う。
別の委員は、来づらいのが問題なのだからやり方としては間違っていないでしょう、人を呼び込むことがまずは肝要では、と言う。
また別の委員は、ともかくも治療が不要ということはないでしょう、と言い、またある委員は、病院から患者を共感診療に紹介してみてはどうか、と言う。
姫首相は少し考える仕草を見せたが、最終的に次のように命じた。
「今のまま継続しろ。共感宣伝の担当者が今、共感診療も含めて、我々がやっている共感政策の宣伝をしようとしている。それによっては、お前のところも賑わうようになるかもしれぬ」
◇
このようにして、様々な報告が、委員会の席上でなされた。
しかし、結果は、どれもかんばしくなかった。報告される内容は、一言でいえば、どれも成果なし、という有様である。
共感委員会の面々の顔には、日ごと煮詰まった様子がありありと浮かんでくる。
唯一マシと言える結果を出したのは共感ネットワーク案だった。
これはインターネットを通じて、みんなが共感し合える世の中を作り出そうというものである。
「やる人はやっています」
それが報告の一言目だった。
身体の大きな報告者であった。坊主頭であり、休みの日は山で一人修行をしていそうである。
朴訥とした様子で淡々と事実を述べていく。
「取り立てて難しいことはやっていません。
まずインターネット上に、好きなことを自由に書ける場を用意します。
政府の名は極力出しません。デザインも民間に依頼しました。
名称はシンプルに『共感広場』としました。
小規模な実験ということで、今はまだ一部地域の住民しか参加できませんが、それ以外、特に制限を設けていません。ネットさえつながれば誰でも参加できます。
参加者は自由に投稿できます。
気軽に読めるよう、一回の投稿は二百文字以内と制限をつけていますが、それ以外に制約はありません。写真や絵や動画も添えることができます。
参加者は、家族の話やペットの話、旅行の話や料理の話、好きな音楽の話や守秘義務に反しない範囲での仕事の話などを投稿しています」
「書き込んでどうするんだね?」
委員の一人がたずねた。ネットに馴染みのない委員であり、ピンときていない様子だった。
「投稿した文章は全参加者が読むことができます。
他者の投稿を読んだ参加者は、その投稿に対し、共感ポイントを1人1ポイントつけることができます。ただし、その投稿が現在までに合計何ポイント得ているかは見えません。ポイントをつけられた人、つまり投稿者にだけしか点数はわからないようになっています。
ですので、参加者は、他者の評価ではなく、純粋に自分の価値観でポイントを与えることになります」
「ポイントを与えてどうするんだね?」
同じ委員がまたたずねる。やはりピンときていない様子である。
「与えられた人は、認められたと嬉しい気持ちになります。人によっては、よおし、もっとみんなから共感されることを書くぞ、とやる気が出ます。より大勢の人から共感してもらおうと、一層熱心に投稿するようになります」
それから報告者は、タレントのような有名人が有利にならないように本名は出さない仕組みであること、今のところ共感ポイントを与えても与えられても満足感の他に何も得るものがないこと、好きな人は好きなようで一日何十回も投稿したり共感ポイントを与えたりしていることを述べた。
委員達の反応は様々だった。ともかくも成果が出ているのだから拡張すべきだという声もあれば、人と人が顔を合わせないで共感なんてできるのだろうかという声もある。
ひとまずは上手く行っているようだからもう少しこのまま様子を見てはどうかと別の委員が言い、これには何人もの委員が同意を示すが、一方でそれでは単なる保留ではないかやはり拡張すべきだという声があり、さらにはネットなんて人のふれあいがないからダメだという声もあり、話が一向にまとまらないことに疲れた雰囲気が漂い始める。
「そのへんにしておけ」
姫首相は冷徹に周囲を圧するような声を放つと、「ネット案は今のまま続けろ」と命じた。
この日の委員会はこれで終わった。
いつも読んでくださり、ありがとうございます
次話は明日の投稿予定です。