8.遅刻確定
さて、購買に到着。そうそう、いつも弁当持ちの俺は購買などと俗な場所へは滅多に足を運ばないのだが、噂では、昼休みは毎日この場は飢えた狼たちで溢れかえっているらしい。しかし、どうだ。昼休みも半分過ぎれば、兵どもが夢の跡。戦争は早期終結を見たらしい。いやあ、めでたいめでたい。これで、落ち着いてパンが買えるぜ。
「おばちゃん。カレーパンと、メロンパンと、焼きそばパンと、ハムカツと、卵サンドと、三食パンと、チョコデニ(チョコレートデニッシュ)と、チーグラコロ(チーズグラタンコロッケパン)ちょうだい」
「……全部売り切れだよ」
白い目をして俺を見ながら、そう言葉を発するおばちゃん。おいおい、おばちゃん。相手がいくら学生だからって、お客様に対して、そんな白けた態度とっていいのかい? ツッコんでくださいよ。
「じゃ、アンパン一つで」
初めからそうしろよ、と言いたげな冷たいおばちゃんからアンパン一つをゲットして、俺は閑散とした購買を離れた。ちくしょう、シケた昼飯だぜ。つうか、ウチの購買品揃えも量も少なすぎるんじゃね? 大量売れ残り覚悟で今日から普段の二倍量を揃えますぐらいの心意気はないのかね。商売人の血をこうメラメラと騒がせて――って、あのおばちゃん、ただのパートか?
まあ、いいや。オイラは一人で寂しくアンパン一つで昼食だぃ。教室戻って、夏菜と顔合わせんのもなんか気まずいしな。というわけで、アンパンをかじりながら校内をぶらぶらと歩いていると、頭に浮かんでくるは麗美の言葉。
(ちゃんと言葉にしないと、気持ちは伝わらないよ。純君は、本当にそれでいいの?)
いやいや、俺にどうしろと? 確かに、夏菜が男と付き合うことに関しては釈然としないというか、胸がムカムカするというか、でもこれって、多分、突然のことで戸惑ってるだけだろ、俺? なんつーか、思春期の娘に彼氏ができて父さん悲しいよーみたいな? もしくは、てめえ、ごら! ウチの可愛い娘に手ぇ出すんじゃねえ、ごるらあ! みたいな?
夏菜とは昔から仲がよくて、でも、それはきっと、恋とかそういうのじゃなくて。俺たちの関係を言い換えるなら、それはきっと兄妹みたいなつながりだから。
夏菜だって、きっとそう思ってる。だから――。
「……アホくさ。なに一人でブルー入ってんだ、俺」
はあ、とため息をつき、アンパンをもう一口。ああ、ちくしょう。おばさんの手作り弁当が恋しいぜ。愛情に飢えた僕たんの胃袋に、アンパン一つじゃ物足りないの。ってあれ? 確かアンパンには、愛と勇気が詰まってんじゃねえの? あ、ただの友達って歌だった?
どうでもいいことを考えながら渡り廊下を歩いていると、向こうから歩いてくる四人組の女子の集団とすれ違った。うん。別に関係ないのだが、なんか、お友達同士って感じじゃなかったもんだから、なんとなく気になって俺は足を止めたわけだ。
三人が一人を囲むようにして歩いているその姿は、仲良しというより、どう見ても連行でしょ。まあ、そんなことより、左右後ろを囲まれて歩く女の子の表情のない虚ろな顔が気になったわけだ。なんか、迷子の子猫ちゃんみたいに、キョロキョロと周りを見回してたが、明らかに様子がおかしい。そんで、何かその子とどこかであったような気がすんだよな、俺。あ、いや、ナンパの常套手段じゃないよ? あくまで俺の正義感がうんたらかんたら。さて、後を追うか。
ウチの高校は五棟の内、四棟が新校舎で残りの一棟はほぼ人の立ち寄らない旧校舎でできている。そんで、四人はなぜかまっすぐ時々辺りを気にしながら、旧校舎を目指しているようだ。いやはや、尾行も楽じゃねえな。こうしきりに振り返られちゃ、目が合った時すっとぼけるのも大変だ。世のストーカーの苦労を身を以って知る今日この頃。
さて。案の定、四人は旧校舎の裏側の方へ姿を消した。これはもう、あれでしょう。ここまで来たら、人に見られちゃまずいモンが校舎の裏側で展開されてんでしょ。さて、どうしたものか。と旧校舎の壁に寄りかかって考え込んでいると、あら不思議。争い声も何もあったもんじゃねえ。すぐさま女の子三人が旧校舎の裏から出てきましたとさ。
「おう、そうだよ! てめえ人をこんなとこに呼び出しといてなんのつもりだよ! ああ? すぐ来るって!? じゃあ、三十秒以内にすっとんで来い、ごらあ!」
すかさず、携帯電話をポケットから取り出し、一人演技開始。さて。ケータイをポケットにしまうと、女の子三人はいかにも不審者を見るような目で、俺にご注目。いや、イタイイタイ、そんな目で見ないでください。
ああ、駄目だ。この状況は、口で説明して何とかなりそうもない。だって、僕口下手だもん。
「……おう、ごら。てめえら、なに見てやがんだよ」
開き直って片手をポケットに突っ込み、ガブリとアンパンに喰らい付きつつ、女の子たちをガンつける。すると、女の子たちは、無言で逃げるようにその場から立ち去っていった。
――まあ、見覚えない顔だったし、見た目からしてあの子達は新入生だろう。うん。問題ないだろ。うん。お願いだから、俺の顔は忘れてください。
にしても、やはり校舎の裏から出てきたのは三人だけだった。そして、案の定あの三人に囲まれて歩いてた子は校舎の裏から出てこない。一体全体どういうこっちゃ。
考え込んでいると、昼休み終了五分前の予鈴が鳴った。やべえ、時間がねえ。男なら、バッと。そう、もうバッと行っちゃって。
思い切って旧校舎の壁から顔だけを出し、恐る恐る裏の様子を伺う。すると、どうだ。校舎と壁に仕切られた隅っこに、さっきの女の子が一人ぽつねんとしゃがみこんでいるではないか。
「……?」
なにやってんだ、あれ? てっきり、あの三人組にかつあげでもされるのかと思っていたが、そうと思しき争い声はまったく聞こえてこなかった。そんで女の子は一人取り残され、しゃがみこんでなんか地面を見てる。身じろぎもせず。いや、もう、一体全体なにがなんだか意味分かりませんから。
「なあ、そんなとこでなにやってんの?」
そろりと女の子の元に近寄って、背後から声をかける。すると女の子はゆっくりと顔を上げて俺を振り返り、なんのリアクションもせず、もう一度ゆっくりと地面へと目を戻した。
いや、今、目が合ったのになんでシカト?
「あ、あのさ。君、新入生? そろそろ教室戻らないと授業に遅れんぞ?」
俺の言葉をなおも無視する女の子。うわ、なんか俺今すげえイタイ奴じゃね? ナンパしてシカトされる野郎と同じぐらいイタイ奴じゃね? クスン。でも泣かない。男の子だもん。
「四葉のクローバー……」
「え?」
「お姉ちゃんが言ってた……」
しゃがみこんで地面を見つめたまま、唐突に小声で言葉を発する女の子。なになに、「四葉のクローバー」に「お姉ちゃんが言ってた」? いや、さっぱり意味が分からねえ。つうか、しゃべるならとりあえずこっち向こうよ、君。
「えーと……つまり四葉のクローバーを探してんのか?」
「幸せになれるって言ってたから探してあげるの……」
おぅ。話が見えてきた。つまり、この子はお姉ちゃんの幸せを願って今四葉のクローバーを探してあげてるわけだ。うん。泣かせるねえ。しかし、お兄さんはこの子に教えてあげるべきでしょうか? 君の足元にあるのは雑草で、クローバーなどこの一辺には姿形も見当たらないよって。
「お姉ちゃんはどこ……?」
「お、おい……」
「お姉ちゃんは天国にいるの……」
果たして、この子の目に俺は映っているのだろうか。女の子は唐突に立ち上がると、俺の横を素通りして歩き出した。
ここに来て、俺の疑問は確信に変わった。この子の虚ろな顔を一度見た時に感じたが、どうやらこの子は何らかの障害者らしい。そして、かつあげなどよりよほどたちの悪いことをあの三人組がこの子に対してしたことも理解できた。
「な、なあ、君一年だろ? 何組か分かるか? 自分の教室の場所、分かる?」
「四葉のクローバーはね、幸福の象徴なんだよ……」
旧校舎の壁に片手を当てながら、ゆっくりと歩いていく女の子。そのおぼつかない足取りは、頼りなく不安定で、どうやらこの子をほっといて一人教室に戻ることはできそうになかった。
「……いや、いや、ちょっと待て。物凄く嫌な予感がするのだが、俺の記憶が確かなら次の授業は確か……」
と、ここでタイムアウトを告げるチャイムの音が無情にも鳴り響いた。
「……数学?」
食べかけのアンパンがポトリと地面に転がった。