28.失恋後遺症
「ぅおーい。生きてるかぁ、純?」
「……ん? おぅ。誰かと思えば、過去三十六人の女を泣かせて来た色男の大樹君じゃないですか。悪いですが、君のような彼女持ちの色男と僕では生きる世界が百八十度違うんですよ。どうぞ、元の世界にお帰りください。あ、お帰りはあちらですから」
そう言って、俺は教室の出入り口を指し示してから、再び自分の席の上に突っ伏した。
「おい、おい! 戻って来い、純! いい加減、夏菜――」
「俺の前でその名を二度と口にするんじゃねえっ!!」
反射的に脳が命令を下し、俺はガバッと体を起こして、大樹に掴みかかった。そして、いつも通り、握った拳を振り上げてから、はたと我に返り、目を丸くする。
「……ありゃ? なにしてんだ、大樹」
「いつも通りのお約束ありがとうございます、クソヤロウ。さっさと、その手を放してもらえますか?」
「お、おぅ。悪ぃ」
というような発作が、ここ一週間治まりません。ちなみに、大樹医師はこの俺の症状を失恋後遺症と命名。その場で取っ組み合いの喧嘩となりました。
「ったく、いい加減その発作何とかしろよ。いちいち付き合う俺の身にもなれっての」
「いや、しかし、この発作は相手がお前の場合のみ起こるものだから、害はないだろう」
「喧嘩売ってんのか、てめえ……」
「おいおい。無意識のうちにさえ、お前だけが心を許せる親友だと認めている、という事実を述べただけだ。他意はない」
「嘘付け」
苦虫を噛み潰したような顔をして俺を見る大樹。しかし、この一週間、誰よりも早く学校にたどり着く(夏菜と鉢合わせるのが気まずいから、登校時間極端にずらしてる)俺の次に教室に入ってくるのは、決まって大樹だった。おお、大樹――「――普段チャラ男のくせに、実は友達想いのいい奴なんて、お前はどこの売れない映画に出てくる主人公の友達役止まりの男だ」
「……てめ。その癖いい加減直さねえと、マジでボコるぞ」
「ん? おお、悪い。つい思考が口に」
「出すなら、褒めてる時にしろ!」
「そんなこと言われても、肝心の褒めるとこが」
「ないってか、ああ! あってもなくても、てめえのさじ加減一つだろうがよぉ!」
目を血走らせて、俺に掴みかかってくる大樹に、俺はふうとため息をついた。
「まあまあ、落ち着いて。心に傷を負って情緒不安定になっている男にマジにならないでください、大人気ない」
ギリギリと歯を食いしばり、ものすごい形相で俺を睨む大樹。しかし、数秒後、大樹は気を取り直したように俺から目を逸らし、教室の出入り口に向かって声を出した。
「――あ。おはよ、夏菜」
大樹の言葉に、俺は慌てて大樹の手を振り払い、全力で教室から逃げ出そうとして、机の脚に足を引っかけ派手にずっこけた。そして、焦って体を起こすと、あら、不思議。夏菜の姿は教室のどこにも見当たりませんでしたとさ。
静かに立ち上がり、服についた埃をパンパンと払う。そして、腹を抱えて爆笑している大樹に、俺は決死の特攻を決めた。
夏菜に距離を置くと言われてから一週間、夏菜に距離を置かれるまでもなく、俺は夏菜を避け続けていた。その避けようといったら、朝登校する時間はずらすは、学校に着いたら、夏菜が教室に入ってくる前に姿を消して、チャイムが鳴ると同時にまた教室に入り直して声をかけられないようにするは、休憩時間にも同じようなことをするは、とまるで嫌がらせのように執拗で、ここ一週間、一度も夏菜と言葉を交わした記憶はございません。
「いくら気まずいからって、やりすぎだろ。ってか、てめえからますます気まずくしてどうすんだよ」という大樹の弁はごもっともでございますが、やっちまった手前、もう後戻りもできないわけで。はい。完全に自分を見失い、今日も朝も早から登校してる次第です。
さて。取っ組み合いも終わり、俺は自分の席に着き直した。大樹は俺の向かいの席にどっかりと座り込むと、ぽりぽりと頭を掻きながら言葉を発した。
「まあ、女なんて他にも腐るほどいるんだ。あんま、落ち込むなよ」
「ああ。クソの役にも立たねえ、ありきたりな励ましの言葉、ありがとう」
「……お前な」
「いや、気にせず受け流してくれ」
俺の言葉に、大樹は大仰にため息を吐いた。
「分かんねえな。そんなに夏菜のこと好きなら、なんで気持ち伝えねえんだよ」
「……だってよ。夏菜には――」
「関係ねえよ。夏菜に男がいようがいまいが、俺がてめえなら、絶対気持ち伝えるぜ。要は、気持ち伝えるのが怖えだけなんだよ、てめえは。夏菜に男がいるってご丁寧な理由つけてるだけでよ」
大樹の言葉に、俺は無言で大樹を睨んだ。でも、睨み返してくる大樹から、先に目を逸らしたのは、俺の方だった。
「……かもな。でも、いいんだ、俺は。夏菜が笑ってられるなら、それで」
「それが、この一週間、散々人に絡んで来た奴の言う台詞か?」
「まあ、まあ。心に傷を負って情緒不安定になっている男相手にムキにならないで」
「……っけ。ま、いいや。俺も、熱血キャラはどうも苦手だしな。ここからは、俺らしく振舞わせてもらうぜ?」
そう言うと、大樹は不適な笑みを俺に向け、声を出した。
「喜べ、純。俺が夏菜のこと忘れさせてやるよ」