城での生活
「うぅ〜ヴァルがスパルタ……」
ミサの私室はとても豪奢で、まるでお姫さまの部屋のようだった。
帰ってくるなりそう呟いたミサはソファーに寝転んでクッションを抱き締めた。肩まである黒髪が散らばる。
私は持ち込んだ仕事をしながらお茶菓子に出されたフィナンシェを口に放り込んでいた。
「まああの歳であれだけの地位にいるのですから相当努力したでしょうし、その分厳しくなるのも仕方がないですよ」
万年筆を動かす手を止めてミサを宥めると、興味を持ったのかむくりと起き上がって私に視線を向ける。
「ヴァルってそんなにすごいの?偉そうだから偉い人なのかなーとは思ってたけど……」
「彼は身分も能力もある人ですから」
サクリトフ魔術師はミサに対しても偉そうなのか。確かに尊大な態度を崩さない人に思われるが、勇者さまにであってもその態度は崩さないとは。
「どのくらい偉いの?」
「伯爵家の嫡子で、第一魔術室の副室長です」
「ほぉ…ヴァルって貴族でもあるんだ」
サクリトフ家は魔術師の名門だ。爵位も伝統と権力を兼ね備えた申し分無いものでもある。彼の親兄弟は、基本的に魔術師でなくとも城で登用されているから能力もお墨付きだ。
サクリトフ魔術師の祖父は、サクリトフ家当主を退いた今も、現役で魔術師塔に勤めていて、地位は魔術師長。彼が次期魔術師長と目される所以もそこにあるのだろう。
サクリトフ魔術師が貴族であることに感心したように息を吐くミサだが、王家の庭でお茶会をする子がすることなのだろうか…。
…認識のズレがある気がする。
「ミサさんの周りは貴族の方が多いと思いますよ?」
というよりは、城に勤めていてミサの話し相手の仕事を振られる人間は貴族以外に殆どいないと思う。
「…でも、サヤさんは名字もないし、貴族ではないんですよね。地位は…あ、ヴァルと同じ副室長だったりするの?」
その疑問に酷く落ち込む。
「……………どうせ私には身分も能力もありませんから!」
サクリトフ魔術師は天才だから今あの地位にいるのだ。私はせいぜい秀才だし、孤児だから頑張ったって出世はできない。
この間、間近で見た秀麗なご尊顔を思い出していじけた気持ちになる。華奢で繊細な顔立ちは女性よりも麗しく、瞳には紫水晶が嵌め込まれ、髪はキラキラと輝くプラチナブロンドだ。
「身分も能力も備わってる上に顔まで良いとか本当……世の中って不公平ですよね……!」
「ふぅん、あんたは僕をそういう風に思ってるんだ」
「そりゃそうですよ。年齢同じなのにこの格差……って、え!?さ、サクリトフ魔術師っ」
しみじみと独り言を呟いている筈だったのに。遅ばせながら可笑しいことに気がつく。
ガタッと音をたてて椅子から立つ。振り返れば、自分の真後ろにサクリトフ魔術師が立っていた。
「なななななんであなたがここにいるのですか」
「うわ、すごい動揺してる。僕がミサの教師役だからに決まってると思うんだけど」
それにしても女性の私室に勝手に入ってくるなんて失礼なのではと思ったのだが、後ろにメイドが立っていたことからきちんと手続きを踏んでいるらしい。私が気づかなかっただけか!
サクリトフ魔術師は数冊の本をテーブルに置くと、椅子に座ったので、立場が一番下な私が彼の分までお茶を淹れてやる。
ミサの分も新しく紅茶を淹れてあげると、礼を言って角砂糖を4つ落としている。甘そうだ。
サクリトフ魔術師はミルクをティーカップすれすれまで入れてゆっくりとティーカップを口につけた。よく零れないな、と感心する。
「…うん。まあまあだね」
「………それは光栄です?」
ご感想にはやや皮肉を混ぜて返答する。そんなにミルクを入れて味が分かるのか聞きたいし、私はメイドや侍女ではないのだから、期待されても困る。
「で、私はお暇した方がよろしいでしょうか?」
サクリトフ魔術師がミサに用があると言うのならば、私はいない方がいいと思ったのだが、引き留められる。
ミサは両手を合わせてお願いのポーズをとっていて、サクリトフ魔術師は優美な仕種にそぐわず、眉根に深いシワを刻んでいた。
私がこの部屋にいるのは、ミサに呼ばれたからだ。ミサは年も近い、容貌も、黒目黒髪と似ている私を気に入ったらしい。懐かれている気がする。
度々お茶会をしたいと望まれるが、ミサはマナーや魔術師、剣術など勇者としての授業でいつでも暇なわけではなかったし、私も仕事のノルマはある。時間を縫って話すために、私はミサの部屋で仕事をこなしながらミサと話したりするのが日課になっているのだった。
ミサが気に入らないわけではない。だが、不本意ではある。フランシスカが《赤い目の兎》のスイーツを買ってくれているので許しているが。
「いや、ここにいろ」
座り心地のいい椅子に座り直すと、至極不機嫌にサクリトフ魔術師が言った。
幼さは残るが氷のようと例えられる美貌が歪むのを見るのは恐ろしい。まあ、氷の、というところから分かるように、彼がにこにこと機嫌がよいことなど見たものはいないのだが。
さらりと艶やかな白銀の髪を肩の後ろに払い除け紅茶を飲むと、やや乱暴に皿に戻した。
「不本意なんだけど、あんたがいてくれないと困るんだよね」
「何かございましたか?」
首を捻って考えるが思い当たる節はない。
サクリトフ魔術師は言いにくそうに言葉を紡いだ。
「こいつと二人きりだと妙な噂が立ちかねない…っていうか疑われてる。僕とミサができてるんじゃないかって」
「ああ、そういうことですか」
うん。了解した。確かに未婚かつ年頃の男女が密室にいれば、間柄が教師と生徒であっても勘ぐるものが出てくるに違いない。
残念ながらミサはよくわからないようでフィナンシェを手にして首をかしげている。
その容貌はやや幼いが、紛れもない美少女だ。黒髪はきちんと手入れされているのか艶やかで、毛先は緩くウェーブをかいている。ぱっちりしていて黒目がちな瞳は庇護欲をかきたてるし、ピンクの唇は少女めいて可愛らしい。更に黒目黒髪は神秘性を際立たせていた。
こんなに綺麗な女の子と噂されて、これほどの形相で嫌がる気持ちがわからない。
「ご不満なんですか?」
「冗談じゃないよ。こんな食い気しかないちんちくりんと恋仲だって?僕なら正気を疑うね。一番は実家が乗り気でお膳立てしてくるってのだけどさ」
サクリトフ魔術師はミサが手に取ろうとしていた最後のフィナンシェを容赦なく口にする。ああ、フィナンシェ…私殆ど食べられなかった…。
「ヴァルひどいよ!わたしが小さいんじゃなくてみんなが大きいんだよ!」
「はいはいそうなんだ。へえ。でも僕より大分小さいことに代わりはないんじゃない?」
私が失った甘味に消沈している間、ミサはちんちくりんと呼ばれたことに対して抗議している。雰囲気が喧嘩友達といった感じだ。
「事情は理解いたしました。ミサさんとお話しされている間、私は自分の仕事をしていても?」
「うん。構わないよ。僕は僕でやってるから。…ほら、ミサ、授業の続き」
「えーまたぁ?」
「この僕の授業が不満だって言うの?」
「だって、ヴァル分かりにくいんだもん」
ぴきりと空気が凍った。内心冷や汗をかく。冷気の元はサクリトフ魔術師だ。ミサに気づいた様子はなく、つらつらと不満を並べる。
「こっちは毎日魔術なんて無い世界で暮らしてたっていうのにさ、字も分からないところで魔術っていう意味分からない物を教わるんだよ?」
「………それは、確かに」
「そもそも魔術って何あれ。どういう理由でああいう風になるのか分からないよ。陣を書いたぐらいで何で水が凍ったりするの?」
「「………」」
真っ当な疑問に私もサクリトフ魔術師もついつい閉口する。
だが、すぐに気を取り直したようにサクリトフ魔術師は言った。それも、酷く底冷えする声色で。
「それは……あんた…今までの講義全部分かってなかったってことなんじゃないのか……?」
「へ?ヴ、ヴァル…?どうしてそんなに怖い顔をしてるのかな…?」
仄かに笑みすら乗せた顔でサクリトフ魔術師は言った。
「それは僕にこんな顔をさせてるあんたの方が分かっている筈だけど?」
蛇に睨まれた蛙の構図が見えるようだ。暫し硬直した場は、ミサが手にしたティーカップを音をたてて戻したことで動き始める。
「今から全部叩き込んでやる!」
「ちょ、ヴァル、勘弁して!さ、サヤさん助けてー」
流れ弾に当たらないように、私はにっこりとただ微笑んだ。ミサががっくりと項垂れサクリトフ魔術師の講義が始まったところで、私はメイドを呼び出すとフィナンシェのお代わりを要求したのだった。