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第18話 官僚が一番恐いこと

「今一度、整理しておこう。わたしは共感政策を、このような組織図で実現しようと考えている。まず、政治家達による共感委員会が『国民みんなが共感し合える方法』を企画する。そして、新省庁である共感省がその企画を実行する」

「さよう、そうおっしゃいました」

「しかし、貴様はこれでは実現は難しいと言う」

「申しました」

「なぜだ?」


 首相執務室の椅子に座り、ひじ掛けにほおづえを突きながら、姫首相は問いただす。

 その眼光は怜悧な光をたたえており、「つまらぬ答えでは、ただではおかぬぞ」と言わんばかりである。

 なお、内心では(さすがはサカンさん。何か問題点を見つけてくれたのですね)と思っている。 

 サカンは、無論そのような内心など知らず、一方で補佐官の仕事が充実しているがゆえにエネルギーに満ちあふれており、そのおかげで姫首相の冷たい視線にもひるむこともなく、こう答えた。


「共感政策は多岐にわたります。たとえば学校で共感教育をしたいと考えたとします。この場合、省庁の管轄はどこになるでしょうか?」

「共感省だな。共感政策をやるのだから、共感省の仕事で当然ではないか。貴様は何を言っているのだ?」


 姫首相は尊大な態度で答える。


「さよう、共感省でございます。しかし! しかしです! 本来なら教育関係の仕事は教育省の仕事なのですよ」


 すでに述べた通り、この時期のサカンは、気力が高ぶっている。この時も「しかし」でいったん言葉を句切り、両手を天高く上げるなど、いちいち大げさな身振りを挟んでいる。

 そうやって手をぶんぶんを振りながら、こう続ける。


「となると! そう、となると必然、共感省と教育省との間で管轄争いが起こってしまいます」

「そういうものか? 官僚と言えど、いい年した大人だろう? 十字国が共感を国是としていることはわかっているのだ。互いに協力は惜しまないのではないか?」


 姫首相はオーバーリアクションな部下を冷たい目で見すえながら疑問を呈した。

 サカンは首を、ぶんぶんぶんぶん、と横に振った。


「十字国の官僚というのは、そのほとんどが大学卒業後、ずっと官僚一筋という人間です。

 想像してみてください。

 社会に出てからずっと何年も何十年もひとつの組織で働いているのです。会話をするのも、感情を共有するのも、過半は同じ組織の人間とです。

 以前、姫首相は、人は自分が満たしたい感情のために生きる、とおっしゃいましたよね?

 それを聞いて私はこう考えました。ずっと同じ組織で長い時間を過ごした人間は、一体どういう感情を満たしたいと思うようになるのだろうか、と」


「ふむ。それで結論は?」

「縄張り欲と立場欲です」

「もっと具体的に言え」


 姫首相がすらりとした長い足を組み直しながら命じると、サカンは「はい」と言って説明を始める。


「縄張り欲というのは動物の群れと同じです。動物は縄借りを必死で守ります。この守りたいという気持ちが縄張り欲です。縄張りに部外者が入ってくるとエサを奪われて餓死してしまうかもしれませんからね。命がけです」

「ふむ」


 姫首相はうなずく。


「それと同じで、ずっと同じ組織にいて同じ人間と同じ時間を過ごしていると、ひとつの群れであるという感情が湧いてきます。ご存じですか? 人間が組織内で日々仕事をこなしている時に得られる脳波は、猿が縄張りで群れの仲間とエサを取っている時の脳波とよく似ているそうですよ」


「となると……」

 姫首相は言った。

「教育省の官僚達にとっても、自分たちの仕事は縄張りと同じであるのだな。

 そして、その縄張りに対して部外者が入ってくる、つまり共感省が口出しをしたり、ましてや仕事を一部でも奪ったりしたら……官僚達は彼らの縄張り欲を満たすために命がけで抵抗するというわけか」


「さようでございます」

 サカンは大きくうなずく。

「もうひとつは立場欲です。突然ですが、姫首相、ひとつの組織にずっといる人間にとって、一番恐ろしいのは何だと思いますか?」


「なんだ?」


「組織の中で立場を失うことです。

 人生の大部分を過ごしている組織において、立場を失ってしまったら、毎日が侮蔑の視線にさらされることとなり、大変辛い状況に追い込まれてしまいます。地位が高ければ高いほど、転落の度合いは大きいですし、といって今さらよその組織でやり直すのも困難ですから、絶対に失うわけにはいきません。

 それに、大病を患ったり重傷を負ったりすることは想像しづらくても、自分がどの程度の立場にあるのかというのは日々感じている分、それを失うことも想像しやすい。想像しやすいからこそ、何よりも恐ろしいわけです。

 よって立場を守るために必死になる。

 さて、姫首相、官僚が立場を失うというのはどういう時ですか?」


「仕事で失敗した時か?」


 サカンは首をぶるんぶるんと横に振った。


「それもあります。ですが、最も大きいのは先輩達のやってきたことを否定した時です」

「ほぉ。どういうことだ?」


 姫首相は高圧的に問い返す。頭の中では(そういえば昔じいやが似たようなことを言っていましたね。なんでしたっけ? ああ、いけません。今はサカンさんの話を聞かなければ)と思っている。


「つまりですな」

 サカンは言う。

「官庁というのは、よほどのことがなければ、つぶれることはありません。

 つぶれない以上、過去に上司やOBといった先輩達がやってきた、仕事の方針や手順を覆す大義名分がないのです。

 中途採用者がそれなりに力を持てる組織なら、経験と実績にもとづく『外の組織のやり方』というものを導入できるのですが、生え抜き至上主義である以上、それもありません。

 となると、誰も前例に反することはやらなくなります。先輩のやってきたことを否定・批判することになるかもしれないからです。すると……」


 サカンは話を一度区切る。のどが少しかれたらしい。軽く咳ばらいをし、言葉を続ける。


「するとどうなるか? 誰も前任者のやり方を変えようとしない中、あえてする人間がいたら目立ちます。やられたほうはメンツをつぶされたと思い、怒ります。本当は怒っていなくても、立場上怒らざるをえません。そんなことをした人間を嫌います。

 先輩から嫌われれば、組織内での立場を大いに失ってしまいます。仕事で失敗するのは不可抗力の面もあり、まだ同情も集められるでしょうが、先輩を否定するのは明らかに故意ですからね。『犯人』が立場を失ったところで、誰も同情なんてしません。

 これは省庁のトップであっても同じです。肩書きはトップでも、発言力のあるOBという名の先輩がたくさん控えています。それを否定することはできないのです」


「つまり……、何か今までと違うことしても、それが先輩を否定することになってしまうかもしれないから、官僚達は抵抗するということか?」

「はい、なんだかんだ理由をつけて抵抗します」

「であれば、教育省は、絶対に自分達のやり方を変えようとしない。共感省に口出しなんてさせない。過去のやり方を貫き通す、と」

「さよう、共感政策をやろうとしても、面従腹背で、サボタージュを始め、あらゆる合法的な抵抗をするでしょう」


 サカンは、過去の経験を思い出すかのように、しみじみといった様子でうなずいた。

 姫首相は官僚の抵抗というものを実感したことがないので、頭の内では(官僚さんも大変なんですねえ)と思っていたが、表に出す態度としては出来の悪い家臣を嘆くように侮蔑のため息をつく。


「で、補佐官はどうやってこれを解決しようというのだ?」

「案がございます」


 サカンの説明はこうであった。


 要は官僚達の縄張り欲と立場欲を何とかすればいい。

 やり方は特別奇をてらったものではない。


 第一に人材をガンガン入れ替える。

 たとえば、省庁間の転属を活発化させる。一時的な出向ではなく、片道通行の転属である。

 同じ組織に居続けさえしなければ、縄張り欲も減衰するだろう、という狙いである。

 また、民間からの中途採用も大量に行う。年配の人物であっても、経験のある人間なら採用する。加えて、重要なポストの人事は、新卒組と民間中途組が半々になるよう、あえて手を入れる。

 一つの組織しか知らない人間だと、組織内の自分の立場にばかり固執する。そうでない人間も入れることで、そうした意識を減衰させよう、という狙いである。


 第二に共感省を内閣共感府という十字国の慣例からすればより権威のある名にし、その名の通り内閣の意向と権威を直に受けた組織とする。

 具体的には人事権を使って官僚を脅す。新憲法では局長以上の任免権は首相が握っている。共感政策の実施に当たって担当部署の官僚が、なんだかなんだで抵抗したり、あるいは従った振りをしてサボタージュを決め込む様子が見られたら、


「いやあ、この政策を優先してくれないとですね、私はいいんですがね、首相が納得しないんですよ。そうなると、○○さんの来年の高等事務管理官就任も、それと××さんの局長就任もですね、首相としてもメンツがありますし、認めるわけにもいかなくなってですね」


 などと言う。

 ことさら大きな声で言う。

 そうして担当部署の官僚に、前例にないことをやる大義名分を与えるのである。先輩の人事を守った、という体裁にして、立場を守らせるのである。


「そう上手く行くのか?」


 姫首相は射貫くような視線でサカンを見据えながら問いただす。

 サカンは自信ありげに、任せてください、と胸を叩いてうなずく。


 サカンには勝算があった。

 メジリヒトの処分の手は官僚達にも及んでいたからである。


 立憲君主制時代の官僚は強大な権限を持っていた。

 とりわけ予算を握っている財事省は強かった。

 国家というのは予算がないと何もできない。その予算配分の権限を財事省は抑えている。「逆らうと金を出さないよ」と言えるわけである。それゆえ、財事省官僚のトップである高等事務管理官は、事実上行政のトップとさえ言われていた。


 当然、独裁者たるメジリヒトはそんなものを認めない。財事省の権限は徹底して分解され、解体された。権力を振るっていた官僚や、影響力を持っていたOBらは、ことごとく処分された。

 他の省庁も同様である。

 そうして従順な官僚だけが、メジリヒト一派の管理の下、組織に残ることを許されたのである。

 官公庁は、どこもまだ、この痛手から立ち直っていない。政府は姫首相を中心にまとまっているのに対し、官僚達はそうした中心人物を欠いている。


 今のうちに既成事実を作ってしまおう、とサカンは思っていた。

 一度仕組みを作ってしまえば、それが新たな前例となる。ずっと残り続ける。サカン流が十字国の未来のスタンダードになるのだ。


(今後何十年にもわたる十字国の行政機構を創設するのはこの俺なんだ)


 そう思うと、背筋をぞくぞくするものが駆け上がった。

 サカンの行動力、実現力、調整力は確かなものがあった。

 数ヶ月後、サカンは言ったことを全て実現させ、口先だけではないことを証明するのだった。


 こうして、共感委員会と内閣共感府は、無事設立された。

 共感政策を実現する形が整ったのだ。


(ようやくここから始まるのですね)

 と姫首相は思った。

いつもお読みくださり、ありがとうございます。


思うところがあり、第1話の冒頭に次のような引用を追加しました。


「共感は火に似ている。

 どちらも、温かく大切なものである。

 どちらも、扱いを間違えると大変なことになる」

(クノーカ経典 16章23節より)


小さな修正というわけではないため、この場を借りて報告します。


次回は明日投稿します。

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