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66.記念日

「さて、今日は一体何の日でしょうか」

 その日、いつも通り病室を訪れた俺への恵美の第一声はそれだった。目が合った瞬間放たれたその言葉に、俺はとっさに頭の中でカレンダーの日付を思い出しながら、ベッドの上に腰掛けている恵美に「え?」と聞き返した。そんな俺に、恵美は含み笑いをして首をかしげただけだった。

 母さんを亡くしてから、そして、あの雨の日に恵美と出会ってから、意味もなく病院に足を運んでいた俺の日課に意味が生まれた。その意味と繰り返される日課のおかげで、恵美の性格は大方把握していたけど、時々飛び込んでくる恵美の突拍子のない言葉は、いつも俺をきょとんとさせた。

 病室の陰鬱な白に差し込んだ柔らかな陽光が、ベッドのシーツを色づけていた。開け放たれた窓の外から吹き込んでくる風は、レースのカーテンを揺らして、恵美の肩の後ろまで下りた髪を撫でて、俺の横を通り過ぎる。頭の中で恵美の言葉の意味と答えを考えながら、俺は恵美から目を逸らした。恵美の身に着けたシルクのパジャマの袖の辺りに目を留める。光沢を帯びた薄青色と、午後のけだるい空気に、少しだけ眩暈に似た感覚を憶えた。

「ヒント」

 答えを導き出せないでいる俺の耳に、恵美の声が弾んだ。顔を上げると、恵美はベッドの横の小さな置き台の上に置かれた牛乳瓶を指差していた。花瓶代わりの牛乳瓶に挿し込まれた一厘ごとの花に統一性はなかった。手ぶらで見舞いに行くのはどうかと思い、女の子が喜びそうなものをと考えた結果、そんな安直なものしか思い当たらなかったのだ。形式的とはいえ、女の子に花を贈るなんて死ぬほど照れくさかったけど、恵美のはにかんだ笑顔と「サンキュー」の言葉に、羞恥心はなくなった。それからは、見舞いに来る度に、目に付いた花を一厘だけとってきて、牛乳瓶に挿し込むことも俺の日課だった。

 殺風景な部屋を心なし彩る牛乳瓶は、すでに三本に増えていた。俺は今日の分の花を牛乳瓶に挿し込みながら「もしかして、今日誕生日とか?」とてきとうな事を口に出してみた。そういえば、恵美の誕生日がいつか、知らなかったことに気付いたのは、その時だった。

「違う。私の誕生日は八月二十日。まだ、一月は先」

「ふうん。そういえば、君の誕生日今まで知らなかったよ。ちなみに、僕の誕生日は九月十日だよ」

「今はそんなことどうでもいいの」

 口を尖らせて、俺の生まれた日をそんなことと言ってのける恵美に、俺は苦笑するしかなかった。

「――じゃあ、今日は何の日なのさ」

「あんたって、女の子にモテないでしょ」

 恵美の責め立てるような口調と視線に、俺はそんな横暴な、と思いながらも、その通りだったので反論も出来ず、顔をしかめた。

「それって答えに関係あるの」

「まあね」

「じゃあ、教えてよ」

「しょうがないな」

 そう言って、恵美はベッドから腰を上げた。

「今日で五十回目なんだよ」

 恵美の言葉に、俺は目を丸くさせることしか出来なかった。

「通算連続お見舞い回数。めでたく、今日で五十回を達成しました」

「それと僕が女の子にモテないのとどんな関係があるっていうんだ」

 からかうように笑う恵美のそれは、果たして照れ隠しだろうか。少なくとも、そう言って恵美を睨む俺のそれは、照れ隠しに他ならない。突拍子のない恵美の言葉は、ほとんどの確率で俺の胸をドキドキさせるたちの悪い威力を備えていた。

「だって、女の子にモテてたらここに来る時間もないでしょうに」

「モテなくて悪かったね」

「違う、違う。ありがとうって言ってるの」

「だったら、初めからそう言ってよ」

「やだよ、照れくさい」

 そう言って、恵美はストンとベッドの上に座り直した。

「仲のよかった友達もさ、見舞いに来てくれたのは最初だけなんだよね」

「え……」

「ま、入院生活長いし、仕方ないって言えば仕方ないけどさ。母さんや妹だって毎日は来てくれないよ。それが普通だと私、思うし」

 俺から目を逸らして淡々と言葉を紡ぐ恵美の横顔は、無表情だった。その中に恵美が隠しているものを、そのときの俺が察してやれるわけもなかった。それでも、次に発した恵美の言葉に胸が痛んだのは、言った本人の方がずっと苦しいことが分かったからだ。

「だから、あんたもさ。別に無理して毎日来なくてもいいよ。変に気を遣われても、こっちも迷惑だし」

 視線を足元に落としたまま、恵美はそれ以上何も言わなかった。

 俯いた恵美の表情は、前髪に隠れてよく見えなかった。柔らかな風が俺と恵美の間を通り抜けた。恵美の左手首についたビーズのブレスレットは、差し込む陽光を反射しながらキラキラ輝いていた。この胸の痛みも、毎日恵美に会いに来る理由も、気遣いという言葉で片付けるには、なんだか落ち着かなかった。

 あの時から根付いたこの気持ちをうまく表現する言葉を、俺はまだ知らなかった。

「あのさ」

 静かな病室の中で、不躾に俺の声だけが響く。病人に無理に元気を求めるのは気が引けるけど、快活を絵に描いたような恵美のらしくないその台詞も態度も、俺の不安に似た感情を助長させた。その不安を払拭させるために、俺は言葉を続ける。

「今更そんなこと言われても、困る。もう、ここに来るの日課になってるし。第一、君が思ってるほど、僕は忙しい人間でもないし、ここに来るの止めたら暇を持て余してしょうがないよ」

「……やっぱりね」

 俺の言葉に、恵美は俯いたままでぷっと笑った。

「女の子にモテないわけだ」

「な、なんだよ、それ」

「今口説かれてたら、私あんたに惚れてたかもね」

 にっと白い歯を見せて笑う恵美の言葉が、どこまで本気だったのかは分からない。でも、いつも通りの恵美の奔放な笑顔は、たちまち俺の不安なんて吹き飛ばしてくれた。





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