63.相性
(話したいことがあるから、部活の練習終わるまで校門で待ってるな)
裏庭のベンチに寝そべり、天に向けてケータイを掲げ送信完了。今日のバイトは、無理を言って休ませてもらった。これで、夏菜との仲直りに専念できる――……はずなのに。
思い出すと、無意識に胸の奥が熱くなってしまう。南が俺に残していったものを確かめるように、そっと胸に手を当ててみる。かき消そうとしても、それはじわじわと俺の胸の奥にこびりついて離れなかった。
少し息苦しくて、でも心地のいい響きが、鼓動と一緒に俺の中に溶け込んでいる。意識して抑えないと、それはすぐに顔を出して南のことを俺に想わせる。
この戸惑いから目を逸らして、夏菜と会おうとしている自分がいる。
ただの後輩。その一言で、全てをなかったことのように夏菜に話そうとしている自分がいる。余計な心配をさせるよりなんて言い訳をしている自分がいる。それが、やましいことだと分かっていても、そうすることしかできない自分がいる。
目の前をもやもやした気持ちが浮かんでいる。そのもやもやを振り払おうと手を伸ばしても、俺の手は空に浮かんだ薄い雲を掴み損ねただけだった。
どん底で雨に濡れていたこの場所で、俺を傘の中に入れてくれた南の顔が浮かんだ。あの時、南がかけてくれた優しさ。自分の気持ちを押し殺して俺を励ましてくれた時、南はどんな気持ちだったのだろう。同情だと思っていた。でも、あの時南が俺に寄せてくれたのは同情より親身なものだった。
目の前に浮かぶもやもやした気持ちを振り払うために、上半身をベンチから勢いよく起こした。かすかな眩暈に紛らわせたものは、多分、ごまかしてはいけない気持ちだった。
校門の柱に寄りかかりながら、なにをするでもなく夏菜のことを待っていた。コンクリートの無機質な冷たい感触を背中で温めながら、ちらほらと校門を抜けていく部活終わりの生徒たちを横目で見送り、そろそろ夏菜が出てくる時間だと気付いた。
校門を抜けていく男子生徒の複数の馬鹿笑いする声が遠ざかる。その能天気な笑い声に、見当違いな苛立ちが体を掠めて、俺はため息を吐いた。何気なく暗く沈んでいく空を見上げながら、そうしているうちにまた、生徒が何人か校門を抜けていく気配をそばで感じる。
湿気を含んだ風は、少し冷たかった。妙に体がスースーするのは、一人で待ち続けることに飽きたからだろうか。それとも、その光景を目の当たりにしたからだろうか。
ふとずらした視線の先に、夏菜の姿を見つけた。昇降口からこちらに向かってくる夏菜の隣に、金田先輩の姿を見つける。二人の親しげなその姿も、俺に対するあてつけだろうか。どちらにしろ、俺の胸は落ち着きなくざわめいていた。
俺の存在に気付いたのは、夏菜より金田先輩の方が早かった。数メートル離れたところから、金田先輩は俺に気付くと、そっと夏菜から少し離れて、俺に手を上げて見せた。相変わらずの爽やかな笑顔の持ち主に、ささやかな殺意にも似た嫉妬を感じる俺をよそに、夏菜は俺を一度見たきり、もう目を合わせようとしなかった。
「久しぶりだな、長谷川君」
そう言って、ずかずかと人の間合いに踏み込んでくるこの人は、もしかしたらただ無神経なだけなのかもしれない。どちらにしろ、失恋して一週間もせずにその相手と恋敵を前にして平気そうな顔をしているこの人の器など、俺には図れそうになかった。
「もしかして、大山のこと待ってた?」
不敵に微笑む金田先輩は、俺達の関係をもう知っているのだろう。夏菜からあえて金田先輩に報告することは考えられなかったけど、この人が無遠慮に夏菜に詮索するところは容易に想像できる。
「ええ、まあ」
ぶっきらぼうにそう返事を返す俺を見て、金田先輩はきょとんとした顔を作ってから、中途半端に離れた場所で立ち止まったままの夏菜に目を向けた。
「もしかして、喧嘩中か?」
そう俺に耳打ちしてくる金田先輩に、俺は顔をしかめることしかできなかった。そんな俺を見て、金田先輩は苦笑してから、夏菜を振り返った。
「じゃあな、大山。僕、もう帰るから」
そう言って手を振ってみせる金田先輩に、夏菜は「どうも」と口ごもりながらぺこりと頭を下げた。そして、金田先輩は俺の肩を軽く叩いてから、「もしかして、君達相性悪いんじゃないの」と言い残して、俺の横を通り過ぎた。
冗談にしては笑いのこもっていない金田先輩の声。振り返ることもできず、俺は遠ざかる金田先輩の気配に「うるせえよ」と呟いた。
ただ胸の中に溜まるばかりの苛立ちを持て余しながら、俺は夏菜を睨むことしかできなかった。