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いせかいにて  作者: 夏野 千尋
第一章 王国の中心
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薔薇の名前



 ミサはとても真面目だった。

 異世界人とは皆こうなのだろうかと不思議に感じる。20年前に召喚された異世界人は、とても賢く真面目な人で、大戦に大いに役に立ち、我が国(アーダルシャン王国)を勝利に導いた末亡くなったのだという。


 異世界人とは、この世界の人間とは違う法則に基づく未知の知識を持っていて、膨大な魔力を使い道もわからず遊ばせている人間だ。

 使い方を知れば毒にも薬にもなるはずなのに、彼ら自身は欲に走ることがない。

 不思議だと思う。この世界で生きて行くには、きっと彼らは清すぎる。




「うん。大分良いんじゃない?じゃ、今日はここまでね」

「うわーい!やったーおしまーい!」

「ちょっとミサ、ちゃんと復習してよね」


 ミサが解放感に溢れた声をあげると、水を差すような言葉を突きつけるサクリトフ魔術師だけれど、ミサが休憩するのを止めはしない。

 私が仕事をこなしながら聞いていた内容だと、ミサはひたすらに実用的な知識を詰め込まれているようだ。とにかく戦うための、生き残るに役に立つもの。かなりハイスピードなので、ミサが嫌になる気持ちもわからなくない。


「終わりましたよ、サヤさん!お茶しましょ、お茶」




 私もミサに合わせて一旦仕事の手を止める。ミサがメイドにお茶の準備を頼む前にメイドは動き出している。さすがプロ。

 勉強用の部屋から客間に移動すると、ソファーに腰かける。サクリトフ魔術師も一人掛けのソファーに腰かけて優雅に足を組んでいて、見惚れるほどに美しい。


「ちょっとヴァル、どうして当然の顔してここにいるのよ」

「悪い?」

「悪いに決まってるわ!わたしとサヤさんの憩いの時間をとらないで!」


 だがミサはサクリトフ魔術師の美しさに惑わされることもないようで、彼に指を突きつけて言ってのけた。どうやら私はミサに好かれているらしい。それはとても、私にとって良いことだ。


 二人が言い合っている内容に私が含まれているので、見過ごすこともできず仲裁に入る。


「まあまあ、ミサさん、私とならいつだってお話はできますから」

「えー、そんなこと言ってもサヤさんは結構忙しいじゃないですか」


 確かにそうだ。私は働いているから。


「あ、ちょ、ヴァル!何で先にお菓子食べてるのっ?」

「結局ミサは妥協することになるんだから、結論を先回りさせた方が楽だと思って」


 しれっとしたサクリトフ魔術師に、直情的なミサが敵うことは多分ないだろう。ミサはため息をつくと、仕方がないと言う風に椅子に座った。


「もう、今回だけだからね。サヤさん、お菓子食べちゃいましょ」

「そうですね」


 私も苦笑しながら頷いた。サクリトフ魔術師の目当てはミサか、お茶請けの菓子か。宮廷料理人か王族御用達の店が作っているお菓子は絶品だ。私もミサと一緒にいてとても惹かれる点だと思う。


「この世界のお菓子は美味しいよねぇ。わたし、こんなに美味しいのははじめて」

「さすがは王族御用達ですからね。高級な味がします」

「二人とも何庶民みたいなこと言ってるのさ」


 タルトを摘まみながら二人、そんな話をしていれば、サクリトフ魔術師が突っ込んでくる。が、流石は伯爵子息だ。お貴族様感が凄い。


「庶民みたいも何も、わたし、庶民だよ?」

「ミサさんはともかくとして、私は孤児ですから。どう考えても完全な庶民です」


 思わず言い返してしまった。サクリトフ魔術師は目をぱちくりさせて、何だか驚いた様子をした。


「そうか。ミサは置いといてサヤ魔術師は庶民だったか……所作が綺麗だからすっかり忘れてたよ」

「はあ……ありがとうございます…?」


 確かに城勤めの教養の一環として恥ずかしくない程度の所作を叩き込んで入るが、挙措を誉められたのは初めてだ。じわじわと嬉しさが込み上げた。


「ちょっと二人とも!なんでわたしを置いといちゃうの?」


 ミサの抗議に二人、顔を見合わせる。


「でも、やっぱりミサは庶民って感じはしないね。貴族とまではいかないけど、豪商の娘って感じだからさ」

「そうですね。ミサさんは、ご両親にのびのび育てられたという感じがしますから」


 大分柔らかい表現だが、実際ミサはこの世界の庶民とは違う。彼女は井戸から水を汲む方法を知らない。兎や鳥の捌き方も、洗濯に使う水の冷たさも知らないだろう。

 それが彼女の世界の庶民なのだと言えば、それまでだ。ただ、この世界で彼女は庶民とは言えないだけなのだから。


「うー、わたしは普通ですよぅ……」


 往生際の悪いミサはソファーに縮こまって文句を垂らしているが、聞かないでおこう。


「ミサの世界は、食文化が発達してないの?これはそれほど複雑な作りはしてないじゃないか」

「タルトはあっちにもあるけど、わたしが食べてたのはコンビニのやっすいスイーツなんですぅ!むしろ食文化は発達してたと思うよ。でもお父さんは国内最高級のお菓子をほいほい買えるほど稼いでなかったの!わたしは庶民なんですぅー」

「……確かにそれは庶民なのか…?ミサの国は所得格差の少ない国なんだっけ?その中での給与の差、か。興味深いね」

「お父さんが泣いてるのが目に浮かぶようだよ……」


 肩を落とすミサは、故郷が恋しくないのだろうか。ふとそんなことを考える。私の故郷は森の家。先生と澄と私の三人で過ごした、懐かしいあの場所。もう帰ることはできないけれど、帰りたいと思うことは多い。


「ミサさんは、強い方ですね」


 感嘆のように漏れ出た言葉は、ミサの心には届かなかったらしい。まあ、それでもいいと思っているが。


「えーわたしなんて強くないですよ」

「サヤ魔術師にはミサがイノシシみたいに見えたんじゃない?似合いだよ、ミサ」

「今の絶対誉め言葉だったよね!?ヴァルの意地悪!」


 サクリトフ魔術師が茶化してミサがそれを真に受ける。二人は本当に仲が良い。それが異性間に発生する愛でなくても、そう見えてしまうのは仕方がないだろう。

 私は、恋はわからない。愛は多分、わかる。先生が私にくれた感情だ。二人の関係は嫌いじゃない。


「ミサさんでよかったと思います」


 気付けば私は微笑んで言っていた。


「え」

「あなたが、召喚された人で、本当によかった」


 一語一語区切るように言い含める。これは私の本心。心の強い人で、良かった。


「…………サヤさん、嬉しいです、そう言ってもらって」


 ミサは破顔してそう言い、サクリトフ魔術師は何も言わない。異世界人の召喚に反対する人ではなかったが、彼はミサのそばにきっと一番長くいる。彼も彼で、きっと思うところがあるのだろう。

 それに、口では悪態ばかりなサクリトフ魔術師も、ミサが生き残るすべを熱心に叩き込んでいる。間違いなくミサを気に入っているはずだ。

 私はミサの手を握ると、目を見て笑んだ。


「だからね、ひとつ、忠告です。ミサさんは名字を持っているでしょう?」

「はい……」


 戸惑ったように目を瞬かせるミサは、可愛らしくか弱げだ。つい守ってあげたくなる。


「それを誰にも教えてはいけませんよ。名前は力を持つものです。あなたの存在を縛られてしまいたくないのなら」

「―――サヤ魔術師。どうしてあんたがそんな話を知ってるの?」


 鋭い声はやや強ばっている。サクリトフ魔術師も、知っていたのか。知らないこともないと考えてはいたけれど、彼があの人非人な術を許容していたと言うのには悲しさがある。


「さあ、どうしてでしょう?」

「ヴァル…今のは、どういうこと?サヤさんは、何をいったの?」

「あんたは知らなくていいことだ」


 サクリトフ魔術師は、ミサと会話をしながらも私から目を逸らさない。その瞳のアメジストは、清冽な気配をまとっていた。

 彼の鋭くとがった視線に、私は思わず苦笑する。目を離せばとって喰われてしまうとでも思っているみたい。それほど、警戒されているようだ。


「そんなの―――」


 突き放されて抗議しようとしたミサを遮って、ミサに告げるようで、私に伝えるように、サクリトフ魔術師は言った。


「僕は、あの術を使うつもりはひと欠片もない。だから、ミサは知らなくていい」

「ヴァル…」


 ミサは不安げに瞳を揺らすが、サクリトフ魔術師にそれ以上話すつもりはないようだった。私は今度は逆に彼を見つめる。彼は決まり悪げにその瞳を伏せたが、彼を信じることにした。


「わかりました。私は術のことなど知りません」

「ああ。サヤ魔術師は禁術の知識など持っていない」


 サクリトフ魔術師があの術を抹消してくれたらいい。私はそんな願いを込めた。




 結局微妙な空気のままお茶会のようなものは終わった。

 この後サクリトフ魔術師とミサは授業の続きだ。私はギーセン様について魔術師塔まで戻っていた。


「……サヤ殿は、薔薇が好きなのか」


 ミサの部屋を出て、ギーセン様が来るまで薔薇園を見ていたからだろう。彼は私に尋ねた。


「ええ、まあ、嫌いではないです。華やかで、香りもいいし、とても綺麗だと思います。名前なんかはさっぱりですけどね。ギーセン様は?」


 薔薇は高貴な人にしか育てられない。手入れが難しく、費用がかかるからだ。だから王城や貴族の屋敷にしか咲いていない。


「俺の母が薔薇が好きで、品種などは随分覚えさせられたものだ」


 精悍だが武骨な印象のある彼が薔薇に詳しいとは。少し意外。ギーセン様はついと指を伸ばすとピンクのものを指差した。


「これはヴァーリア。あの黄色いものは、シャロット。赤い薔薇はノエミ。一番古い種だから聖女の名を冠しているらしい。珍しいもので言えば、サフ、という空色の薔薇があるとか」


 青い薔薇、それは不可能の代名詞であるはずだが、品種改良に成功していたのだろうか。首を傾げると、彼自身も存在すら疑わしいと言っていたため、本当に噂でしかないのだろう。


「薔薇は皆、女性名をつけられているのですか?」

「基本的にそうだ。当時の王族の姫に因んだものが多い。我が家には、母の名の薔薇もあるが」

「ギーセン様のお母様ですか。きっと薔薇に負けないお美しさなのでしょうね」


 ギーセン様は美丈夫だ。彼の母親が美しくないわけがないだろう。

 彼は苦笑した。


「我が母ながら、年齢不明な方だ。いっそ恐ろしくすらある」


 さもありなん。フランシスカもだが、この国の女性は年齢がわからない。


「ヴァーリアを気に入られたか?」


 ピンクの薔薇がとても美しい。ミサに似合いだと思う。清らかで、華やかな様子が。

 眺めていると、ギーセン様が私に尋ねる。

 私は静かに首を振った。


「まるで、ミサさんのような薔薇だと思って」


 初々しいピンクや、軽やかな花弁の感じが彼女によく似ている。


「…そうだな。今度彼女にうちのを献上しようか」


 献上。ミサはその言葉を使われる人だ。自分を庶民だと主張する彼女が不憫だった。




 研究室に戻って仕事を続けていると、日が落ちてからサクリトフ魔術師が訪ねてきた。慌てて機密書類を隠せば、そんな必要はないと一蹴された。

 確かにそうだ。彼は魔術師達の元締めの第一研究室の副室長なのだから、私の研究などお見通しだったろう。


「………ミサが、」

「あ、少し待ってください。今、防音の結界を張りますから」


 サクリトフ魔術師の沈痛な面持ちから想定できないわけではなかったが、予想通りミサの話になったため、彼を遮って普段持ち歩いている手帳を開く。

 記述式のそれを一枚破いて魔力を込め、魔術を発動させれば、サクリトフ魔術師は酷く呆れたように私を見た。


「あんた一体なんなの?意味わかんないんだけど」

「……フランシスカに『ミステリアスな女の方が素敵よ』って言われたので黙秘します」

「答えになってないね」

「…そうですね」


 気まずくなって視線を手元に落とす。サクリトフ魔術師は、珍しく杖を持っていた。


「……私を、尋問しに来られましたか。私は、澄の犯した罪とは何の関係もありませんよ」

「違う。あんたの考えを聞きたくて…」


 語尾は宵闇に紛れて消える。


「私の、考えですか」

「僕はね、割とあんたを信頼してるんだ。あんたがミサの害になるようなことをしないだろうと思ってる。だから、あんたがどうやら禁術を盗み見してたことは不問にしてやるよ。

 僕もやってたしね」


 さもありなん。返答を思い付かない。


「……………」

「ミサはもう、名前を名乗ってしまってる」

「……まさか!」


 思わず顔をあげる。サクリトフ魔術師は静かに言った。


「本当だ。その上、家名の方は二十年前の勇者と同じらしい。

 ………僕は、絶対にあの術を使いたくないけど、あの術を知ってるやつは多いから」


 思わず息を飲んだ。そんな偶然があっていいのだろうか。それでは彼女の母国語での表記がバレてしまっている。


「せめてだけど、名前の表記だけはばれてない。ミサには言い聞かせておいたけど、何があるかわからないんだ。だから―――サヤ魔術師は、ミサのことを気にかけてくれ」


 私は微笑んだ。彼女に味方がいるのはいいことだ。不安の方が多いけれど、今はそこだけを見ておこう。


「私の力の及ぶ限り」

「……あり、がとう」


 いいなれていない謝辞に、面映ゆい気持ちになる。




 サクリトフ魔術師が居なくなって、私は一人、窓から空を眺めていた。星が美しい夜だ。


 私は星が嫌い。


 でも、先生は好きだった。

 人は死んだら星になるのだと聞いたことがある。先生も、星になったのだろうか。




 まだ、この世界にいるのだろうか。














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