第14話 共感演説
「臣民諸君、わたしは共感こそが十字国に必要なものだと思う」
アコビトとの会話から二週間ばかり過ぎたのちのことである。
姫首相は、万を超える群衆を前に、首相官邸のバルコニーに立ち、演説をしていた。
テレビカメラが彼女の顔をとらえており、映像は全国にリアルタイムで中継されている。
この日の演説について、姫首相は閣僚や議員達に次のように説明していた。
こうも国家方針案がばらけては、どうにも収拾がつかない。
まず一度、わたしから直接国民に向けて自らの見解を述べたいと思う。
その結果を見た上で今後どうするかを決めたい、と。
「なぜ共感か? それは十字国民にとって、共感が絶対的に良い感情だからだ」
姫首相の、意志の強さが感じられる言葉が、官邸前の広場に朗々と響き渡る。
「嘘だと思うなら、辞書を見たまえ。共感を悪く言う言葉などどこにも載っていない。
例えば、愛という感情なら、『溺愛』や『偏愛』のように、悪い意味で用いられる単語がある。
喜びという感情なら、『狂喜』という、これまた良くない語が載っている。
愛も喜びも、場合による、と言っている。
しかし、共感はどうだ? 『溺共感』や『狂共感』などという言葉が載っているか? 何か共感を批判するような単語が載っているか? いないだろう?
もし、我々が少しでも共感について『何か悪いところもある感情だ』と考えているのなら、悪く言う単語や熟語が生まれているはずだ。辞書にも載るはずだ。
それがないということは、我々が共感を、いつだって素晴らしい感情と見なしている、ということだ」
群衆は、ただ静かに、姫首相の言葉に耳を傾けている。
圧倒的な人気を持つ英雄の言葉である。皆、黙って聞く。
「辞書では信じられぬと言うなら、皆の言葉を聞きたまえ。誰も共感を悪く言ったりなどしない。
例えば、喜びという感情なら、『喜んでいる場合ではない』という常套句があるだろう? そうやって喜ぶことをいさめているのだ。
楽しむという感情なら、『ずいぶん楽しそうだねえ』とイヤミを言われることもあるだろう? そうやって楽しむことをいさめているのだ。
しかし、共感はどうだ? 『共感している場合ではない』などと誰が言う? 少なくとも常套句ではない。『ずいぶん共感していそうだねえ』とイヤミで言う者もいないだろう? もし共感という感情に何か負の側面があるとしたら、必ず悪く言う常套句、決まり文句というものが生まれているはずではないか。日常的に口にされているはずではないか。
それがないということは、これすなわち、共感は、無条件で良い感情だということを意味しているのだ」
アコビトはテレビ越しに、姫首相の演説を聞いていた。
彼女はこの二週間、熱を出して寝込んでいた。見舞い中の姫首相は、気をつかってのことだろう、政治のような頭を使う話は一切しなかった。
それゆえ、姫首相が突然このような演説をし始めたことがアコビトには理解できず、戸惑いを覚えていた。
もちろん姫首相の行動には、彼女なりのわけがある。
けれども、そのわけを知らないアコビトからしたら、ただただ意味がわからない。何か嫌な感じすら覚えてしまう。
姫首相の演説は続く。
「このように共感を批判する言葉が十字語にないということは、十字国民にとって、共感が無条件で正しい感情に相違ないということだ。
十字国民にとって、共感は絶対的に良い感情なのである。
そう、共感こそが我ら十字国民に求められている感情なのだ!」
堂々と王者の風格を漂わせながら自信にあふれる口調で姫首相が述べると、聞いている者は何となく正しいのではないかという気になってくる。
演説の場、とりわけ重要な演説をする時の姫首相は、日頃の冷然さを見せない。
代わりに、デモ隊を指揮していた時のような力強さと情熱が表に出る。場面場面に応じて期待されている立ち振る舞いを、自然と無意識のうちに計算しているのだろう。
訴えかけるような熱のある声調で、姫首相は演説を続ける。
「以上が、我が国で共感が必要とされている理由である。
わたしはここまで述べてきたことの裏付けを一応念のため専門家諸氏に取った。言語学者に聞いた。心理学者にたずね、脳科学者にも問い合わせた。民俗学権威のミンケン氏にも確認を取った。彼らは一様に、間違っているとは断言しなかった。これだけの専門家たちがそろって否定しなかったのである。
さて、ここからが本題だが……」
姫首相は一度言葉を句切り、長い艶やかな黒髪をごく自然にかきわける。
実のところ、これは彼女が緊張している時の癖なのだが、優雅にあざやかな所作でかきわけるものだから、誰もそのことに気づかない。
姫首相は息をひとつ吸うと、こう言った。
「わたしはここに提案をする。
十字国の国家方針は『国民みんなが共感し合える国』にすべきだと。
理由はこれまで述べてきた通りだ。
国家は生きのびるために最大限の努力をすべきだが、それだけでは国民は幸福になれない。現に、平和で豊かな国であっても、王室打倒運動は起きた。何かが足りないのだ。その何かとは、すなわち満たしたい感情が満たされることではないかとわたしは考える。それこそが、人が生きる根源的な目的だからだ。
では、十字国民が満たしたい感情は何か?」
姫首相は群衆をぐるりと見回す。
「もうわかるだろう。
共感である。
共感を満たしたいからこそ、十字国民諸君は共感を絶対的に良い感情として扱っているのだ。
それでは今現在、臣民諸君の共感は満たされているだろうか?
わたしはこの二週間、権限の及ぶ範囲で人を動員し、街頭や電話やネットなど、様々な方法でアンケートを採らせた。わたし自身、おしのびで外に出て、ささやかながらも街の声を聞いた。どれほど皆の共感が満たされているかを調べたのだ。
結論はこうだ。
十字国民の共感はまだまだ全然満たされていない。満たしたい感情が大いに不足しているのだ。
これでは不幸ではないか!
それゆえ、皆の共感を満たすこと、国民の誰もが互いに共感し合える国を目指すことこそが、国家方針だと考えるのである。もう二度と……」
次第に姫首相の気持ちが高ぶってくる。
あらかじめ用意していた台詞は既に尽き、感情のおもむくままに言葉を連ねる。
「もう二度とメジリヒトのような悲劇を繰り返してはいけない!
ここにいる皆の者、そしてテレビ、ネットの前で中継を見ている臣民諸君。
わたしはあなたに共感している!
メジリヒトによって大切なものを奪われた者同士として、新国家船出の期待と不安を共有する者同士として、同じ十字国民として、わたしはあなたに共感している!
あなたはどうか? わたしに共感してくれるか?
共感してくれたあなた。今の気持ちはどうか? 少しでも満たされただろうか? もし満たされたなら、その気持ちがずっと続くことを想像してほしい。その気持ちを、あなたが知っている人全てに対して持つことができると思い浮かべてほしい。
わたしが作りたいのはそういう国だ。
もう二度とあなたの不満につけ込むメジリヒトのごとき輩は登場させない。
どうか、どうかあなたの共感を満たすお手伝いをわたしにさせてほしいのだ。わたしをそのための踏み台にしてほしいのだ。
わたしはあなたに共感している!
だから……だから、共感しているあなたには、どうか満たされてほしいのだよ……」
最後は半ば涙声になる。
演説中とはいえ、姫首相がこれほどまでに感情を見せたのは初めてである。
それゆえ、威厳と威圧のある態度を常日頃から崩さない我らが国家元首が初めて生の感情を見せてくれたと、そんな印象を見る人に与えた。
聴衆の心に深く何かがしみこんでくる。
しばしの沈黙ののち、ぽつり、ぽつりと拍手が鳴り始めた。
拍手の音は次第に強くなる。拍手のみならず、わぁという歓声も上がる。
官邸の敷地の外でも同様の現象が起きていた。自宅のテレビの前で、パソコンの前で、街角で携帯電話の動画を見ながら、わっと歓声が上がる。「姫首相! 姫首相!」と声が上がる。興奮して外に出て「姫首相万歳!」と叫ぶ者もいる。そうした者同士が道端で出会い、見知らぬ者同士なのに肩を組み、姫首相をたたえながら歌い出したりもする。
ともかく大盛り上がりだった。
ボス・ギッカジョーという名の実業家は、この光景を見て、こんな皮肉を言った。
「悪い独裁者を倒した美しいお姫様が、真正面から、あなたに共感している、なんて涙を流しながら言ったら、そりゃあ盛り上がるさ。
しかも、ついこないだまでメジリヒトに苦しめられていたんだ。
あんたがボコボコに殴られているところを、綺麗なお姫様が助けてくれたと想像してみろ。何を言われたって天使の言葉に聞こえちまうだろう?」
皮肉とも取れるこんな見解を述べたジャーナリストもいる。
「平素の姫首相は冷然たる態度、威厳ある姿を崩さない。軽々しく笑うこともない。
しかし、革命の時といい、この共感演説といい、ここぞという場では感情を見せる。国民は政治家には、冷静な判断を下してほしい一方で、熱い情熱を持っていてもほしいものである。姫首相のこの演出はまことに理にかなっていると言える」
とはいえ、このような見方をする国民はごく少数だった。
大抵の十字国民は、姫首相の言葉に、そしてその奥底にある感情に、大いに感じるものがあり、気持ちが盛り上がってしまったのである。
もとより、十字国民は共感という言葉を良い意味にのみ用いる。姫首相の言う通り、共感を悪く言う単語も熟語も常套句も決まり文句も、十字国には存在しない。皆が共感し合える国と言われれば、大半の十字国民は無条件で良いものとしてとらえる。
その絶対的に良いものである共感を、英雄である姫首相が情熱を込めて、今後の国是にすると宣言したのである。
反対しようもない。
十字国の国家方針はこれで決まった。
この後、議員投票、そして国民投票と、国家方針の是非を問う審判が予定されているが、圧倒的多数で受け入れられ、この方針をもとに憲法が作られることは間違いなかった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
続きはまた明日投稿します。