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第15話 できると思うの

 演説をした日の夜のことである。

 姫首相とアコビトは、私邸で二人きりで話をしていた。


 姫首相は今、ベッド脇の椅子に座っている。

 ベッドにはアコビトが寝ている。彼女はここ二週間、熱を出して寝込んでいた。病はもうほとんど治っている。念のために、と今日一日安静にしているだけである。

 姫首相は毎日見舞いには来ていたが、演説の準備で慌ただしかったこともあり、こうしてゆっくり二人きりになるのは久々だった。


「アンキョウさんの案が受け入れられて良かったです」


 姫首相は嬉しそうな顔で言った。

 アンキョウさんとは、カン・アンキョウという名の老議員である。

 すでに亡くなっている。


「国民みんなが共感し合える国」というキャッチフレーズのついた国家方針案を提案したのは、この人物であった。

 元々小学校の先生をしており、教え子が次々と出世したことから、地元の名士のような地位にあった。

 学生時代は言語学を専攻しており、十字国語に共感を批判する語が一切ないこと、加えて長年の教師生活から得られた経験と感覚から、共感こそが十字国にとって最も肝要であるという結論に達していた。メジリヒト時代の到来については、共感が足りないからこんな事になったのだと嘆いていた。

 それゆえ、メジリヒトが倒された今、二度とこのようなことを繰り返してはならぬと、老齢ながらも立候補し、見事当選を果たしたのである。


 とはいえ、なれない議員生活が八十歳を過ぎた肉体に与えた影響は大きかった。

 姫首相がアンキョウの国家方針案に目をとめた時、既に彼は入院しており、余命幾ばくもない状態であった。

 アンキョウは、姫首相が自分を見舞うと、人払いをしてこう言った。


「姫首相殿下、もし、もし私の共感案に目をとめて頂いたのなら、どうか殿下の名でこの案を発表して頂けないでしょうか。

 私の名などどうでもいい。殿下の名であれば、この案も注目される。どうか、どうか……」


 アンキョウの言葉には命をかけた期待がこもっていた。

 教育の専門家として人生の末に導き出した結論を実現してほしいと願う、生涯最後の期待である。


「よかろう。約束しよう」


 姫首相が堂々と断ずる口調で言って右手を差し出すと、アンキョウもまたベッドに横たわりながら震える手を伸ばし、その手をぎゅっとつかんだ。

 手のひらの熱を感じる。精一杯手をつかもうとする力を感じる。

 やがて老人の手からふっと力が抜ける。

 姫首相は大声で医者を呼びつけ、周囲はまた慌ただしくなるのだった。


 こうして姫首相はアンキョウの案を丸ごと引き継ぎ、群衆の前で発表することになったのである。

 そこから先は既に述べた通りである。


 このエピソードには一つ重大な補足点がある。

 この時期、アコビトが熱を出して寝込んでいた、という点である。


 首相としての職責上、ずっとそばにいてあげることのできない姫首相は、こう思った。

 せめて、アコと二人で話し合った末に決めた「満たしたい感情を満たす国家方針案を採用する」ということを、どうにかして実現しましょう、と。

 それこそが最大の見舞いであり、きっとアコも喜んでくれるはずです、と。


 歴史の「もしも」がここにもある。

 もし、アコビトがこの時熱を出しておらず、姫首相が共感案の採用の是非について相談していれば、あるいは熱がおさまるのを待ってからあらためて現状を打ち明けていれば、十字国の歴史もずいぶんと変わっていただろう。


 だが、現実は一つである。

 熱で苦しむアコビトを見て、姫首相の脳裏に真っ先に浮かんだのは「早く結果を出してあげたい」という気持ちだったのだ。


 アンキョウの共感案を初めて目にした日、姫首相は「これです!」と思わず口にした。

「十字国民の満たしたい感情を満たす国家方針」という、まさにアコビトとの話で得られた決断通りの案だと思った。

 二人で頭をひねって、ああでもないこうでもないと言い合って、そうして最後に導き出すことのできた大切な決断を実現するための、まさにうってつけの案が見つかったように見えた。

 この案を採用することこそが、病床のアコビトへの何よりの励ましになるように思えたのである。


 最後の一押しは、アンキョウからの命を燃やすような期待である。

 死の間際の執念のこもった期待であり、これを受けて姫首相は最後の一歩を踏み出したのである。


 かくして共感案は採用された。

 姫首相は気づいていなかった。

 別にアコビトは「満たしたい感情を満たす国家方針なら何でもいい」とは言っていなかったのである。


「本当に良かったです」


 姫首相はしみじみとした様子で言う。


「うん、良かったの」


 アコビトも言う。

 ふんわりとした、いつもの調子の声である。

 だから、その声の中に、納得のいっていない響きがあることに姫首相は気づかない。


 アコビトは、共感案を今日初めて聞いた。

 良い感情を持たなかった。ピンときていない、と言ってもよい。どこがいいのか、よくわからなかった。

 共感というなら、正直、姫首相の気持ちはよくわからなくなることが多い。多いが、わからないなら、それはそれでいいと思っていた。わからないからこそ、知りたいという好奇心を抱き、近づいていくことができるのではないかと思っていた。

 そして、たぶん、わからない部分はずっとわからないままだろうけれども、それで構わないと思っていた。だって、それなら、ずっと近づいていくことができるのだから。

 第一、決断する姫首相は格好いい。それで十分であり、ことさら共感などというものを持ち出す理由がわからなかった。


 あるいは、共感は絶対的にいいこと、と主張する共感案の言い方に不安を抱いたのかもしれない。

 満たしたい感情を満たすのはいい。国民の満たされていない感情を満たせるように、国ができる範囲で政策を下すのはよい。

 けれども、特定の感情を無条件で良いものと見なすのはどうだろうか。国民が野菜不足だからと、野菜を美味しく自然に食べられるような政策を打ち出すのはいいけれども、野菜は絶対的に素晴らしいなどと言い出すのはなんだか怖いのである。


 このようなことを、子供であるがゆえに理路整然でないけれども、どことなく不安を感じていた。


 けれども一方で、アコビトにとって姫首相は自分を助けてくれた英雄であった。

 二人だけの時は、動物ごっこですと言いながら、にゃあにゃあ言ってベタベタしてくる変な人だけれども、ここぞという時は特別警察を倒してくれた時のように、ズバリ決めてくれる人だと思っていた。

 そんな尊敬する人がこうも嬉しそうにしている。いい案でしょう、すごいでしょう、と言いたげな様子を前面に出している。

 なんとなくの感情で邪魔をしては悪い、と思った。

 加えてこの当時のアコビトは、まだ自尊心にも自立心にも乏しく、それは間違っている、とはっきり言うことができなかったのである。


 それでもアコビトは良い案だとは言えなかった。言えば自分の気持ちに嘘をつくことになる。

 代わりにこう言った。


「姫ちゃんならできると思うの」


 姫首相はアコビトの内面に気づかない。

 彼女はただ「わあ! 良かったです」と言った。


「アコがそう期待してくれてほっとしました。すごく、すごく嬉しいです!」


 そうして、アコビトの両手を握って上下にぶんぶん振り回したのである。

 アコビトの心に、ズキリと罪悪感が突き刺さる。そうして彼女は一層、何も言えなくなったのである。


 この一連の出来事でもって、姫首相はこの先何年も共感案を信じ続けることになる。

 共感は絶対的に素晴らしいという考えを確固たる信念として持ち続けることになる。

 共感政策の強力な推進者として活動し続けることになるのである。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

次回は明日投稿します。


2017/10/31 誤字脱字修正

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