43.恋敵との対面
ああ、くそう。これじゃ蛇の生殺し状態だぜ……。
放課後、俺は一人教室に残り、憂鬱の泥沼にどっぷりと浸かっていた。昨日、告白の寸前までこぎつけながら、紗枝さんのおかげで宙ぶらりん状態に陥った俺と夏菜の関係は、超気まずいものとなってしまった。今朝から顔を合わせても夏菜は昨日のことには一切触れてこない。かといって、昨日のことを全く気にしていないというわけでもなさそうだ。なぜなら、明らかに普段と比べて夏菜の挙動がぎこちない。なんつーか、上の空っつーの? 今日授業で三回も当てられてんのに、教師の言葉をまるで無視してたからな。真面目な夏菜が教師をシカトしてるとこなんて初めて見たぜ。
やはり、完璧に「好きだ」とは言えなかったにせよ、俺の気持ちは夏菜に伝わっているのでは? うん。なら、わざわざまた伝え直すなんてことする必要なくね?
しれっと「夏菜、昨日の返事聞かせてくれよ」って言ったら、案外簡単に答え聞かせてくれるかも――って、は! またいつの間にか、なあなあで済まそうなどという流れに持っていこうとしてる!? こんの、腰抜けがっ!
でも、とてもじゃないが、告白し直す勇気なんてなあ……。ある程度こっちの気持ち暴露してるだけに、余計やりずれえし……そもそも、今更だが恋人のいる奴に「好きだ」なんて伝えること自体、気が重い――。彼女とデート中に元カノと鉢合わせして、元カノに関係引っ掻き回されて、今後どうしようってぐらい気が重い(あくまで、想像)……。
「はあ……頭痛ぇ……」
「大丈夫かい?」
「いや、大丈夫……」
と普通に返事を返してみてから、俺は目をぱちくりして、机の上に体を突っ伏した状態のまま、顔だけを横にずらした。すると、どうだ。俺の席のすぐ横にいつの間にか誰かが立っていた。いや、さっきまで一人だったはずだが。そして、ゆっくり視線を上になぞってみて、俺は驚きのあまり、慌てて体を起こして、その反動で椅子からひっくり返ってしまった。
「わ……うげえ!」
ギリギリのところで受身を取り、しかし床に背中を叩きつけられた俺は、あまりの痛みに身悶えした。そして、その人物はそんな俺を心配そうに見下ろしている。
「お、おい……大丈夫か?」
「か、金田先輩……?」
床に仰向けに転がったままの状態で、何とか声を出す。そして、そんな俺に金田先輩は苦笑した。
「ちょっと、いいか?」
さて。なぜか、放課後の教室で金田先輩と二人っきりになってしまった俺の心中は、とても言葉では言い表せそうにない。なんか、動揺と憎悪と不安と嫉妬と、少しの申し訳なさと猜疑をミキサーにかけたジュースを一気に飲み干した、と言えば分かりやすいか。まあ、恋敵を前にした、これがあるべき心境じゃね? 特に、相手が自分よりいい男(もしくは女)だったりしたらね?
「そういえば、君とこうやって話すのって、ずっと前に屋上で会って以来だな」
しかし、そんな俺の気も知らずに、穏やかな微笑を携え金田先輩は平然と俺の席の隣の椅子を引っ張り出して、俺と向かい合って座った。さて、これでいよいよ逃げられなくなってしまった。弱ったな。
「それとも、もしかして俺、君に避けられてるのかな」
「え……!」
なぜ、それを! と思わず口からついて出てきそうになった言葉をぐっと飲み込む。そして、明らかに動揺している俺を、まるで楽しんでいるかのように眺めている金田先輩。ちくしょう。その余裕は夏菜を手に入れた優越感ですか? 張り倒すぞ、このクソヤロウ。って、何一人で物騒なこと考えてんだ、俺は!
「冗談。だから、そんな怖い顔して睨まないでくれよ。別に君と喧嘩しに来たんじゃないんだから」
「い、いや……。こっちも、そんなつもり全然ないですけど」
俺の言葉に、金田先輩はにっこりと笑顔を作った。うぐぅ。この笑顔に夏菜はメロメロなのか? 確かに、まるで王子様みたいな爽やかなこの笑顔は、女の子の心を鷲掴みにすること受け合いだ。
「確か、純君だよな。夏菜からよく話は聞いてるよ。幼馴染で、仲のいい友達だってね」
「は、はあ……」
ぐはああ! こいつ、今夏菜のこと夏菜って呼びやがった! 前は確か大山って苗字で呼んでたろうが! 馴れ馴れしいんだよ、てんめえ! 大山さんとさん付けで呼び直せやあ! と心の中で叫びつつも、何とか表には出ないように堪える俺。はい。相手は夏菜の彼氏だし、ただのしがない友人の俺に、そんなことを命令する資格はありませんでした……。くそう、気が狂いそうなほどムカつく……! てめえら、一体どこまで進んでやがる……!
「あ、そうそう。聞いてくれよ。この間夏菜とキスしたんだけどさ」
「……え?」
あまりにも衝撃的な言葉に、俺の意識は五メートルほど跳躍してから、ようやく戻ってきた。そして、目を点にして聞き返す俺に、金田先輩は相変わらずの爽やかスマイルでこともなげに声を出した。
「いや、夏菜とキスしたんだけどね。なんか、ファーストキスだったみたいで、泣き出しちゃってさ。てっきりいい雰囲気だったからオッケーだと思――」
その瞬間、プチンと俺の中で何かが切れた。
「てんめえええ! 死なすぞ、ごるらあ!」
「てのは、冗談だけどね」
「このクソ蚊があ! 金田先輩のこと今刺そうとしてたろが! この、この! 死なすぞ、こらあ!」
超人的な反射神経で、金田先輩に殴りかかった俺の拳は空中で軌道修正。何とか、蚊を拳で打ち落とそうとする間抜けへ変身完了。しかし、そんな俺を見て金田先輩はぷっと吹き出した。
「夏菜の言った通りだな、君は。単純で、馬鹿で、時々わけの分からない行動をして、周りを困惑させる」
「……それ、夏菜が言ってたんスか?」
マイナスイメージのオンパレードに、俺は意気消沈して椅子の上にストンと崩れ落ちた。
「そして、嘘を付くのがものすごく下手」
「え?」
「君、夏菜が好きなんだろ」
「え゛……」
「さっきの反応は、ただの幼馴染に対してのものじゃないだろ。僕が大山とキスするのが、そんなに腹が立つ?」
さっきまで、夏菜と呼んでいたはずなのに、大山と言い直す金田先輩。そして、俺はようやく金田先輩に試されていたことを悟った。が、もちろん、素直に認めてやる義理もないので、すっとぼけてやる。
「いや、俺って見かけによらず友達思いですから」
「ごまかさなくていいよ。そうじゃないかと思ってたしね。君たちすごく仲いいし、そういう感情を抱いてても不思議じゃないよ。ただ、今大山と付き合ってるのは、僕だ」
常に微笑を携えていた金田先輩の顔から笑みが消えた。そして、俺をまっすぐ見据えて、金田先輩は言葉を発した。
「正直、君が大山に近付くのは不快なんだ。よければ、あまり彼女に近付かないでもらえないかな」
「……」
そんな風に面と向かって穏やか口調で威嚇をされては、俺も面食らうことしかできなかった。そして、何も言い返せずにいる俺に、金田先輩はにっこりと笑ってから席を立った。
「じゃあ、そういうことだから。部活に遅れるから失礼」
結局、何一つ言い返せないまま、金田先輩は悠然と教室を後にした。