3.伯爵令嬢の放課後
今回の話の文体はいつもと違います。お気をつけ下さい。
こちらも『1.例えばこんなありがちな婚約破棄』より前のお話。
逆ハーメンバーの兄が居た令嬢の話。
あら、ヒム様ごきげんよう。
こんなところにいらっしゃるなんて、珍しいこともあるのね。
いえ、嫌味とかではなくて。騎士様って皆様忙しいでしょう? 合同練習や合宿も多いと聞きますし。久しぶりにお会いできて嬉しいわ。
え、寮で取り次ぎを頼んだら居ないって言われた? ごめんなさいね、ご連絡くだされば待っていたのですけど、わたくし自室にはあまり居ないのよ。
理由? 女子寮の事情はご存知……ないわよね。
わたくしたちの世代に高位貴族の令嬢が少ないのは有名な話でしょう。在籍している学生では、アリア・ラルガメント公爵令嬢とパルフェ・ティンバー侯爵令嬢のお二人だけ。女子寮の中は高位貴族の令嬢用の部屋と、下位貴族の令嬢用の部屋が分かれているのだけれど、本来下位貴族の令嬢用の寮にはいるべきわたくしが、高位貴族の令嬢用の部屋を宛がわれてしまったの。
広いし良いではないかって? わたくしも最初はそう思ったわ。でも、実家よりもお部屋が広いし、窓も大きいし、調度品だって、持ち込むことが前提でこちらで用意しなければいけないのだもの。談話室なんてないからお話するにも私用の応接室にお通ししなければならないし、入館チェックだってあるのよ、同じ学生の身分ですのに。色々と面倒なことも多いですし、こちらの不手際で将来の王太子妃とも言われているアリアさまや、現宰相のご息女であるパルフェさまに何かあったら大変ですもの。なるべく人を出入りする回数を減らそうと思って夕刻までは戻らないことが多いわ、それで困らないもの。
アリアさまとパルフェさま? あら、お二人に興味がおありなのね、意外だったわ。近くでお会いしたことは?
流石のヒム様でもないのね。
お二人とも、氷の精霊姫だとか花妖精の王女だとか、その容色の語られ方が物語めいているじゃない? わたくしも、いくら美姫と名高いとはいえ、いささか現実味がなさすぎるのじゃないかしら、って思っていたの。とんでもないわ! 二人とも、本当にお美しいの。高位貴族の令嬢だもの、頭のてっぺんからつま先までつやつやピカピカに磨き上げられているのは当然、って思われるかもしれないけれど、手入れをしていれば美しいというものではないのよ。
アリアさまは、お母様が北の王族出身でしょう? 生粋の北の王族の髪色は白い、というけれどその血を引くアリアさまの髪は素晴らしい白銀で。灰色じゃないわ、白銀よ! 髪自体が光り輝いているのではないかしら、というくらい美しくて艶やかなの。お肌もやはり白くて、とはいっても不健康な白さじゃないわ、瑞々しくって滑らか。完璧な形のパーツが、完璧な配置で乗っているって、ああいうことを言うのね。瞳なんて深い、最上級の青玉と同じ色! 手もほっそりとしていて、それでいて柔らかそう、きっとどんなデザインの指輪であっても美しく見えるに違いないわ。ウエストもキュッと細くてね、スタイルも素晴らしいわ。お声もね、鈴を振ったような、というのはあの方の声のことを言うのね。
パルフェさまもね、やはりアリアさまに劣らず素晴らしく美しいのよ。陽だまりのような淡い金色の髪はゆるやかな巻き毛でね、とても柔らかくて絹糸のよう。一度触らせてくださったのだけど、とても滑らかよ。お肌も肌理が整っていて、勿論白いのだけれど、よく見ると淡い桃色なのよ。瞳は淡い、春を告げる新緑の色で。やや垂れ気味のところがまた、優しげな雰囲気になるのね。淡い色合いがとてもお似合いになるのだけれど、学園では制服で過ごすから、あまり見ることが出来ないのがとても残念だわ……! お声はとても落ち着いていてね、パルフェさまに『大丈夫よ』って言って頂くとそれだけでとても安心してしまうのよ。身長はアリアさまよりも高いわね、でも、すごく高いわけではないから婚約者のパッセージさまの横に立たれると小さく見えるわ。一度だけ並んでいるところを見たことがあるの。スタイルは全体的に華奢だわ、物語の挿絵にある、森の妖精そのままのような美しさよ!
お二人の人柄? ええ、勿論お話くらいはしたことがあるわ。ただ、お二人とも忙しい方でしょう? 外に出ていらっしゃることも多いから、とても親しいということはないわ。あぁ、邪険にされているとかそういったことは全く! 会うたびにとても良くしてくださるわ、ただ、本当にお会いする機会が少ないの。
アリアさまは、そうね、特別忙しい方よね。よく、王城に出かけられているのを見かけるもの。でも、どんなにお忙しそうでも疲れた顔をされているのを見たことはないわ。学園の授業にも可能な限り出られているし。わたくしたちに気を配っていてらして。王族の妃というのはああいう素晴らしい方でないと務まらないのだわ、と思ったわ。
パルフェさまも、アリアさまほどではないけれど、お忙しいでしょう。王女殿下や王妃殿下とも親しくしていらして、アリアさまと一緒に王城に向かうところを何度も見かけているわ。それに、パルフェさまはわたくしたち女学生に人気なのよ。勿論、アリアさまもなのだけど、パルフェさまはとても聞き上手な方でね、悩み相談をした皆が、明るい表情で戻ってこられるの。なんでも辛い気持ちをわかって下さるとか……わたくしはまだ相談するような悩みを持ったことがないのでよくわからないけれど、本当に皆が明るくなって戻ってこられるのよ。
二人がいつ、出かけられるか? 流石に覚えていないわ。かなりの頻度なのは確かだけれど。
ただのお茶会のことも結構あるようだけれど、王室の賓客のお相手なんかにも重宝されているみたいね。ほら、今は王室に残ってらっしゃる王族の方、少ないでしょう。将来の王族であるアリアさまや、宰相のご息女のパルフェさまがお相手をされることも多いらしいと聞いたわ。勿論、聞いた話でしかないけれど、時折、王室や、外国からのお土産を下さったりするからあながち間違ってはいないのではないかしら。そのあたりは王城にお勤めの方のほうが詳しいのでしょうけれど。
え、出入館記録? 勿論、警備の管理をされているところにはあるのではないかとは思うけれど、どうしたの? そういうのが気になってしまうのは職業病っていうのかしら? 騎士さまも大変なのね。
え、アイレンは元気かって?
兄様からは何か聞いていませんの?
そう……ちょっとこちらでは話しづらいことなので、寮に移動しても?
こちらがわたくしの部屋よ、お客様がいらっしゃることは想定していないから、大したおもてなしもできなくてごめんなさい。
あら、お土産? よろしいんですの? ありがとうございます。
南国の花の香りのお茶? もしかして、以前飲んでみたいって言っていたのを覚えてくださっていたの?
貴重なものなのでしょう? とても嬉しいわ。
ふふ。このままでも素敵な香りがするのね。香水などとはまた違って、とても軽やかでいながら華やかだわ。早速いただいても?
そうそう、アイレンのことでしたわね。
今、アイレンは学園から離れておりますわ。
いえ、辞めてはおりませんの。
何処に? 今はそうね……東の海の上じゃないかしら。東の島国に向かっておりますの。先日、王立研究所の研究員の一部が、かの国に向かいましたでしょ、なんでも防虫効果のある染料の原料となる植物があるとか。そうなの、まだ学生の身でありながら助手として同行を許されたんですの。だからどんなに早くてもあと半年くらいは戻ってこないのではないかしら。
名誉のわりには口が重い? そりゃあ、今回のことが、本当に評価されてのことならば心配はあっても素直に喜べたのですけれど。
少し前のことよ、アイレンがとある令嬢に懸想してしまって。アイレンには婚約者がいるわけではないし、メートルム家としても兄様が後を継ぐし、恋愛しても何の問題もなかったわ。勿論、お相手に婚約者が居る、とかなれば問題ではあるけれど、順調にいけば王立研究所で研究員になる予定だったから、両親も口を出す予定はなかったの。
そう、問題はあったのよ。
正直、アイレンには研究しかないわ。貴族らしいことが苦手だものね、どこかに婿入りして生活していくのも、官僚になって腹の探りあいをするのもアイレンには大変でしょう?
王立研究所に入るには、確かな身元、こちらは一応とはいえ伯爵家だもの、大丈夫よね。あとは学園での成績・研究結果が大事だわ。とても狭き門ですものね、誰でも入れるものじゃないわ。
それなのに、かの令嬢に懸想してからというもの、アイレンは研究を放り出してしまったの。成績も、元々得意ではなかった剣術や国史はかなり下がったわ。確かに研究分野である薬草学の成績は下がっていなかったけれど、まだ貯金が残っていた、それだけのことよ。
勿論、単純に学園に優秀な方が多い可能性はないわけではないけれど、アイレンったらかの令嬢に会う為に授業を欠席していたことが判明したの。本人に注意したけれどまったく聞く耳がなくて。恋は盲目、なんていうけれどああいう風になるような恋ならば遠慮したいわ。
しかも、あんなにも成績が落ちているにも関わらず、まだ研究所に入れるつもりでいたのよ、可笑しいでしょう? どうもその令嬢が「難しい研究をされているのね、すごいわ。王立研究所でも間違いなく活躍されるわね」とかなんとか言っていたようなのだけれど、活躍するしない以前の問題だわ……!
そのご令嬢に注意? 勿論と言いたいところなのだけど、彼女には注意はしていないわ。用事があるから、と無理やり引き剥がして研究室へ連れて行ったことくらいね。
なぜかって?
そのご令嬢、ご実家の家格自体はメートルム家よりも低いから、わたくしから注意することは難しいことではないのだけれども。
……大層おもてになる方で、何か言うと睨まれそうだったのよ……わたくしだって貴族だもの、何かあったらお父様や兄様に迷惑がかかるわ。
それでわたくしもアイレンの監視ばかりは出来ないし、かの令嬢に注意も出来ないし、アイレンは改善してくれないし、でどうしようもないから兄様姉様に相談して無理やり引き剥がすことに成功したの。学園も留学扱いになるし、役に立てれば研究所への繋がりも出来るし。剣術から逃げ続けていたから少しは痛い目にもあって、もう少し練習するのではないかしら。
そこまでしないといけなかったのか? ええ、そうよ。その令嬢はもはや魔性ね。何を置いても会いたい、っていう感じだったわ。流石に海の向こうからは会いにはこられないでしょう?
え、その令嬢の容姿? そんなに美しいのかって?
そうねぇ、美しい、というよりは可愛いって感じかしら。見目の美しさならアリアさまやパルフェさまには到底敵わないと思うわよ。
もうちょっと具体的に?
まず、髪はふわふわの栗毛ね。肩よりやや長いくらい。いつもそのまま下ろしているわ。
マナー? そうね、ある程度になったら令嬢は髪を伸ばすし、ダウンスタイルにするにしても、結うわね。この年齢でされないのは珍しいのではないかしら。
入学されたときからそうだったから、ご領地の方の風習か何かではないのかしら、わたくしには細かいことはなんとも。
瞳はくりっとしていらして、色は栗色よ。色味はよくある色ね、そういった意味では平凡だし目立たないわ。
それと……華奢で小柄ね、小人のように小さいとか、ガリガリって意味ではないけれど。
そうね、どちらかと言えば年齢よりはお若く見える印象だわ。
そんなに夢中になる要素があるのかって? わたくし、殿方じゃないからわからないわ。
あぁ、そういえば、とても聞き上手みたい。褒めるのも上手な方ね。アイレンなんて、人見知りであまり人とは話さないのだけれど、すぐに打ち解けていたもの。彼女の虜になっている殿方って息の詰まりそうな立場の方も多かったし、きっと癒される、居心地の良い方なんじゃないかしら。
ヒム様は男性なのだし、お会いして話してみたらわかるかもしれませんわよ?
そんなにもてるのかって?
そうね、わたくしはあまり詳しい方ではないけれど、いつも傍に見目麗しく将来有望と言われている殿方が三人くらいはいるわね、とても目立つわ。顔ぶれも毎回違うみたいだから、全部で何人居るのかはわからないけれど。ただ、中には婚約者がいらっしゃる方もいるし、そうでなくても人気の方が多いから、結構殺気立った空気の真ん中に立っている感じがするわね。わたくしも婚約者や想い人がいたら思わず睨んでしまったかもしれないわ。
私の想い人はその中にいなかったのか、って?
そもそも、アイレンの件がほんとうに大変でしたから、正直誰かに想いを寄せる暇なんてなかった、というのが正直なところですわ。仮に居たところで、あんな風な取り巻きになってしまうような方はちょっと遠慮したいわ。恋人でも婚約者でもない令嬢に軽々しく触れるような方々ですのよ。
え、彼女が誰を想っているか?
私にはわからないわ。
誰かを特別待遇しているところは見たことがないもの。
身分?
確かに彼女の取り巻きには身分の高い方も居るけれど、その方々を特別待遇はしていないわね。言い換えれば身分の高くない方の待遇が良いってことなのかしら? でも、皆同じような感じだから、その様な感じはしないわね。
アイレン?
勿論、かの令嬢の大勢居る取り巻きの一人でしかないというか、積極的には行けていなかったから本当にお友達でしかなかったと思うわよ。
そうね、仮にアイレンがきちんと勉強していたとしても、我が家の家格だと取り巻きの皆様の中では真ん中あたりですから結ばれることは難しいでしょうね。あちらの令嬢に余程その気があるならまだしも、なさそうですもの。
え、彼女は誰と結ばれるかって、随分難しいことを訊かれるのね。
でも、そうね。このままの状態ならば殿下の側妃になられるんじゃないのかしら。殿下のご執心は凄いもの、あれは火遊びなんかではないと思うわ。
え、殿下は側妃はとられない? 何故ですの? アリアさまやラルガメント公爵家が許さないってことですの?
議会……側妃を娶るのに議会の承認が必要なんですの? 自由には娶れないものなのですか。
では、愛人でしょうか……王族といえども、そういう方も過去にはいらしゃったのでは?
それも有り得ないんですの……では、まさかの未来の王太子妃となられるかもしれないと……。
え、それもないんですの? 理由は内緒? ひどいですわ、もう。
気になるけれど、言えないことなんでしょう。仕方ないですわ、わたくしはまだ大人ではありませんもの。
いいえ、拗ねてなんかいませんわ。
……本当ですってば!
え、いいんですの? だって、ヒム様お忙しいんでしょう? ガトー・アコールって王都で今一番人気で並ぶのでしょう?
本当にいいんですの? 嬉しいわ!
街歩きになると、なかなか許していただけないから、諦めていましたの。
でも、ヒム様と一緒ならば安心ですし、お父様お母様も許してくださいますわ!
約束ですわ! 絶対ですよ!
どうしようもない場合は物理的に引き剥がす、という対策を取る家族もいるよね、と。