32.人違いor……?
すぐ横に、南の顔があった。耳元をくすぐる南の吐息、押し付けてくる柔らかな温もり。普段の南からは想像もできない甘美な誘惑が、俺の理性という防壁を突き崩そうとしていた。
この、非現実的な状況で、それでも、俺の心臓の鼓動は悲鳴を上げて、俺を現実に押し戻す。南のぬくもり。南のにおい。女の子しか持ち得ない、繊細な感触に眩暈を覚える。それでも、こんな時だというのに、夏菜の顔が頭に思い浮かんだ。飲み込まれそうだった俺の理性が、守りを固めて、俺ははっと我に返った。
「み、み、みな――」
声を出そうとした瞬間、南が急に膝を立ててきた。ちょうど、俺の股の下にあった南の太ももが俺の股に擦り寄ってきて、不意に体が横に傾いた。南が、俺に抱きついた格好のままで寝返りを打ったのだ。
「あ、危――」
勢いそのままに、南に押されソファから転落する。そして、状況はさらに悪化することとなった。落下の際に南をかばって、下敷きになったのはいいのだが、そっくりそのまま体勢が入れ替わってしまった。俺の上に覆いかぶさる南を前に、俺は完璧に身動きが取れなくなった。
「み、みみ、み、南……?」
惜しげもなく、俺の体に自分の体を押し付けてくる南。頭の横に投げだされた俺の手を、南は手探りで探し出し、顔を上げないまま、俺の両手をきゅっと握った。
ごくりと唾を飲み込んで、俺は何とか声を絞り出した。
「み、なみ――お、俺……」
「ん……」
「……」
「……むにゃ……」
えーと……。
「――南? もしかして、お前……」
――寝ちゃってます?
「まったく、人騒がせな……」
酔って眠りこけている南をソファに寝かし直してから、押入れから引っ張り出してきたタオルケットをかけてやって、俺は深く息を吐いた。酔ったせいか、ほんのりと赤らめた顔をして、寝息を立てている南を少しの間眺める。
――もし、あの時南が眠ってしまわなかったら、俺はどうしていただろう?
密着した南の体の感触が蘇ってきて、俺は無性に恥ずかしくなって、南から目を逸らした。
い、いかん、いかん。あくまで、南は酔っぱらってたんだからな。酔っ払って――。
(……私じゃ、駄目ですか?)
「……」
(私……先輩のことが、好き……)
だあああおおおお! 違う! 断じて、違う! あの告白は人違いだ! そうに決まってる! だ、だってほら! 先輩とは言ってたが、南は一言も俺の名前を口にしたわけじゃねえし! 確かに、好きな男がいるとも言ってたが、決してそれは俺じゃねえ! 他の先輩だ! そうに決まってる!
「――って、言ってる場合じゃねえんだよ」
そう。この後、南をどうするかが問題だ。とにかく、このままってワケにはいかないし、さっき水をこぼして、南のワンピースは濡れたままだ。このまま寝させていたら風邪を引いてしまうかもしれない。しかし、俺が脱がせるわけにもいかないし、なにより、ウチには換えの女物の服なんてないのだ。
となると、やはり――。
「だ、大丈夫。この時間だもんな。きっと、紗枝さんがでてくれるよ……」
というわけで、俺はケータイをポケットから取り出して、夏菜の自宅に電話をかけた。
神様、お願いします。神様お願いします……。
はい。コールの間の神頼みです。
「はい、大山です」
電話越しから聞こえてきた夏菜の声に、俺は即座に通話を切った。って、神の馬鹿野郎ぅ!
い、いや、いや、信じるものは救われる。アーメン。たまたま、紗枝さんはトイレにでも行ってて、電話にでられなかっただけさ。
と、自分に言い聞かせ、三分後再度電話するも――。
「はい、大山です」
――やっぱ、夏菜がでてきました……。
「……もしもし?」
少し苛立たしげに声の調子を上げる夏菜。無理もない。さっき、無言電話かけたばっかだしな。でも……。
俺はソファの上で眠っている南をチラッと見てから、思い切って声を出した。
「も、もしもし。あの……俺。純だけど」
「え……」
俺の声を聞いて、戸惑ったような夏菜の声が響く。そして、電話の向こうで何も言ってこない夏菜に「ごめん」と声を出してから、俺は夏菜に理由も言わずに、とにかく今からウチに来て欲しいとだけ伝えて、返事も待たずに電話を切った。