第1話 姫首相の悩み
「共感は火に似ている。
どちらも、温かく大切なものである。
どちらも、扱いを間違えると大変なことになる」
(クノーカ経典 16章23節より)
◇
姫首相は困っていた。
彼女は十六歳の少女だった。政治など、まるでわからない。
にも関わらず、人口一億人の先進国の国家元首なるものに、ある日突然なってしまったのである。
そして今、国の命運を決める、とある重大な決断を迫られている。
命運を決める国の名は、十字国と言う。
その名の通り十字型の島を領土に持つ。
工業が発達し、八千万台もの自動車が国中を走り、コンピュータのネットワークが到るところに張り巡らされている。店頭には大量生産された商品であふれ、国民のほぼ全てが衣食住に不自由のない生活を送っている。
国力で言うなら世界で十指に入るだろう。
そんな国の最高権力者に、政治の素人の身でありながら、なってしまったのである。
お飾りではない。
強力な権限が与えられている。
大臣や高級官僚の任免罷免は思いのままである。法の制定や予算の編成においても多大な発言力を有している。軍や警察といった国家の暴力機関も大いなる忠誠を誓っている。
何しろ、周りの政治家達も、国民の大多数も、姫首相には大いに期待しているのだ。
「あなた様こそ、腐敗した我が国の悪しき慣習を打ち壊し、一から立て直す救世主様でございます」
などと面と向かって言う者もいるほどである。
姫首相としては目を白黒させるばかりである。
(どうしたらいいのでしょう……)
困り果てた姫首相に対し、大臣の一人がこう助言した。
「やらなければならないことはたくさんあります。
何しろ我々は革命によって政権を獲得したばかりです。なすべきことはいくらでもあります。
しかし、まず何よりすべきは、国是、いわゆる国のキャッチフレーズを決めることです。生まれ変わった十字国がこれからどんな国を目指していくのか、国民に対して短い言葉で伝えるキャッチフレーズを考えるのです。
長くてはいけません。せいぜい二十文字までです。その二十文字で、これから先の何十年、何百年という間、国がどこに進もうとしているのか、その方向を示すのです。あなた様が我が国をどのようにしたいのか、一言で表すのです。
『みんなで金持ちを目指す国』でも、『世界一の福祉国家』でも、『幸福指数が高い国』でもいい。短い言葉で、要点をわかりやすく示すのです。そうして、国民や諸外国に伝えるのです。
でなければ、みんな、どうしていいのかわかりません」
姫首相はアドバイスに対して、元首らしく「ほう、そうか」と偉そうな態度でうなずいたが、内心はこう思っていた。
(そう言われましても……)
なるほどキャッチフレーズは重要だろう。
これから先の何十年何百年にわたる国家の長期方針を決める大事なフレーズである。
例えば、海の向こうの大陸で二百年前に独立した、とある国は、自由と平等と独立独歩をキャッチフレーズとしている。百年前に生まれた別の国は、とにかく競争して金を稼いで豊かになること、をキャッチフレーズとしている。いずれも、両国のその後の政策決定に大きな影響を与えている。
政策というのはとても重要だ。
例えば、経済政策を誤ると、景気が悪くなり、自殺者が何千人と増える。外交政策と国家安全保障政策を誤ったばかりに、しなくてもいい戦争をする羽目になり、何百万人という人命が失われた例もある。
膨大な数の人生がかかっているのだ。たかがキャッチフレーズとは言っていられない。大事な決断である。失敗するわけにはいかない。
では一体、どんなフレーズをつけるべきだろうか?
意見を言う者はいる。大勢いる。
大臣だの議員だの官僚だの学者だのが、経済重視のフレーズだの、国防重視のフレーズだのを、あれこれ持ってくる。詳細な資料もたずさえてくる。助言もあれこれする。
素人である姫首相には、どれも説得力があるように見えてしまう。
しかし、どれもいいですね、などとは言っていられない。どれか一つを選ばなければならないのだ。
多数決で決められる状況ではない。何しろ、皆が皆、言うことがバラバラなのである。投票したところで、票は細かく分散するばかりで、皆が納得する結果にはならないだろう。
姫首相が自らの責任で、国の進むべき方針はこうする、と決断しなければならないのである。
しかし、しかしである。
「どうしてこうなってしまったのでしょう……」
今、姫首相は一人、首相執務室で頭を抱えていた。
彼女はまだ十六歳である。国家元首をやるような歳ではない。古代であっても、摂政だの国王代理だのが政治を代行する年齢であろう。まして今や人工衛星が宇宙を飛ぶ時代である。
人前に出る時、姫首相はいかにも威圧と威厳に満ちあふれた国家元首に見える。
「わたしは貴様にやれと言ったのだ。聞こえなかったのか?」などと冷然として言う。
それでいて嫌みがない。王族として幼少期から気品ある振る舞いをしつけられてきたからだろう。偉そうな言動が、実にさまになっている。
さまになりすぎて、ある時、報道会見の場でカメラに向けて「国民どもよ、わたしに従え!」と尊大な態度で発言した時も、似合いすぎていたため、責められるどころか、喝采を浴びたほどである。
しかし、演じているだけだ。彼女なりに十字国民から期待されているであろう威風堂々とした首相像を演じているだけである。「強い指導者であれば、きっとこうすると思うのですが……」と想像しながら、発言し、行動しているだけである。
素は尊大でも何でもない。寂しがりやだ。誰かに甘えたがっている。
それゆえ、彼女は一人になった今、机に突っ伏していて弱音を吐いている。
「ああ、もう、こんな子供に国民一億人の命運を託すなんて、本気なのでしょうか……」
と、泣きそうな声を漏らしているのである。
数学の苦手な姫首相でも、一億という数字が膨大な数であることはわかる。そのひとつひとつに、貴重な人生が込められているかと思うと、身体が震えさえする。
姫首相の死後発見された日記には、生前ほとんど誰も知ることのなかった彼女のそんな心の内が描かれている。
今も彼女の内面は不安と困惑であふれそうである。
とはいえ、仕事を放り出すつもりはない。
国民の大多数から十字国復興を期待されている自覚があるからだ。
姫首相にとって、期待され、それに応えることは大いなる喜びであった。「期待されている」と思うと、「よし、がんばりましょう」と心の内から活力が湧いてくるのだ。逆に言うと、期待から外れることが怖くて仕方ない。
そして今、何よりも期待されているのは、一億を数える十字国民の運命を定めるキャッチフレーズを、ズバッとかっこよく決断することである。
とはいえ。
「はふぅ……」
姫首相は再び机に突っ伏す。
かつてないほどの決断の重さに、身がつぶされそうになる。
「決断……」
姫首相はつぶやく。
思えば、小さい頃から、様々な決断を下してきたような気がする。
(あれは、いつ頃のことだったでしょうか)
姫首相は、椅子の背もたれに身体を預け、目を閉じる。
そうして数年前まで、お飾りの王族でしかなかった自分が、どうして首相なんてものになってしまったのかを、思い返すのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、明朝に投稿します。
2017/10/24 サブタイトル変更
2017/11/4 冒頭の引用を追加