57.失恋と告白
そういえば恋愛の神から授かった秘策の有効期限は今日までだった。神のお告げによると今日中に夏菜とキスができなければ、俺は夏菜とおままごとのままで終わる。正気に戻った今、そんなことを頭から信じる気ははなからないけど、そのプランの中にはこの公園も含まれていた。
まさに、夏菜を誘おうと思っていた公園の中で、夏菜と一緒に座ろうと思っていたベンチ。でも、俺の隣に座っているのは、夏菜じゃなくて南だった。この状況を知れば、大樹はどんな顔をするだろうか。そんなどうでもいい事を考えてみても、この状況に対する答えが出てくるわけじゃない。
公園に入ってから俺たちは遊歩道を少し散歩してから、広場の中に入った。砂場と鉄棒があるだけの、子供心をくすぐる遊具一つない広場は、そのくせ結構な広さを有していた。人気のない広場の片隅のベンチ。そこから見上げた空は、暗く沈んでいた。ベンチの傍に一つだけ立った外灯が、心許ないオレンジ色の光を灯している。視線を逸らすと、すぐそこに南の横顔があった。
「なんかさ」
お互いの息遣いさえ聞こえてきそうな沈黙の中で、耐え切れずに声を出したのは俺の方だった。暗闇の中を手探りで歩くように慎重に言葉を選ぼうとしても、相手の望む言葉を選べるほど器用じゃないことは自分でも分かっていた。俺にできることは、今の南を見て思ったことをそのまま口に出すことだけだった。
「悩みでもあるのか? こっちから聞いといてなんだけど、もし話しづらいことなら無理して話さなくてもいいし。ほんとに気にして欲しくないんなら、俺も気にするのもう止めるから」
「先輩……」
「帰ろうぜ。もう暗いし、家まで送ってくよ」
そう言って、俺はベンチから腰を上げた。曖昧に笑ってみせる俺を見上げて、また南は俯く。少し待ってみても、南はベンチから立とうとしなかった。そんな南に、小さく息を吐いて、俺は言葉を発した。
「俺でよければ、その悩み相談に乗りましょうか」
心許ない光の下で、南が膝の上に置いた手をぎゅっと握った。俺は何も言わずにベンチに座り直して、何も言わずに南が話してくれるのを待った。静かな夜の中にようやく流れた南の声は、消え入りそうなほど小さかった。
「私……失恋しました」
「え……」
「その人には好きな人がいたんです。だから、私気持ちを伝えられないまま、失恋しちゃいました。馬鹿ですよね。でも、迷惑に思われるの嫌だから、どうしても気持ち伝えられなくて……正しいとか、間違ってるとか、そんなんじゃなくて……ただ、どうしていいのか分からなくて」
南の思いがけない言葉に、俺は戸惑いながら南の名前を呟いた。失恋で傷ついている南の前で、バカみたいにノロケ話を聞かせている自分を想像する。この場に南が居なければ、自分を自分で殴っているところだった。
今ここで南にそんなことを話させている自分の無神経さに、腹が立った。でも、今はそんなことを気にしている時じゃないことは知っていた。あの時、俺が南に辛い気持ちを吐露したように、南が俺にそれを話してくれていることの意味。相手が誰でもいいんじゃないことを、俺は知っていた。
失恋で傷ついた女の子を慰めるなんて、器用なことはできなかった。でも、単純に励ますことぐらいなら、俺にでもできる。
「そういえば、合コンの時に南言ってたろ」
「え……」
「ほら。もし、自分の好きな人に恋人がいたら、気持ち伝えるかどうかって話。あの時、南言ってたろ。迷惑に思われたくないから、黙ってるって。俺も同じ風に思ってたんだけど、今は違うんだよな」
そう言って、俺は南に目を向けた。
「誰かに想われることが迷惑だなんて、俺はそんなこと絶対あり得ないと思う」
「先輩……」
「悪ぃ。あんま気の利いたこと言えねえけど、南に言われて俺は楽になった気がしたから言うな。――頑張れ、南」
俺の言葉に、南は少し照れくさそうに微笑んだ。その微笑みは、頼りないオレンジ色に照らされて、その後に呟かれた「ありがとうございます」の南の声には、少しだけ元気が戻ったような気がした。
「前に言ったろ。俺はお前の味方だ。だから、困ったときはいつでも俺を呼べ。その辺のヒーローよりよっぽど早く駆けつけるぞ、俺は。あまり役には立たんがな」
俺の言葉に、南はそっと目元の涙を拭って、クスッと笑った。
「私……頑張ってみますね」
「よし。その意気だ、南」
そう言って、俺はベンチから腰を上げた。
「帰ろうぜ。家まで送ってくよ」
「はい……」
南は俺に心を開いてはくれないんじゃないか。そんな風に思っていたから、南が今日俺に話をしてくれて、なんだか嬉しかった。失恋の傷なんてまだ知らないけど、好きな人とすれ違う辛さは知っている。だから、俺にできる範囲のことなら南の力になってやりたい。
そんな風に思っていた。
そんな風に、俺は南の気持ちをまったく分かっていなかった。
広場を出ようとして、俺を呼び止めた南の声は、少しだけ震えているような気がした。振り返ると、南は太ももの前で、スカートの裾を両手でぎゅっと握ったまま、俯いていた。
どうした。俺がそう声を出す前に南が顔を上げた。その強いまなざしに、俺の言葉は表に出てこなかった。
「私……先輩のことが好きです」