第13話 生きることの次に必要な何か
十字国の達成すべき目的は何か?
姫首相は自問する。
先ほど姫首相は、政治の正体について考えた。
第一に、国全体を見渡す。
第二に、達成すべき目的が満たされているかを優先度順にチェックする。
第三に、達成されていなかったら対策を講じる。
政治とは端的には、これだけのものであると姫首相は考えている。
となると、このような疑問が浮かんでくるのだ。
では十字国の場合、一体何を達成すべきなのか、と。
(もちろん第一の目的は、国の存続です。国民が飢えたり、戦争が起きたりしたら、国が滅んでしまうかもしれませんから、そうならないように平和と豊かさを保証しなければいけません。
でも、国が平和で、みんなの衣食住が満たされていても、王室打倒ブームは世界中で起きました。だから、それだけじゃ、きっとダメなんですよね。平和で豊かなだけでは何かが足りないのです。
その何か、生きることの次に必要な何かを満たすことが、国家方針なのではないでしょうか。国家と国民が生きのびることを目指すのは当たり前のことだから、わざわざ方針として書くようなことではありませんしね。となると、そうです、そうなると、十字国民にとって、生きることの次に必要な何かとは何でしょうか?)
「ねえ、アコ」
姫首相は問う。
「この二人きりの小さな国で、食べ物も服も安全も、生きていくのに必要な物は全部そろったとしますよ。次に何がしたいですか?」
衣食住が満たされた後、一体何が必要なのかを、姫首相はまず二人きりの小さな国の単位で考えようとした。
「姫ちゃんと遊んだり、悩みごとを話し合ったりしたい」
アコビトは即答する。
姫首相は頬がゆるみそうになるのを自覚しながらも、おほんと咳払いをし、質問を続ける。
「例えば遊ぶなら、何をしましょう?」
「一緒にお絵かきしたい」
「アコはなんで絵を描くのが好きなのですか?」
「んとね、えっとね、いろんなことがわかるから」
「……うん?」
姫首相は問い返す。
アコビトの言うことは年相応に整理も何もされていないものだったが、まとめるとこうであった。
アコビトは自分が興味を持ったもの、もっと知りたいと思う人や物の絵を描く。描くことで、それがどういうものなのか、自分がどういう目で見ているのかがわかってくる。さらに、絵を仕上げると、次に知りたいものも、自然と出てくる。そうして、どんどん知りたいものを追いかけ、描き続けるのだと言う。
「よくわからないものを見ると、知りたいって思うの。そう思うものを絵に描くのが好き。好きだから姫ちゃんと一緒にやりたい」
最後の一言にまた表情がゆるゆるになりながらも、姫首相は考える。
(つまり、アコは、好奇心を満たしたいのですね。
わたしも、好奇心ではないでしょうが、何か満たしたいものがあって、そのために生きているのでしょう。
というより、よく考えてみればみんなそうなのですよね。そのために生きている)
そこまで考えた時、姫首相は、はっとした。身体がびくっと震える。慌てて、考えていたことを思い出す。
「わたしも、好奇心ではないでしょうが、何か満たしたいものがあって、そのために生きているのでしょうね」
姫首相は先ほどまで頭の中にあった言葉を、そのまま口に出す。
「というより、よく考えてみればみんなそうなのですよね。そのために生きている」
「どうしたの?」
アコビトが、きょとんとした顔で不思議そうにたずねる。
「ねえ、アコ」
姫首相はアコビトと目を合わせて言った。
「今気づいたのですけれどね、人間の生きる目的って、何か感情を満たすことじゃないでしょうか?
何の感情を満たしたいかは、人それぞれなんです。ほら、アコでしたら、知らないことを知りたいって思うでしょう? そういうのを好奇心って言うんです。アコは好奇心が満たしたい」
「好奇心」
「そう、好奇心です」
「知らないことを知りたいと思う感情」
「そう、アコは、その感情を一番満たしたいのです」
「うーんと」
アコビトは小さな身体で腕を組む。
ふわふわした髪を身体ごと左右にゆらゆらさせながら、ゆっくりとした声で、うーんと、ええと、と言う。
そうやって、姫首相の言葉を頭の中でかみしめる。
「うん、なんとなくわかった」
「よかったです」
姫首相はほっとする。
「わたしの場合は、そうですね、一番は貢献欲でしょうか。誰かの期待に応えたい。何かの役に立ちたい。そういう感情ですね。
で、この満たしたい感情というのは、誰でも持っています。みんな、自分の満たしたい感情を満たすために、生きているんですよ。根っこにあるのはきっと生存欲で、これはあって当たり前のものなんでしょうけれども、生存欲を満たすためだけに生きている人っていないと思うんです」
姫首相はそこでいったん言葉を区切る。
アコビトが「うん、それで? それで?」と言う。
姫首相は言葉を続ける。
「みんな、満たしたい感情を満たそうとしているんです。
例えば、仕事をするのは、食べるためという他に、安定した社会的立場を得ることで安心という感情を満たしたり、高い地位を得ることで優越感を満たしたり、自分の能力を示すことで自己実現欲を満たしたり、と人によって色々満たしたい感情があって、そのために働いているんだと思います。
人と触れ合おうとするのも、人恋しいという感情を満たすためだったり、他者から認められることで承認欲求を満たしたり、好きな人を喜ばせたいという感情を満たしたり、といった目的があります」
「眼鏡をかけて、お金の話ばかりしている経営者も?」
映画か何かで見たであろう人物を例に、アコビトが問いかける。
「はい。そういう、一見すると利益のみを追求する合理的で計算高く見える経営者だって、なんで利益を求めるのかを問いただしていけば、根っこにあるのは、優越感だったり、支配欲だったり、そういう生の感情です。
アコも好奇心を満たしたくて生きているんですよね? それが満たせないと想像したらどうでしょう? 食べ物や家や服はたくさんあるとしますよ」
「んと」
アコビトは、うんとうんと、と一生懸命真剣な顔で想像をする。
好奇心が満たせない生活を思い浮かべる。知りたいことを知ることができず、絵を描くこともできない人生がどんなものかを脳裏に浮かべる。
「すごく嫌」
「そう、嫌なんです。誰だって嫌なんです。満たしたい感情が満たされていないと、どんなに平和で衣食住が充実していたとしても、その人は不幸になるんです。となるとですね」
姫首相は、ひとつ間を置き、こう続けた。
「十字国民の満たしたい感情ってなんでしょう?」
国民性、という言葉がある程度には、同じ国の国民というのは似通っている。
何もかもそっくりというわけではないが、外国人と比べれば、それなりに似ている。
似通っているなら、満たしたい感情も似ているはずだ。十字国民が共通して満たしたい感情、というのがあるはずだ。
それはなんだろう? と姫首相は問いかけたのだ。それこそが、十字国にとって、生きることの次に必要な何かではないか、その感情を満たすことを国家方針として示すべきではないか、と考えたのだ。
「たぶん、わたしもアコも、その感情を満たしたいと思っているはずなんです。満たしたい感情は一人ひとつとは限りませんから」
「うーん。えっとね」
アコビトは少し考えた後、言った。
「姫ちゃんはきっと正しいと思うの。正しいことなら、姫ちゃん以外にも考えている人はいると思うの。その人の話を聞いてみたらどうかな」
「なるほど」
姫首相はうなずくと、
「よし、アコ。わたしはどうするか決めましたよ」
と言った。
官邸に山のように積み上がっている国家方針案のことを思い出したのだ。議員だの大臣だのが提出した方針案である。あれだけあれば、満たしたい感情について触れている案があるかもしれない。姫首相は、該当する案があれば、それこそを国家方針として定めようと決断していた。
姫首相のこのような手法、すなわち、ただ一人の子供を相手に重要な政治問題を悩みとして打ち明け、その上で政治的決断を下すというやり方は、こののちも何度か行われ、後世しばしば批判の対象となる。
「素人の子供二人がちょっと考えたくらいで正解がわかるほど、政治的決断は軽いものではない」という具合である。
擁護する声もある。「大人の専門家達が集まったからと言って、良い結果を生むとは限らないさ。のちに開催される選抜共感会議のことを思い出してみろ」というものである。
姫首相自身は無論、後世の評価など知らない。
その日、決断を終えると、姫首相はそれでもう政治的な話は終わりにして、あとは二人して絵を描いて遊んだ。姫首相の絵はひどいものであり、アコビトから「めっ。ちゃんと見て描くの」と叱られた。普段誰からも叱られることのない姫首相は、なんだか嬉しくなって笑ってしまった。
やがてアコビトが疲れて寝てしまうと、そっとベッドに運び、起こしてしまわないように静かに布団をかけるのだった。
数日後、六つの国家方針案が秘書長より該当物、すなわち満たしたい感情について書かれた案であるとして、提出された。
姫首相は、順に目を通す。
一つ目を見る。二つ目を見る。
どれも、満たしたい感情に触れてはいるが、方針案の中心には据えていない。
五つ目を見る。今までと同じだ。
最後に六つ目を見る。
これまでと同様、まずさっとキャッチフレーズに目を通した後、その先を読もうとする。
そこで視点が止まった。
キャッチフレーズにはこう書かれていたのだ。
「国民みんなが共感し合える国」と。
読んでいただき、ありがとうございます。
明日また投稿します。
2017/10/29 誤字脱字修正