4.子爵令嬢は翻弄される
『1.例えばこんなありがちな婚約破棄』よりも少し前の話。
「貴女みたいな成り上がりの血筋の、しかも非嫡子が私の婚約者だなんて本当に恥かしい。
その血筋通りの人間性のようだし」
冷たい声色がジュスカの真正面からぶつけられる。
空をそのまま映したような瞳も、今は氷のように冷たい。
元々、親しかったわけではない。
ジュスカの家は商人あがりのミッテル子爵家。お金はあるがお金しかない。歴史ある高位貴族からは見下されることの多い立場だ。現在の当主は、何人もいる娘をあちらこちらに嫁入りさせることで横の繋がりを持とうとしていた。
一方の婚約者のクインテッド家は名門伯爵家ながら、度重なる事業の失敗で金策に奔走する立場だった。両家にとって都合が良かったのは、婚約者の居ない年齢的に釣り合いがとれる幼い娘と息子が居たことだ。本人達が婚姻の意味もよくわからない十年以上も前に、両家の当主は金銭的支援と婚約の契約を交わしてしまった。
「グライテン様……?」
「その口で私の名を呼ぶのも今日までにして貰おう。
すでに子爵には私から婚約破棄の通知は送ってある。
もう私と貴女は婚約者でもなんでもない」
事情のわからないジュスカは、婚約者であった筈の彼から更なる言葉を叩きつけられ途方に暮れる。本来なら湧き上がる、なぜ急に? や、何のこと? といった疑問すらも頭に浮かんで来ない。
彼女は内気な性格だった。過去も、そして今も彼に意見することは出来ない。
婚約破棄を口にしたグライテンはもう言うことはない、とさっさと立ち去ってしまった。
あまりの出来事に動けずにいるジュスカの背中に容赦のない言葉が突き刺さる。
「いい気味」
「商人あがりのくせにクインテッド様の婚約者だなんて図々しいと思ったことはなかったのかしら」
グライテンは名門伯爵家の子息な上、大変美しい男性だった。身長こそ高くはないもののさらさらの金髪、空色の瞳、その色合いに負けない整った顔立ち。そして官僚志望なだけあり成績も優秀。同世代の令嬢からは大層人気だった。
一方のジュスカは身長だけは高いものの痩せぎすで、平凡な色に平凡な顔、いつも自信のない表情と態度。悪くはないが決して良くはない成績。成金貴族であることを知らなかったとしてもとても釣り合いが取れているようには見えなかった。
コソコソと向けられる悪意には慣れているものの、あまりに急な出来事にただただ立ち尽くすことしか出来ない。
ジュスカにとって、婚約破棄は他の令嬢よりも遥かに痛手だ。父親である子爵に報告が行ったら勘当されるかもしれない。もう連絡が行っているというから数日以内には呼び出されることになるだろう。勘当されてしまったら、市井で生きていく術など持たないのに、どうすればいいのだろう。
これから自分の身に起こるであろう事態を想像し、ジュスカはそのまま倒れてしまいたい、とすら思った。
「お嬢様、お顔が真っ青です、大丈夫ですか?」
落ち着いた、聞き覚えのない声で話かけられる。いつの間にか血の気の引いた手をあたたかい手が包んだ。見覚えはないが、服装からどこかの令嬢の侍女だろう。
「ここに残ることはよくありません、少し休みましょう?」
全てを心得ている、と言わんばかりの表情で彼女はジュスカを連れ出した。
「婚約破棄と聞いたときはどうしようかと思ったが。
なんと、パヴァーヌ伯がお前を貰ってくれるそうだよ」
数日後、実家へ急ぎ呼び戻されたジュスカを待っていたのは父のそんな言葉だった。彼女の予想を裏切って、豊かな腹を揺らしながら、ご機嫌といった表情でミッテル子爵は娘を迎えた。
「あのような醜態を晒したお前でも喜んで貰ってくれると言ってくれているんだ、勿体無い話だろう?
クインテッドの方にも大きな貸しが出来たからな、良い商売が出来そうだし勘当はしないでやろう」
「わたくし、あなたがまた粗相をしたのかと大層心配しましたのよ?
でもどうやら、あちらが卑しい男爵家の娘に懸想したとか。あなたがそれに劣る魅力なのは仕方ないとして、これじゃあ貰い手が出てこないのではないかと思ったら、あのパヴァーヌ伯だなんて。
後妻として、とのことだけれどあちらは子供も居ないしとても良い条件でしょう?」
ガハハ、と笑う父に未だかつてない程の笑顔を向ける義母。両親にとってジュスカは政略結婚の駒以外の価値はない。婚約破棄でそれも危うかったが、役目を果たせるのなら家に置いてやる、という姿勢はいっそ清々しい程に変わりなかった。
それに対し分かりました、とだけ答えたジュスカの顔は青い。幼少時から植え付けられた父に、そして何より義母に逆らってはならない、というルールは彼女にとって絶対だ。
しかしそれでも、この婚約にジュスカが青くなってしまうのは仕方のない話だった。現パヴァーヌ伯は今までに何度も結婚して……そして何度も失敗していることであまりにも有名な伯爵だった。
あるときは死別、あるときは離別、かの伯爵はここ最近、二年に一回は再婚の噂を世間に流している。再婚をする貴族は珍しくはないが、彼の場合は異常と言わざるを得ない頻度と回数だ。社交界デビュー前の若い令嬢の間では、余程何かあるに違いないと恐れられ、あそこにだけは嫁ぎたくない、と言われている男性であることは流石のジュスカでも知っている。
ただ、家柄自体は悪くない。むしろ伯爵家とは思えない程に良い。パヴァーヌ伯爵家はこの国のどの侯爵家よりも古く、何度も王族が降嫁しているような名門だ。辺境の地で魔獣の管理と国境の守を任されている為に歴代伯爵は王家主催の夜会すら欠席することが多く当主の顔を見たことがある貴族の方が少ないくらいではあるものの、この国の貴族でその家名を知らない者は居ない。相手が現パヴァーヌ伯でなければ後妻としての輿入れですら令嬢の間では良縁と言われ羨ましがられる程であった筈だ。
勘当されて身一つで放り出されることとどちらの方が良いのだろう。考えても答えは出ない。
思考はまとまらないが、これ以上実家に留まっても家に残っている姉妹に嫌味を言われるだけ。今はそれを受け止める精神力はない。とんぼ返りに近い状態だが、ジュスカは姉妹に見つかる前に家を出ることにする。
帰りの馬車で考えすぎたのだろう、ふらふらとした足取りで学園の寮に戻った彼女は、どうやって帰ってきたのかも覚えていない程で、一日も空けていなかったというのに見違える程げっそりとしていた。
「あら、随分早く戻ったのね……ジュスカ? 顔、真っ青よ?」
寮の同室であり、数少ない友人であるスズは戻ってきたジュスカを見るなり声を上げた。
婚約破棄をされたその日よりも余程酷い表情だ。ふらふらとしていて侍女に支えられてはいるものの女性一人の支えでは安定して歩くことも出来ないらしい。
人目がないのを良いことに、スズは音を立ててジュスカに駆け寄る。自身の侍女と合わせ三人でカウチに腰掛けさせた。
「ごめんなさい、スズ」
「お互い様よ、気にしないで。
何処か具合が悪いの?」
具合が悪いのか気分が悪いのか。実家から戻って来られたくらいなのだから、体調ではないとは思うが何かあるのならば医師の手配をしなければ心配だ。そう思い、スズは念のため確認をする。
力なく首を横に振る友人にひとまず安心するものの、ここまで顔色が悪くなるなんて何があったのだろう、と思う。あの婚約破棄事件から日は経っていないから、実家に呼び出された理由はそれだっただろうし、彼女の家庭環境を聞いている限りでは慰めてくれるようなことはなかっただろう、とは想像つく。勘当されるかもしれないわ、と本人は言っていたが、この弱り方はそれよりも悪いことだったのだろうか。
「ありがとう、ちょっと考えすぎてしまっただけ」
怪訝な顔をしている友人に気づいたのだろう、ジュスカ少し慌てたように付け加えた。
「父に新しい婚約を言い渡されたの。パヴァーヌ伯だそうよ」
その一言に、スズも顔を青くする。スズが知っているパヴァーヌ伯は、かの悪名高い辺境伯しか居ない。
「パヴァーヌ伯、ってあの……」
「そのパヴァーヌ伯で間違いないみたい……」
ジュスカよりは友人も多く社交的で情報網を持つスズではあるが、彼女の持っているパヴァーヌ伯の情報など、ジュスカのそれと殆ど一緒だ。未成年の下級貴族が持つ貴族情報なんてたかが知れている。二人はあんまりな相手だ、と揃ってため息をついた。
コンコン
その時、部屋に軽やかな音が響いた。
部屋への直接の来客は珍しい。スズの侍女が扉を開き、慌てたように声をあげる。
「ニコ、どうしたの? お客様ではないの?」
侍女の普通ではない様子にスズが声をかけて近寄る。そして突然の来客の正体にびっくりして口をぽかん、と開けた。
「突然、ごめんなさいね。
ミッテルさんが帰ってきたのが見えたから、慌てて来てしまったの」
申し訳なさそうに眉を下げた表情すら麗しい、パルフェ・ティンバーが立っていた。スズにとっても雲の上の存在で、手が触れられる距離まで近づいたのは記憶が確かであればこれが初めての筈である。
「も、申し訳ありません。
ジュスカは今は気分が優れなく、お客様にお会いできる状態では……」
それでもすぐに我に返り頭を下げる。末端ながらも貴族令嬢である以上、あまりはしたない真似は出来ない。
「えぇ、存じておりましてよ。
だから急いで参りましたの」
はて、どういうことかしら。
スズの記憶ではジュスカもパルフェとは接点がなかった筈なのだが。
彼女の頭に大量の疑問符が浮かんだ隙に、どうやったのかパルフェは扉の内側に滑り込んできていた。
「ミッテルさんの憂いを、少しは取り除けるかと思いますの。
こちら、気持ちが落ち着くお茶ですわ。アレグロ産ですから、いい香りがしますの」
容姿と同じように物腰は非常に柔らかで穏やかで、一連の流れに組み込まれたスズは手土産の茶を受け取ってしまった。
受け取ってしまったものを押し返すわけにもいかず、これではすぐに帰って頂くのは難しそうだ。
「狭いところですし、粗相もあるかと思いますがご容赦くださいませ」
もう、何かやらかしたら、体調不良のせいにして許して貰おう。スズはそう開き直ってパルフェを中へ通した。
突然のパルフェの登場に、当然ながらジュスカは目を丸くして驚いた。楽な姿勢をとっていた体を瞬時に起こす。
「そのままで大丈夫よ。
ご気分が優れないことを承知で伺ったのだもの、楽になさって?」
そしてジュスカ以上に驚き慌てているのはジュスカとスズの侍女だ。とりあえず、と一番良い席に客人を通し、淹れ慣れないお茶を淹れなければならない。彼女たちの部屋の主の茶器なんて、きっとままごと用に見えるのではないだろうか。お茶菓子だって、自分たちで楽しむような素朴なものしかなく、侯爵家の令嬢の口に合うのかどうか。何も出さないのは失礼だが出すのも憚られる。侍女たちの背中に嫌な汗が流れる。
そのタイミングで再び扉を叩く音が聞こえれば、応対出来るのはスズしか居ない。戻って来たときにはこの国では珍しい銀の髪の令嬢を連れていた。スズもジュスカも間近で見たことはないが、名乗らなくてもわかったであろうアリア・ラルガメント公爵令嬢である。
何故彼女が此処に。
ぽかんとしているジュスカは先ほどと違い姿勢を正すことすら忘れて固まった。パルフェとは先日少し話したが、こちらの方にお会いした記憶はない。忙しく、学園を休むことの多いアリア・ラルガメントは遠目からだとしてもなかなか見かけることのない存在だ。
「ご気分が優れないところ、失礼するわね。こちらに来るように言われたの」
美しく高貴な人間というのは声まで美しいらしい。鈴を振ったような、という例えはこの声の為にあるのだろう。固まっているジュスカに挨拶をすると挨拶もしない失礼さを咎めるようなこともせず、案内されたパルフェの横に座った。
この二人はジュスカに用があってきた客人だ。顔色の悪い友人が心配だが、そのまま居るわけにもいかずにスズが下がろうとしたところでアリアは声をかけた。
「ご予定がないのならば、ムータさんも一緒に」
同席の許可が出たのであれば、とスズもジュスカの隣へと座った。
今、目の前にはこの国で抜きん出て美しいと評判の令嬢が二人並んでいる。
氷の精霊姫と呼ばれるアリア・ラルガメントと花妖精の王女と評されるパルフェ・ティンバー。
陽の光が強くは入らない室内でさえ、白銀に輝く髪とやわらかな白金の光を放つ髪。趣きは異なるがどちらも理想的な美を持つ令嬢だ。こんな状況でなければ、直近で見る機会のない美貌を心置きなく堪能できるのに、とスズは少し残念に思った。
「あの、御用とはどのようなことでしょうか? この通り彼女は体調が優れなく」
侍女たちが下がったのを確認してスズは口を開いた。部外者であり、この中では一番身分の低いスズだが、友人は大層弱っている。無用に長引かせることは得策ではないだろう。
「えぇ、タイミングが悪く申し訳なく思うわ。なるべく負担にならないようにしますわね」
優雅にカップを置き、パルフェが口を開いた。
「単刀直入に申し上げますわ。
ミッテルさんの婚約の件ですわ、パヴァーヌ伯との」
他人の口からパヴァーヌ伯の名前が出て思わず固まるジュスカとスズ。
「……何故、それを」
しばらくの沈黙の後、漸く口に出来た言葉はそれだけだった。
それにはアリアが応えた。
「貴族の婚約には、陛下の判が必要ですから。
ミッテル子爵がかなり強引に進めてきていたので、パヴァーヌ伯本人からこちらに話があったの。王族である殿下はともかく、他に知る方は学園内にはいないわ」
事実だけを伝える音でアリアが話す。ジュスカは広まっている話ではないという事実に安堵した。先日の婚約破棄事件のせいで、彼女へ向かう視線はかなり増えた。好意的でないものや、哀れむようなものや、基本的に心地の悪いものが大半である。これ以上、好奇な視線に晒されるのは勘弁して欲しい、というのが彼女の本音だった。
「……伯爵本人とはどういうことでしょうか?」
一方のスズは、ジュスカ本人よりは冷静に話を聞けているつもりだ。高貴な人間を前にしている、という緊張はもう遥か彼方へと飛んでいってしまっている。わからないことは何でも訊いてやれ、と開き直った。
「辺境伯爵家であるパヴァーヌ家は、王族とは親しい間柄にあるわ。ちょうどお相手が学生だったから、そこからアリアに話がまわってきたの」
「だから、少し前にこの婚約の話を聞いたのだけど、申請書のミッテルさん……ややこしいわね。お二人とも名前で呼んでも?」
二人が頷くのを確認してアリアは再び口を開いた。
「ミッテル子爵が書類を提出したのがあまりにも早くて。ジュスカさんのサインではなさそうでしたし、子爵ご本人が全て用意したのでしょうね」
正式な婚約が本人の了承を得ずに決定することは少なくはない。本人へはそのあと知らされることも。幼い頃に婚約者が決まったアリアやパルフェもそうであったが、今ほどの年齢になれば本人のサインまでも全てが代筆であることは減ってくる。婚約破棄からの時間を考えても、ジュスカの行動を見ても、パヴァーヌ伯とジュスカ・ミッテルの婚約は当人であるジュスカの知らないところで進められたと判断できた。
「アリアの話では、恐らく本人が知らないうちに話が進められているのだろうと判断しましたので、子爵より先にお話をしようと思っていたのだけれど」
ちょっと遅くなっちゃったわ、とパルフェは眉を下げた。
「それで急ぎいらっしゃった、というわけでしたか」
どういうことだろうか。たかだか、いち子爵令嬢の婚約に彼女たちが気を配って何になる? 子爵令嬢の方でなければ、辺境伯の方だろうか? それならばあり得ない話ではない。名門伯爵家に、つい最近になって爵位を与えられた子爵家のしかも庶子が嫁ぐというのはあまり良いことではないだろう。
スズは首を傾げ考える。わざわざ二人が出てきたのだ、何もないわけはない。
ジュスカは未だ落ち着かず、背筋は何とか伸ばしているものの、カップを持ち上げたり下ろしたりしてる。耳に入ってくる言葉を飲み込むのに精一杯だ。
「ジュスカさんの婚約者となるパヴァーヌ伯について、お二人はどこまでご存知かしら?」
パルフェもちゃっかりジュスカに名前で呼びかける。柔らかで寄り添うような声音、穏やかな笑顔、間の取り方、そして相槌、パルフェは令嬢と会話することに長けていた。名前だって、ずっと前からそう呼んでいたかのような親しみと自然さがあり、それが当たり前のように響く。自分には真似出来ないわ、と関心しながらアリアは無言でカップを口元へ運ぶ。
ジュスカとスズは無言で顔を見合わす。
ほんの少しの沈黙が流れた後、ジュスカが震える唇を動かした。
「北東の魔の森を守る辺境伯で、過去結婚されたことはあり、年齢は四十歳と聞いています。直接お会いしたことはありません」
「結婚歴は複数回。ご結婚されたお相手の方とは死別、もしくは離別されており、現在は独身。辺境に留まることが多く、ご本人は公の場には殆ど顔を出されないため、拝顔したこともない貴族の方が多いのではないか、と言われているほど。
そして……あまりにも結婚回数が多い為に、豚のような容姿をしているのではないか、何か特殊な趣味があるのではないか、非常に好色家であるらしい、若い娘を生贄に怪しい儀式をしているのではないか、などと令嬢達の間で噂され恐れられています」
言いづらい部分をスズが引き継ぐ。ハキハキとすごい度胸の方ね、とアリアは思うが、面倒な確認が省けたので良かったという気持ちの方が勝った。腹芸が得意な令嬢ならば探る必要があるが、この男爵令嬢はなかなかに直球勝負をするタイプのようだ。
「それ以外は、ないかしら?」
パルフェの確認に二人は頷く。二人が特別情報に疎いわけではない。きっとどこの令嬢に話を聞いても同じ話しか聞けないだろう。なにしろ、現パヴァーヌ伯は学園すらも通わず、王家主催の夜会にすら顔を出さない。辺境を守る家系では珍しい話ではないのだが、それ故に彼の顔は国の要職の人間でもない限りは顔を見たこともない筈だ。
「そのような噂の方だから、最近は娘を売るような貴族が多くて。
伯爵は結婚は上手にはいかないけれど、人間性は悪くはないわ。辺境に引きこもっているから、貴族としてはむしろ善良すぎるくらいで。次々に送られてくる花嫁に大層心を痛めているわ」
「王家も焦っているのか、かの家への婚姻の申し込みはすぐ許可を出してしまうのよね……」
「ですから、ジュスカさんが望めばこのお話はなかったことに出来ないか相談することも出来るのだけれど」
どうかしら? と優しく微笑むパルフェに、しかしジュスカを首を縦に振ることは出来なかった。
この婚約があるから、自分はミッテル家の籍に置かれているという事実をジュスカは判っていた。今朝の父の言葉は本心だ。有力貴族に嫁ぐことが出来ないのであれば、身一つで放り出されるだろう。そして義母は嬉々としてジュスカを追い出すだろう。
ジュスカは、父が自分の屋敷のメイドに手をつけて出来た娘だ。母はジュスカが産まれてすぐに亡くなり、彼女は屋敷の使用人達に育てられた。聞いた話だが、しばらくは父も義母も姉も、自分をいないもののように扱っていたという。たまたまクインテッド家との婚約が決まり、子爵令嬢としての教育を受けるようになったが、そうでなければ令嬢としての教育などされなかっただろう。義母がジュスカの存在を気に食わないと思いながらも肉体的に虐げるようなことをしなかったのは、彼女の人柄が優れていたからではない。容姿も能力も特に秀でたところのない娘に嫉妬する要素がなく、庭に転がる石と同じような認識であったことと、政略結婚用の駒としての価値だけは理解していた、それだけなのである。
「……どの様な相手であろうと、私から断ることは許されません。
そして相手から断られるようなことになれば、私は今度こそ勘当される筈です」
婚約者に二度振られた令嬢など、それこそ真っ当な結婚は望めないだろう。愛人を囲うような貴族には売れるかもしれないが、女性的な魅力の低いジュスカにその価値があるとは思えない。駒としての価値がなければ、両親はあっさりと勘当するだろう。令嬢として最低限の教育しか与えられなかった自分が、一人で生きていくことなど出来ないことは簡単に想像できる。
ジュスカの顔色はますます悲壮に染まる。その様子を見てアリアは口を開いた。
「……ジュスカさんはパヴァーヌ伯とお会いしたことはない、のよね」
確認するような問いに、ジュスカも肯定する。
「はい、記憶している限りではございません」
「でしたら、お会いになってみる? 私も同席しますから。
それからどうするか決めても、遅くはありませんわ」
アリアは完璧な淑女の微笑みをジュスカに向けた。
婚約破棄された下っ端令嬢の行く末ってあまり見かけない、ような?