48.恋の賭金
「……なんスか?」
「おいおい。人の顔見て、そんなあからさまに嫌そうな顔しないでくれよ」
そう言って苦笑する金田先輩を前にして、俺はどうしていいか分からず、ただ、どうして金田先輩が俺の家の前にいるのかを考えた。もし、俺が今嫌な顔をしているのだとしたら、それは、この人が俺に会いに来る理由は一つしかないからだ。しかし、恋人が三日立て続けに学校を休んだからといって、俺を訪ねてくるのは随分なお門違いだと言ってやりたいが、その原因は他ならぬ俺で、その事実がまた俺を苛立たせた。
つまるところ、夏菜の恋人は俺の天敵だということだ。この人に例え命を助けられたとしても、俺はおそらく礼の一つも言わないだろう。それは別に、好き嫌いの問題じゃない。
「……用がないなら、帰ってください。俺、疲れてるんで……」
「っていうか、ずぶ濡れだな、君。風邪引くぞ? ここで待ってるから、先に着替えてきていいよ」
「……」
金田先輩のペースで勝手に話が進んでいることに苛立ちながら、しかし、この人の目に悪気はなさそうだった。俺は小さくため息を吐いてから「ちょっと、待っててください」とお言葉に甘えて家の門扉をくぐった。そして、玄関に入ろうとした俺に、金田先輩は不躾に言葉を発した。
「先に言っとこうかな。君にとっては朗報だろうし」
「は……?」
金田先輩の言葉に、俺は眉根を寄せつつ金田先輩を振り返った。そして、そんな俺に金田先輩はやっぱり悪びれもせず、言葉を発した。
「僕、大山と別れたから」
金田先輩の唐突過ぎる言葉に、俺はリアクションに困ってとにかく固まることしかできなかった。そんな言葉をこともなげに微笑交じりで言ってのけること自体、冗談にしか見えなかったが、もし、俺をからかっているのであれば、ここはキレても構わないだろう。
しかし、動揺のあまり身動きが取れない俺に、金田先輩はまた悪びれもせず言葉を発した。
「早く着替えてこないと、風邪引くぞ?」
金田先輩の表情から真意を読み取れないまま、俺は、促されるまま一旦、玄関の中に入った。
麗美は夏菜が俺の気を引くために金田先輩と付き合ったと言っていたが、その話を聞いてからずっと引っかかっていた。もし、その話が事実なら、夏菜は自分に好意を寄せてくれる金田先輩を利用していることになる。でも、夏菜はそんなことができるほど器用でもないし、何より、いい加減な気持ちで誰かと付き合うような奴ではないのだ。
だから、夏菜の気持ちは付き合うことを決めた時点で、もう、金田先輩に向いているんだと思った――。
「――はい?」
「だからね。賭けをしてたんだよ」
「賭け?」
「そう。賭け」
そう言って、全ての事情を知っているであろう金田先輩はやっぱり余裕で微笑む。そして、さっぱり事情が飲み込めない俺は、随分間抜けな顔をしているのだろう。
あれから、金田先輩の言葉の意味が飲み込めないまま、俺は部屋着に着替えてから、金田先輩と近所の公園まで来ていた。雨除けの屋根のついた古びたベンチに並んで腰掛ながら、もう一度金田先輩の発した言葉の意味を考えてみる。
キーワードは「夏菜と別れた」「賭け」やっぱり、意味が分からなかった。
「あの……もう少し分かるように話してもらえませんか」
未だ冗談の域を出ない話の行き先を懸念しながら、俺は慎重に金田先輩を伺いながら声を出した。もしこの話のオチが「なんちゃって」なら、その時こそ俺は本気でこの人をぶん殴ってしまうだろう。夏菜とキスしたと平気でカマをかけてくるこの人なら、それぐらいはやりかねなかった。
「大山に告白して、付き合ってくれって言ったら、断られた。他に好きな人がいるから付き合えないってね」
「え……」
「ずっと片思いをしてるらしい。この先も告白するつもりはないらしい。その相手は親しい幼馴染で、向こうはきっと友達以上の感情を抱いてはいないらしい。そこで、僕はこう持ちかけた。だったら、僕と付き合ってる振りをして、相手の気持ちを確かめてみればいいってね。そのまま何もしないでいても、君たちの関係は何も変わらない。
もちろん、大山はそんなこと僕に悪いと言って受け入れなかった。だから、賭けたんだ」
「賭けた?」
「そう。付き合う振りをしている間に、大山が僕と本気で付き合いたくなるって方に、五百円。まあ、一方的な賭けだったけどね。僕は常にポジティブ思考で、まず、同じ土俵に立たせてもらえないことの方がよっぽど酷だと彼女を説得した。そして、しつこく頼み込んだ末に、ようやく彼女は頷いてくれた」
金田先輩のカミングアウトに、俺は何と言っていいか分からずに、金田先輩から目を逸らした。なんだか、さっきから金田先輩から大樹と同じ匂いがしているような気がするのは気のせいか。
「付き合ってる振りをしてるうちに、大山を僕に本気にさせる自信があった。相手は、君だったしね」
そう言ってイタズラっぽくウインクしてくる金田先輩に、俺は顔をしかめることしかできなかった。
「でも、結局駄目だったよ。さっき、大山に直接別れてくれって言われた」
「いや、ちょっと待ってください。でも、抱き合ってましたよね。夏菜と」
「え?」
「ほら。昼休みに視聴覚室で。ずっと前に俺、見たんですけど」
俺の言葉に、金田先輩は少し考えてから「ああ」と声を出した。
「もしかして、あの時のことか。あれは、急に雷が鳴って、びっくりした大山がつまずいて俺に倒れこんできただけだよ」
「で、でも、夏菜に近付くなって俺に言いましたよね。夏菜にハグしてたし」
「それぐらいしてもいいだろ? 一応彼氏役だし。まあ、なにをしても大山の気持ちは君に向いてたから、僕も少し焦ってたってのもあるけど、もう、止めることにした。気付かされたんだ。今日、大山に泣きながら別れてくださいって面と向かって言われた時にね。
正直、そこまで大山を苦しめてるとは思わなかった。僕が思ってたより、ずっと彼女は一途で、不器用だったよ」
金田先輩の言葉が、なぜかズキンと俺の胸を痛めた。
罪悪感と、後悔が綯い交ぜになった感情が、俺の中で膨らんでいく。そして、そんな俺をよそに、金田先輩は小さく息を吐いた。
「正直ね。僕は大山が好きだけど、別に相手がどうしても大山じゃなきゃいけなかったわけじゃないのかもな。彼女のことを一番に考えれば、やりようは他にいくらでもあった気がするし。でも、大山は多分違うと思う。彼女は君じゃなきゃ駄目なのかもな」
そう言って、金田先輩はベンチから腰を上げて、俺を見下ろしながら言った。
「君はどうかな」
「……なんでですか?」
「うん?」
「なんで、そんなことわざわざ俺に言いに来たんですか?」
「決まってるだろ」
そう言って、金田先輩はイタズラっぽく笑った。
「好きな人のためだよ」
正直、金田先輩がどこまで本気で夏菜のことを想っているのか分からなかった。ただ、少なくとも、好きな人に振られた直後に、そこまで好きな人のために行動できる自信は、俺にはなかった。
「すんません……」
「そんなことより、大山にこれ渡しといてもらえるか」
そう言って、金田先輩はポケットの中から五百円玉を一枚取り出して、俺に放り投げてきた。
「賭けは僕の負け。それと、あんまり気にするなって大山に伝えといてくれ」
そう言い残して、金田先輩は雨の中に消えて行った。俺は、一人取り残された公園の中で、ベンチの上に倒れこんで、目をつぶった。
雨の音がやけに近くで鳴っていた。雨の匂い。雨の音。少し肌寒い風は、いつかの感覚に似ていた。
目を開けて、金田先輩から受け取った五百円玉をかざしてみる。
まだ、間に合うのかな……。
指先に感じる無機質な感触は、もちろん、何の返事も返してはくれなかった。
でも、今度こそ、素直な気持ちを夏菜に伝えられるような気がした。
俺は、五百円玉をポケットにしまって、公園を出た。