1:検証~被害者についてのあれこれ
グロ注意。
ぶおん。とエンジンが吹く音がする。
蒸気のエネルギーを使用した四輪駆動の乗り物は、馬がなくとも早い速度で移動できる。まさに夢の代物だ。時折白い蒸気が噴出しては「自分は働いているぞ」と自己主張する。
「それで、どちらに行かれれば良いのですか」
下級とはいえ貴族であるユースティティア家所有のそれを運転しているのは、アーロンであり、彼は後ろに控えるギルバートへ向かって声をかける。流れる街並みを見ていた男は癖のように頭を掻いてから、口を開いた。
「とりあえず署へ向かってくれ」
「現場には行かないのですか?」
「死体もろとも向こうにあんだよ」
さすがに大通りに死体を放置する事もできないので、移動をしたそうだ。
「そこならオレが覚えている情報以外もあるからな
お前のところの執事よりまずいが、茶も出るぜ」
「それはありがたいわね」
お茶はともかく、情報はありがたい。事件のぼんやりとした内容しか聞いていないから、今はなによりも細かい情報が必要なのだ。
だけど一つだけ懸念している事がある。
「私が署に行っても良いのかしら?」
「文句を言う奴は居ないだろう」
「そう」
嫌味を言われず、協力の邪魔がなければそれで問題はない。腹の中はどうなっているのかわからないが、少なくともこの大男は嫌味等言わないだろう。
やがてテムズ川を横目に道を進み、別の通りへ出たところでオートモービルが停止する。
運転席に座っていたアーロンが外へ出ると、流れる動作でドアを開けてソフィに手を差し伸べる。それを当たり前のように握って、彼女は箱の外へと出た。
「ありがとう」
軽く礼を言ってから後ろを振り返れば、ギルバートは何も言わずに勝手に外に出た後だった。曰く、ああいったものは性に合わないらしい。
「お嬢様、わたくしはこちらで待機しております」
「わかったわ」
そんなギルバートに目もくれず、ソフィに微笑むアーロンは完璧な角度で一礼する。そんな彼に対し少しばかりの呆れを感じて思わず口を出す。
「アーロン、そんな固くなくても良いのよ」
「いいえ、そういう訳には参りませんので」
「そう」
言ったところでかたくなに譲らないアーロンに、ソフィは思わず怒るところだった。
そもそもそんな堅苦しい所作が、ソフィは嫌いなのである。
しかし目の前で一礼したまま動かぬ男は、きっと少女よりもある意味頑固だ。しばらく睨み付けてから、ソフィはほんの少し諦めにも似た気持ちで「よろしくね」と立ち去った。
「いいのか?」
「仕方がないわ。彼が決めた事なのだから」
そう。こればかりは仕方がないのだ。
お互い頑固者だから。と苦笑して、ギルバートが開けた扉をくぐる。
中は制服を着たヤードたちが、今朝の事件のためかせわしなく働いていた。通信機ががなり立てる横を通り過ぎ、階段を使って二階へあがる。
死体が安置してあるのは地下だが、今はまず状況の整理が先だったからだ。
二階の一室に入り明かりをつける。
薄暗い部屋に灯った明かりから部屋を見渡せば、そこにあったのは書類の山。
「すまん。他に通せる場所がなかったのでな。資料室の一角で問題がなければ」
「いいわ。情報をちょうだい」
すとんと、近くにあった椅子に座り早く寄越せと強請れば、ぼろぼろのくたびれたコートを脱いだギルバートが複雑そうな顔をする。
「何か?」
「拗ねるなよ」
「なっ! 拗ねてなんかないわ!」
どうやら図星らしい。持ち前の観察眼はどこへやら。今そこに居るのはソフィ・ユースティティアというただの少女だったのだから。
ぷりぷりと頬を膨らませて怒る彼女をなだめて、ギルバートは手近にあった椅子を引っ張り座る。一応からかったのは自分だが、私事と仕事はまた別だ。ごほんと一つ咳払いをして、ヤードたちが集めた書類を差し出した。
「先ほども言ったが、被害者はアラベラ・エドウズ。年齢38歳の娼婦
殺された場所はロンドン橋の近くの通り」
指示された地図を見れば赤い丸が描かれていて、その脇に「殺害現場」と記載されている。
「先ほど聞かなかったのだけれども、本当に殺害現場?
死体を運んだという事は?」
「その線も考えたんだが、死体の状態からいって、殺してから運ぶのは少々無茶だな」
ギルバードからの証言は死体が発見されたのが、午前4時頃。殺された時刻だが、午前2時から3時頃が妥当らしい。その間馬車もオートモービルも通った形跡や証言がないのだ。
「死体の重さは約50kg。それを殺した後で運ぶっていうのは少々厄介だぞ」
「確かに……」
「おまけに今回は絞殺や撲殺、そんなやわなもんじゃない。
肉屋にでも持って行ったような状況でな」
「私が気になっているのはそこなのだけれども、どういう状況だったの?」
ソフィが口を開いた途端、珍しいまでにギルバードが渋い顔をする。年頃の娘に聞かせる話ではないと渋っているのだろうが、聞かない事には事件も解決できない。
「後悔するなよ」
「それだったら最初から私に頼まなければいい事でしょう?」
「ごもっとも」
さて、そんな死体の状況だが、腹から鋭利なもので引き裂かれていた。ただ、他に目立った外傷はない。【内蔵】がほとんど持ち去られている事以外は。
「内蔵?」
「ああ、心臓、肺、胃。その他もろもろほぼすべての臓器が持ち去られていた」
「想像しただけで嫌な気分ね」
「だから言っただろう」
野生のクマは栄養価の高い内蔵を食べると言うが、これは猟奇的な殺人だ。自然界の命のやり取りではない。
「ああ、後は特徴的、と言えばだが子宮が持ち去らわれていたんだよ」
「子宮……?」
それはまた変わった犯人だ。
身体のどこかに執着をする犯人はいたらしいが、これまた【中身】に興味を持つというのも不可思議だ。
「一応、だが犯人は解剖医じゃないか、というのは浮上している」
「そう……」
だが、ならば何故臓器を持ち去ったのだろうか。
「犯人の趣味か、それとも意味があるのか」
「魔術を使う際は生贄が必要とか言うけれど、まさかね」
それならば、殺す場所はもっと目立たない場所でないと意味がない。さも見つけてくれ、と言わんばかりに置いてある死体では――
「……まあ、現状はほぼ見つかっただけで表面的な情報しか集まってない。
正直お前さんにはこの情報だけで解決しろ、なんてほうが無理だ」
「ええ、死体について気持ち悪い話しか聞けなかったわ
しばらくお肉が食べられないわね」
「そりゃあスマン」
「冗談よ」
どこが境界線なのか分からないソフィの冗談を聞いて、ギルバードは手に持っていたメモを渡す。ほぼ書き走りだが、証言をもとにまとめたものだった。
「何かの役には立つかもしれん。持っておけ」
「ありがとう」
「そうそう、被害者の荷物は?」
「ああ、それなら死体安置所だが……」
「申し訳ないのだけれども、持ってきてくださるかしら?」
とげのある言い方は、やはり死体について聞かせた事がまずかったのだろう。