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62.恋の宣戦布告

 

 頭の中がクリアになった。一度呟いた自分の言葉に自信が持てなかったのは、ただの戸惑いだ。でも、そこに立っているのが南だということを、少しの間彼女を視界の中心に留めて確信した。戸惑いは、この間告白されたことに対する気まずさにではなかった。でも、遅れて、その気まずさを思い出した俺は、とっさにはまた声を出すことはできなかった。

 見慣れたお下げ髪をばっさりと首筋辺りで綺麗に切りそろえた黒髪。外見の変化は、そのまま内面の変化を映し出す鏡のようだった。俺が戸惑ったのは、南の外見的な変化だろうか、それとも、その変化の意味そのものに対してだろうか。

女心に疎い俺でも、その変化の意味はすぐに感じ取れた。もっとも、女は失恋すると髪を切る、という根拠のない通説からの思い込みに、説得力はない。ただ、今そこに変わった南が立っているという事実だけは、なにに対してだか分からない説得力を持って、俺を縛り付けていた。この落ち着かなさは、変化の意味より、髪型一つで別人のように雰囲気を変えてしまう女の子の生態に対する、純粋な驚きの割合が大きかった。大人しそうな雰囲気を払拭した南は今、活発な女の子にも、やっぱり人見知りな女の子にも受け取れた。

 合わせていた視線を最初に逸らしたのは南だった。それでも、俺はぽかんと口を開けたまま、南から目を逸らすことができなかった。なにを確かめようとしているのかも分からずに、南から何かを確かめようとしていた。この状況でかけるべき言葉など見つかるはずもない。髪切ったの? とか、似合ってるな、とか、頭をよぎる場違いな言葉に苛立ちを覚えた。沈黙の中で、南から時間を動かしてくれるのを待つしかなかった。こんな情けない俺に、南は本当に好意を寄せてくれているのだろうか。

 教室の中を取り巻く些細な音が、今は俺たちの時間を支配していた。カチカチカチと単調なリズムを刻む時計の針の音は、俺たちを急かしているのか、それとも興味なく傍観しているだけなのだろうか。床に落とされた南の視線を意味もなくなぞってから、鞄を両手で握る南の手が、かすかに震えていることに気付いた。恐れにも決意にも取れるその震える手を握ってやることはできなかった。

 歩み寄ればすぐにでもつないでやれるのに、そうすることのできないもどかしさが、じわじわと俺の心を締め付けた。南が嫌いなわけではなかった。できことなら助けてやるつもりでもいた。でも、その気持ちは、この場に持ち出していい種類の気持ちじゃないことぐらい分かっている。俺の出した答えに、答えを返すためにこの場にいる南に対して俺ができることは、ただ見守ることだけだった。

 沈黙の中で、南の手の震えが止まった。そして、ぎゅっと鞄を握り締める南の両手から、俺は視線を上へなぞった。ショートカットのよく似合う女の子は、俺と目が合うと照れくさそうにはにかんだ。

「髪……切ってみました」

 白くて頼りない細い首筋に手を当てて、南は困ったように微笑んだ。俺は「うん」と返事を返すことしかできない。それ以上を、南が望んでいるとも思えなかった。そして、南は俺から目を逸らして、窓際まで歩いていった。一つ一つの動作に意味なんてなくても、俺は確かめるように南の姿を視界の中心に捉えた。

「正直、告白したこと後悔してます。先輩のせいですよ。先輩の言葉が私を勇気付けたりするから……柄にもないことしちゃいました。本当は、ずっと胸の中に閉まって、大事にとっておくつもりだったのに。そうすれば、こんな思いなんてしなくて済んだのに。思っちゃった。この恋は実らなくても、先輩ならきっと私の気持ちきちんと受け止めてくれるんだろうなって」

 窓に手を当てて、南は遠くを見つめながら言葉を発した。気持ちを整理するように、慎重にゆっくりと言葉に紡がれていく気持ちに、南は今どうやって折り合いをつけているのだろう。たった数日会わなかっただけで、南の後姿はこの前よりもずっと大人びて見えた。でも、そこにいるのは確かに、今にも壊れてしまいそうな、華奢な女の子の背中だった。

「後悔してます。気持ちを伝えれば少しは楽になれると思ってた。諦められると思ってたから。でも、違ったみたいです」

 そう言って振り返った南に、俺は今どんな顔を向けているだろうか。

「気持ちは、髪みたいに切ってすっきりできるものじゃありませんでした。告白しても、応えてもらえなくても、先輩のことを忘れることなんてできなかった。私の片思いは、まだ続いてるんです」

 高を括っていた。もう、南は俺のことを諦めているんだと思い込んで、微塵も疑っていなかった。引っ込み思案で、自分の気持ちをあまり表に出さない南だから。こんな気持ちの折り合いのつけ方も、こんな展開も想像なんてできなかった。

「いつか、先輩が私に振り向いてくれる日が来るかもしれない。そんな日が来ることを信じて、私……まだ先輩に片思いしててもいいですか」

 肯定することも、否定することもできなかった。一つ一つの言葉に思いを込めて伝えてくるその積極さから、南を連想することはできない。でも、公園で好きだと言ってくれた時と同じ、このまっすぐなまなざしを俺は知っている。

 声を出せないでいる俺に、諦めたように小さな微笑を浮かべて、南は俺に頭を下げた。そして、教室を出て行こうとする南の背中を、俺は思わず呼び止めた。

「あの……似合ってる。その髪型……」

 俺の馬鹿みたいなその言葉に、南は「ありがとうございます」と控えめに笑って、教室を出て行った。

 南が教室から出て行ってからようやく、俺の胸は思い出したようにドキドキと高鳴っていた。




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