第17話 姫首相の時間節約術
十七歳になった姫首相は、かれこれ一年ほど首相職を務めている。
そんな彼女の目下の不満は、これであった。
「なんですか、この忙しさは!」
首相というのは忙しい。
国会で答弁を行い、閣議を主催し、予算委員会や国家安全保障会議に参加する。外国の首脳と会談し、与党の幹部と会談し、野党の党首と会談する。高等事務管理官だの局長だの参事官だのと会って話をする。報道インタビューに答え、会長だの知事だの議長だのという肩書きを持つ人たちと会食をし、時には伝統芸能だの技術展だのの現場を視察し、何とかの祝賀会に参加してあいさつをする。
革命後のあわただしさが落ち着いた頃、姫首相はおおよそこのような日々を送っていた。
まじめにやっていては共感政策を推し進められないし、この年から小学校に通うようになったアコビトと会う時間がますます減る。
姫首相の政治家としての最大の存在価値は「決断」を下せることである。
誰もが責任を恐れて重要な決断を下すことができず、またそれだけの発言力もない中、姫首相だけが堂々と「決断」を下し、またその圧倒的人気から、誰もが「彼女が決めたことなら」と納得をするのである。
言い換えれば、それ以外の儀式的な仕事は、なるたけ放り出したかった。
姫首相はアコビトに悩みを打ち明け、相談する。
「んー」
アコビトは考える時にいつもそうするように、首をかしげ、ふわふわした髪を揺らし、それからこう言った。
「忙しい時は誰かに手伝ってもらうといいの」
「それです! 決めました!」
姫首相は即座にそう言うと、早速言ったことの実現に取りかかった。
まず、大統領職を新設した。
大統領は首相が任命する。政治的権限はない。諸々の儀式に参加するのが仕事である。
姫首相は最年長の議員を大統領に任命すると、挨拶をするだけの仕事や、形ばかりの視察といった仕事は、国民へのパフォーマンスとして重要な一部のものを除いて、全部任せてしまったのである。
もっともアコビトの通う小学校への視察だけは、嬉々として自ら行った。
学校に行きたいと悩むアコビトの相談を受け、二人でどこの学校にするか一緒に考え、そうして最後には姫首相がズバリと決めた、思い入れのある学校である。それでなくてもアコビトの通う学校である。是非とも一度行ってみたいと思っていた。
そうして、アコビトの描く絵をほめるクラスメイトの話や、アコビトは算数も得意で難しい数学の本も読んでいるという先生の話を聞き、「さすがアコは天才であるな」と教室の一同の前で堂々と褒め称え、後で顔を赤くしたアコビトに「めっ」と叱られるのであった。
とはいえ、姫首相はまだ忙しかった。
今度は、与党の仕事を投げ捨てた。
議会の過半数を占めている共共党の幹部達から、ことあるごとに相談を受けている内に、いつのまにか姫首相は党首のような扱いをされていたが、そもそも姫首相は共共党に入った覚えはない。
政策はともかく、党内の派閥だの、選挙対策だのについては「お前達の仕事だろう」と冷たい声で言い放ち、全て投げ返した。
記者会見の仕事も首相補佐官に任せた。
革命後の混乱もまずは落ち着いたし、ここぞという大きな場を除いて、日常的な報道対応は首相自らがやらなくてもいいという考えである。
補佐官はホーツ・サカンであった。
革命後、「姫殿下、どうか殿下が国家元首におなりください!」と懇願した男である。
この男はその勢いによって、暫定政権において補佐官になってしまった人物であったが、二度の選挙と一年の歳月が過ぎた今でもそのポストにあった。
彼が地位を保持できた理由は三つある。
一つは、大臣経験があるようなベテラン議員や大物政治家と呼べる人物が、メジリヒト政権下で排除されてしまったからである。いわば政治家の人材が払底していたのだ。
十字国では与党議員であれば、およそ五回国会議員に当選すると大臣のポストがまわってくる。メジリヒト政権以前、サカンの当選回数は四回であった。それゆえ、彼は現存する議員経験者としては、かなりベテランの位置にいた。
補佐官の仕事の一つは、複数の省庁にまたがる政策を実施するため、各省庁の大臣だの管理官だの局長だのの意見を調整したり根回しをしたりすることであり、ベテランという立場はそれだけ調整も根回しもやりやすくさせていた。
二つ目は「姫首相を誕生させた男」という肩書きである。
メジリヒト打倒後、この男が姫に懇願して首相職に就いてもらったことは国会や省庁間では広く知られていた。サカンは決してそのことを誇らしげに語ったりはしなかったが、彼を見る人は「あのサカン補佐官か」と特別な目で見る。
そういった扱いが、サカンに対する敬意を呼び、敬意があるがゆえに彼の指示もまた届きやすくなるのであった。
三つ目として、サカンは何だかかんだで首相の政策実現のためにかけずり回ったり、大臣や長官達の意見を調整したりといった仕事が向いていて、同時に好きだった。
好きであるからこそ精力的に動くこともできる。
姫首相を見て「この若い首相の政策を実現するのは俺なんだ」と思うと「よおし、やってやるぞ!」という熱意が湧いてくる。いい気になることができる。
サカンは、自分が先頭に立って人々を引っ張ったり、何が正解かわからない中で大勢の人を巻き込む責任ある決断を下したり、といったことはできなかったが、ナンバー2としてトップの指令を実現することにかけては大の得意だったのである。
面倒だが誰かがやらなければいけない仕事をサカンが嬉々として引き受けてくれたので、姫首相としては予想以上に大助かりであり、次第に彼を信頼するようになっていった。
政治経験のない姫首相がともかくも政府を運営することができたのはサカンの尽力によるところが大きい。
こうしてどうにかこうにか時間を作り出すと、姫首相は共感政策の実現に乗り出した。
案はこうである。
まず共感委員会を設立する。ついで共感省を立ち上げる。
共感委員会は閣僚や議員が参加し、政府が「国民みんなが共感し合える」ためにどんな政策をやるのか、その大きな枠組みを決める。いわば企画側である。
共感省は政府の決めた枠組みに沿って、共感政策を実現させる。いわば実行役である。
この姫首相の案を聞いて、サカンは「うーん」と唸った。
政治経験が豊富であり、また公式にも補佐官であるサカンは、姫首相にとって重要な相談役であった。
ただし、アコビトのように、素で悩みを打ち明けて話し合って一緒に決断を下して、という間柄ではない。
それよりは、政治家としての現実的な視点、大人の事情を考慮した視点から、姫首相のやりたいことが現実問題としてどうであるかをアドバイスすることが多かった。また、いざ実現という段に当たって進んで泥臭い役割を引き受けるのはサカンであるから、決して無責任なアドバイスなどしない。
このような事情から、姫首相としては、職務時間中、困った時はまずサカンを呼びつけるのが常になっている。
サカンもまた頼られることに喜びを感じる性質であったから不満はない。
そのサカンが姫首相の案に対し「このままでは難しいですな」と難色を示した。
「どういうことだ?」
姫首相はたずねた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
また明日投稿します。