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5.伯爵子息の本命は

登場人物が増えてきたので、なるべくネタばれしない人物紹介を作りました。

1話の前に入れてあります。

 「あぁ、その深い色の瞳にわたしを映して欲しい。この薔薇に吸い寄せられる蜜蜂と、同じ気持ちを味わうことになるなんて。

 貴女の前では平凡な言葉しか紡ぐことのできない、こんな男でも傍に居ることをどうか、許して」


 金の巻き毛の男子生徒が詩的な仕草で、一人の女子生徒に傅き愛を乞う。

 反対側では、茶色い癖毛の男子生徒が、彼女挙動ひとつも逃さないといった熱心さでスケッチブックに描き込みをしている。


 面白くない。

 デリエ・ピチカートの心の内はそれに尽きる。

 何故なら、今、中庭で他の女を熱心にデッサンしている茶髪の男は彼女の婚約者だから。

 クルツ・フェルマータはフェルマータ伯爵の次男であり、ピチカート子爵家次女のデリエとは幼馴染であり、婚約関係にある。

 継ぐ爵位はないものの、学生の身でありながら素晴らしい絵を描くことは有名で、将来の画壇を担うだろうと評判だ。癖のある長めの茶髪に落ち着いたオリーブ色の瞳、派手さはないが整った顔立ちの中々に格好いい男性である。


 その婚約者が、中庭で他の女に熱い視線を注いでいる。とろけそうな顔で! 花束なんか渡しちゃったりして!

 今まで自分には一度も甘い言葉を囁いたこともないのに! プレゼントだって萎れかけた薔薇(前日にスケッチに使っていたものだと、デリエは知っている)だって貰えただけマシな方で、何もくれないどころか、話すことすらない時だって、あったくらいなのに!

 中庭に向ける目付きは自然と険しいものになる。


 デリエはずっと、クルツはそういったことに興味がないのだと思っていた。昔から、遊びに行っても挨拶もそこそこにキャンバスに向かうことが多かったし、どれだけお洒落を頑張っても容姿や装いを褒められたことも貶されたことも一度もなかったから。そして、その態度は誰に対しても同じだったから。

 でもそれはどうやら違ったようだ。その証拠に、メロディ・ハルモニアにはあんなにも甘く微笑む。


 (なによ、あんなに鼻の下を伸ばして。嫌な感じ!)


 淑女としては落第だが、憎々しげに中庭を睨み付けてしまうことはデリエの身になれば仕方ないことと言えた。

 そしてそんな心持ちになってしまうのはデリエだけではなかった。

 クルツの反対側に膝まずいているのは、女子生徒に人気のあるアンムート辺境伯の末子オルフェである。程よく筋肉のついた引き締まった体に、長い金の巻き毛、甘いマスクに吸い込まれそうな藍緑色の瞳を備えた、芸術品のような美しさ、そしてその容姿を裏切らない甘い声まで持っている。紅を引かずとも赤く艶やかな唇からは、どんな荒くれ者でも聞き惚れ涙する歌を紡ぎ出すとまで言われている、現実離れした男だ。

 絵に描いたような麗しの貴公子は未だ婚約者が居ない故に、年頃の令嬢からは絶大な人気を誇る。一人の令嬢に取り巻きとして懸想している現状は、当然ながら多くの令嬢の反発を買っていた。


 「デリエ、あまりあちらを見てはだめよ」


 険しい目つきに慌てた友人が、手で頬を挟み、無理やり方向転換する。


 「そうよ、いいことないわ」

 「わたくし、実家から珍しいお菓子を頂いたの、少し早いけどお茶にしましょう?」


 他の友人もそれに同調し、やや強引に中庭の見えるサロンから引っ張り出す。

 デリエが婚約者と上手くいっておらず、ずっと悩んでいることは知っている。それが婚約者の不義理によるものだということも。

 比較的感情が顔に出やすいところがデリエの悪いところであり、愛らしいところでもある。友人たちはここ数ヶ月で彼女の気を逸らす術を身につけていた。


 「なんなの、あの方は!

 クルツの絵は特別なのよ? クルツは、依頼以外で人物を描くことなんてないわ!

 それなのに! なんなの!?」


 友人たちに、寮の応接室まで連れ帰られたデリエは席につくなり叫びだした。外ではまだ、人目があることを意識してか控えめだったらしい。

 事情を察した侍女が用意したのは気分が落ち着くカモミールをブレンドした飲みやすいハーブティーだが、それもどれだけ助けになるか。りんごの蜂蜜をひとさじ溶かして、優雅さをかなぐり捨てて一気に飲み干した。


 「あらあら、叫びすぎよ」

 「誰も取り上げたりはしないからゆっくりお飲みになって?」

 「ほら、お菓子も来ましたわ。

 南の砂漠国のお菓子だそうで、日持ちするものだそうですの。結構甘いそうですから、お茶は甘くないほうがいいかもしれませんわ」

 「まぁ、珍しいものを頂いたのね!

 見た目もなんだか不思議だわ、ねぇデリエ?」


 ほら、と友人達はデリエに促す。

 見たこともない手でつまめる褐色の菓子は正直、得体の知れない感がすごい。

 皆で食べれば怖くない、と出来損ないのクッキーに似た菓子に全員手を伸ばした。


 「触れた感じは結構硬いわね」

 「本当、それになんだか不思議な香りがするわ」


 友人二人は不思議そうに眺め、口々に感想を述べる。

 デリエも未知の食べ物をひっくり返してみたり、香りをかいだりしながら友人に訊いた。


 「ネルのお父様がくださったのよね? どういったお菓子なのかしら?」

 「たまたま砂漠国の方から頂く機会があったそうなのだけど、あちらでは珍しいものではないそうよ。

 干した果物やナッツとスパイスを固めたものだそうで、お茶請けや携帯食として親しまれているのですって」


 ネルと呼ばれた令嬢は、友人の関心が婚約者から移ったことに内心ほっとしながら答えた。

 それを聞き、安心した二人はぱくり、と口の中に放りこむ。


 「あ、甘いのね……」

 「口の中の水分が……」

 「おふたりとも、一口で食べようとなさるから。これは少しずつ水分と頂くものですわ」


 友人二人の暴挙にデリエも驚いた。この二人、そんなに食い意地が張っているタイプではなかったと記憶しているのだが。

 目を白黒させる友人に、ネルが甘味をつけていない茶を勧めて苦笑する。


 「だってどう食べるか分からなかったのだもの……」

 「ネルも意地が悪いわ、少しずつ齧りながら食べるものだって先に言ってくれればよかったのに」

 「ふふふ、お二人でもそんなことをなさるのね、なんだか可笑しいわ」


 笑い出すデリエに安堵した二人は令嬢らしさを失わないぎりぎりを保ってお茶を流しこみ、こっそり目を合わせた。




 数日後、デリエは自室で書き物をしていた。

 自身の父宛と婚約者宛の手紙だ。

 昼間まではあんなに心がささくれ立っていたのに、一度決めてしまうとこんなにも凪いだ気持ちになるのか、と自身の心の変化が可笑しく思えてくる。

 こんなにも穏やかな心持ちになれるのならば、友人たちに迷惑をかける前に決めてしまっていればよかった。随分と心配をかけたし、気も遣わせてしまった。明日、今までのお詫びとお礼を伝えよう。




 「デリエ、今日はなんだかいつもと違う気がするわ」

 「えぇ、なんていうか、その、随分晴れやかな顔をしているわ」

 「何かあったの?」


 翌日、食堂のテラスで友人は口々にそう言った。

 いつものメンバーでの昼食。テラスに出るのは久しぶりだ。

 ここからだと、逆ハーレムが見える、とここしばらくは友人達は皆で結託して避けていた。


 ところが今日は、デリエが季候が良いからと提案したのだ。たまたまだろうが、逆ハーレム劇場も展開されておらず、まぁいいか、とそれを受け入れたが何だか様子がいつもと違う。ここ最近はずっと浮かない表情で不安定な感情が表に出ていた彼女が穏やかに微笑んでいるのだ。


 「わたし、決めたの。

 クルツとの婚約を破棄するわ」


 笑顔でそう言ったデリエに、友人たちは言葉も出ない。

 ネルに至って手にしたフォークを落としそうになって慌てている。

 親友の混乱に気がつかないデリエは、続けた。


 「元々、私の父とクルツのお父様が友人で、幼馴染っていうだけの理由での婚約だもの。好きあっていたわけでも、政略的なものが絡んでいるわけでもないから、何ともないと思うわ。

 そりゃあ、少しはがっかりされると思うけれど、他に想う人がいるのに引き剥がしてまで結婚させるほうが不誠実だもの」

 「そ、それはそうかもしれないけれど、デリエ、あなたほんとうにそれでよいの?

 フェルマータ様のこと、あんなに好いていらっしゃったじゃない」

 「そうよ、トリルの言う通りだわ。フェルマータ様の一挙一動を気にしていたではないの」


 目を瞬かせ、友人は言葉を返す。つい数日前まで、男爵令嬢にあんなにも嫉妬をしていた人と同じ人間にはとても見えない。

 一体、どんな心境の変化だろうか、ちっともついていけない。トリルとセンツァは顔を見合わせた。


 「確かに、トリルとセンツァの言う通り、少し前までやたらとクルツのことを気にしていたわ。

 でも、自分のことを見てくれない伯爵家の幼馴染と結婚するより、政略でも領民の役に立つようなお相手と結婚した方がきっと幸せだわ。上手くいかなくても、嫌な思いをしても、自分を誇れるもの。

 わたし、ようやく気がついたの。皆にこんなに心配をかけて、それなのに幸せになれないような婚約を無理に続けるなんてよくないわ」


 今までごめんなさいね、とすっきりとした顔で、デリエは言い切った。

 同意してくれるに違いない、と隣へ視線を向けるとネルは宙を見つめたままだ。なんだか顔も青白い。


 「ネル、どうしたの? 具合悪いの?」

 「風が冷たかったかしら?」

 「いけないわ、室内に戻りましょうか」


 デリエが手を握ると、すっかり血の気をなくした手は冷たい。そしてブルブルと小さく震えていた。

 トリルもセンツァも慌てて席を立って、侍女に持たせていた肩掛けをそっとかける。室内に戻っても、ネルの顔色は悪くなる一方だ。


 「リィ!!!」


 そこへ、茶色い髪の青年が凄まじい勢いでこちらへ走ってくる。

 クルツ・フェルマータだ。

 デリエ達だけではない、皆が目を丸くしてクルツを見ている。普段、喋らずに黙々とキャンバスに向かう姿か、メロディ・ハルモニアに傅いているところしか見たことのない人間しかこの場にはいない。


 「婚約破棄ってどういうこと!?

 他に好きな人でも出来たとでも!?」


 幼馴染のデリエすら見たことのない激しい感情の炎を瞳にのせて、クルツは詰め寄った。

 あまりの驚きに微動だにできずいるデリエの後ろで、ネルは必死で首を横に振っているが二人は気づいていない。


 「させないよ。父上も了承していることだ。

 ……誰?」


 その目に乗せた感情は何だろう? 私はなにかしたかしら?


 「リィ!」


 ひと言も喋らないデリエにクルツは苛立ちを隠せないように愛称を叫んだ。彼のこんなにいらついた姿を見たのは初めてだ。

 間近に迫った顔はやはり整っている。絶世とは恐れ多くて言えないけれど、私もせめてこれくらい綺麗だったらな、と現実逃避した感想が出てくる。

 ぼんやりとした感想を抱く間に何度も名を呼ばれ、デリエは漸く口を開いた。


 「他に……他に、思う方が出来たのはフェルマータ様ではありませんの?」

 そもそも、フェルマータ様は私のことを好いてはいらっしゃらなかったでしょう?」


 デリエから話しかけたことは多々あれど、クルツから話しかけられたことはない。

 誰に対しても無口な人ではあるが、デリエに対する態度は他の人間にするものと一緒だ。あの子のように微笑みかけられたことすらない。

 ただ、幼馴染で、どれだけ絵を描いていても不満を言わない。それだけがデリエが婚約者になった理由の筈だ。


 「違う!」

 「あの方には沢山贈り物をしているのに私に何かをくださったことはないし。あの方を好いていらっしゃったのではないのですか?

 婚約の辞退も、おじさまにも納得していただけると思うわ」


 あれだけ露骨に態度を変えて、好いていないなんてことがあるだろうか。

 絵を描くことにしか興味を持てなかった、友達をつくることすら苦戦したこの人が。


 「だから違うっ!」


 何が違うと言うのだろう。違うと言うなら、説明できる筈ではないか。

 そのとき、誰かがさっとクルツに近寄った。

 デリエにも見覚えのある、確か従者だったはずだ、クルツの。


 「本当は、こんなところでする予定じゃなかったんだ……」


 クルツは顔を歪め何かを呟いたがよく聞こえない。


 「デリエ・ピチカート嬢。

 僕には昔から貴女だけだ。愛している。

 卒業したら結婚して欲しい。」


 顔を真っ赤にさせながら、それでも貴族だったことを思い出させるような優雅な仕草で跪き、ビロード張りの小箱を開ける。

 きらりと輝くのは紅い宝石と緑の宝石。


 「これは……?」

 「僕がデザインした。

 働いた報酬で。」


 繊細な金細工の指輪の中で薔薇と葉を模が煌く。そこへ朝露を模したとおもわれる一粒の透明な輝き。

 一枚一枚丁寧にカットされた薔薇の花びらは、デリエの髪と同じ深く鮮やかな紅茶の色。添えられた葉の緑は光の当たったクルツの瞳、デリエが好きな色だ。透明な宝石は小さな一粒だが、室内でもキラリと存在感がある。

 これだけの細工をするには時間がかかる筈だ。こんな可憐な指輪、見たことがない。

 あまりの美しさに、今まであったクルツへの不満も全て吹き飛ぶ。その美しさ以上の価値を、デリエは確かに受け取った。


 「私で、良いの……?」

 「リィが居ない世界なんて、生きていけない。」


 クルツはデリエの薬指に唇を落とし、指輪を通す。

 目が合って慌てて逸らす。室内が、妙に暑く感じた。

指輪に使われた宝石は、薔薇ガーネットペリドット朝露ダイヤモンドのつもりです(話の進行には関係ない)

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