第12章 降臨雪
はっとする。
下駄箱の前でひとり、ケータイを開いたまま呟いた。
「そうか」
天井を見上げ、すーと深く息を吸い、ふっとそれらを吐き出す。
四方に散らばっていた記憶が、湯船の栓を抜いたように一か所に集まっていくのを感じた。不思議だ。閃きの割に驚きは少ない。
ずっと何か違和感のような物を感じていた。これは極めて感覚的なもので、どこかに書かれているものではないだろう。
そして、その正体を知るための鍵は、唐突に姿を現した。たったひとつの矛盾。しかし、大きな矛盾だった。普通では起こらないような、決定的な矛盾。
その綻びから、解答にたどり着くことができた。どんな推理によって導き出されたのか気になるのだろう?実は、わたしは推理などはしていない。ただ、思い出したのだ。全てを。明確に。
あの日、12月5日。わたしは佐伯さんから電話を受けた。朝から仕事をしていた。次の日が日曜日だった記憶もあるから、最初に電話をもらった日は土曜日だったと思う。
再びケータイに目を落とす。履歴を閉じると、ホーム画面が表示される。カレンダーと時計は電波を受信することで、正確な時刻を刻み続けていた。
12月7日(水)とある。これがおかしい。そう、今日は12月7日の水曜日なのだ。それならば、12月5日は月曜日でなければならない。しかし、わたしは佐伯さんから土曜日に電話があったと記憶している。いや、正確に言えば、“土曜日にも電話があった“と記憶している。履歴にある12月5日の月曜日にもらった電話は、その時に出ることはできなかった。授業をしていたからだ。その後、かけ直した時に妊娠したかもしれないことと、転んでしまって流産したかもしれないことを聞いた。同じ話をされているのだ。どちらかの記憶が正しくないと考えるのが自然だろう。
わかっている。3日土曜日に初めの電話があったのだろうと言いたいのだろう?でも違うのだ。何故なら、わたしのケータイには3日の履歴が残っていないのだから。自ら消すことや、誰かによって消されることはあり得るが、そうする合理的理由がないし、そうする相手にも心当たりがない。
まあ、こんな説明の仕方をしなくともすぐに理解してもらえる。わたしは全てに納得のいく説明ができるだろうから。誰にかって?そんなの決まっている。
わたしは全てを思い出したのだ。
ミステリーにしては、ずいぶん出来が悪いって?大丈夫これはたぶん、喜劇だから。
ケータイを閉じて昇降口の外に目をやると、黒く立ち込めた雲が今にものしかかってきそうな雰囲気だった。
その日の授業がすべて終わり、ほとんどの部活動が終了した後、完全下校が済む頃まで職員室で仕事を続ける。20時になったのを確認し、帰り支度で学校を出た。校門を出て自宅と逆方向に歩みを進めていく。上り坂になっているせいか、それとも寒いからか、そうでなければこれからの行動に対する恐怖なのか、歩みはなかなか前に進まない。
ようやくとたどり着いた場所はもう真っ暗でほとんど何も見えない。綺麗にならされた地面と転がっているボールの少なさから、我が校の球児たちの勤勉さが伺える。
びゅっと吹いた風が頬を殴り、そのとてつもない冷たさが体力を奪う。ポケットに突っ込んだ手を出して、頬をさすると、僅かながら濡れていた。
空を見上げると、その理由がすぐにわかった。
「雪か」
その時、視界の隅に人影が映る。影のほうへ振り向くと、さっきまで誰もいなかったように思えた野球場に、見慣れた顔があった。
「みのりちゃん、こんなとこで何してんのさ。こんな時間に」
「お前こそ、部活は終わっただろ。沢木」
「きついなあ。いつものみのりちゃんじゃないですよ」
「こっちが本当だろ」
学校での沢木とは違う、呟くような落ち着いたトーンで言う。
「そうすか。ならいいんすけどね」
一呼吸おいて続ける。
「じゃあ、俺が誰だかわかりますね」
もちろん。
「戸村エネルギー研究所AC技術開発室室長沢木いづる」
しばらくの沈黙の後、二人で見つめあい、顔がほころんでいく。
「は、ははは。よかった。終わったかと思いましたよ」
「すまなかった。どれくらいかかった?」
「始まりが去年の12月24日です」
「1年もか、まだ大丈夫なのか?」
「正直判断できません。ただ、最悪の場合あと一回くらいなら使えます。それ以上はこっちでは限界かと」
「完成しているのか!」
「そりゃ、副所長みたいに1年も学校生活を謳歌したりしていませんから」
その皮肉めいた笑顔は、まさに皮肉を言っている時にされると、とてつもなく憎たらしい。
「悪かったよ。それよりよく1年でできたな」
「苦労しましたよ。基本的に現地調達で作れることはわかっていたんですが、なんせ一人でしたから」
まだ言うか。まあでもそんなことより。
「で、どこなんだ」
「来てください」
沢木の後をついていくとそこは拍子抜けするほど近かった。わたしたちがいた野球用グラウンドの裏の山。その入り口を少し右にそれたところ、斜面に沿って斜めに鉄の扉があった。やたらと落ち葉がかかっていたのは、沢木がやったのだろう。中に入って少し行くと、四畳半ほどの空間があった。
そしてそこには、パッと見ピタゴラ装置にしか見えない金属の塊があった。よく見るとスプーンなんかがつながっている部品もある。むこうで見た物とは、だいぶ印象が違う。思わず、本音がついてでる。
「大丈夫なんかこれ」
「さあ」
さあってお前な。まあいいか。
「でもこれが」
「ええ、間違えなく」
「奇跡を起こすシステム。アドベントカレンダー」
「さあ気合い入れましょう。相手は猫田ですから」
沢木の声に頷く。ゆっくりと息を吸い、腹の底から力を籠めるように、しかし、普通の声量で言う。
「しまっていこう」