22.お前の味方
いや、いや、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったな。しかし、どうせ夏菜の部活が終わるのを待ってるつもりだったから、生憎時間はたっぷりとあったわけで。様子から察するに「あの……この後、時間ありますか?」の台詞を口にするのに、南は命がけなノリだったわけで。本心は、君に昨日優しい人宣言されてなんか照れくさいような、気まずいような、そんな感じなんで勘弁してください、なんだけど、腰抜けマスターのこの俺が、その申し出を断れるわけもなく、今こうして南と裏庭のベンチに並んで座ってるわけで。ってか、あんな必死な顔されたら、誰だって断れなくね?
「えっと……で、どうした?」
とりあえず、ゴミ捨てを終え、並んでベンチに座り、とその場の流れにズルズルと流され続けた俺は、そんなまったく気の利かない言葉を武器にして、応戦。案の定、南は隣で申し訳なさそうな顔を俺に向けてきた。すんません。知らない女の子と(ってわけでもないけど)二人っきりでお話なんてシチュエーション初めてで、地味に緊張してんです、この腰抜けは。許してやってつかぁさい。
「ごめんなさい。なんか、無理に付き合わせちゃったみたいで」
「え? いや、いや、別に無理なんてしてねえって」
はい。別な意味でかなり無理してますけども。
「どうせ、まだ帰るつもりなかったしな。時間、持て余してんだよ」
俺のその言葉を聞いて、南は「もしかして、誰か待ってました?」と言葉を発した。
「あー、うん。でも、まだかなり時間かかるから平気だ。問題ナッシン」
「もしかして……彼女ですか?」
「――はい?」
うん。恐らく今の俺はとんでもなく間抜けな顔をしているのだろうな。慌てて南が謝ってくるぐらいだから。
「す、すいません。変なこと言って。ごめんなさい」
「……いや、別にいいよ。だが、南よ。この生物と好き好んで付き合うような物好きな女の子がこの地上に存在するとお思いか?」
そう言って、立てた親指を自分に向け、自虐ジョークをかます俺。しかし、南は曖昧に言葉を詰まらせ、俯いてしまった。って、あれ? なに、そのリアクション? ってか、その場の空気を明るくしようとした結果、ますます気まずくさせちゃう俺って、ヘボ男ですか?
「おい、南……お世辞でもいいから、いると思いますぐらい言ってくれよ。俺マジでへこむから」
俺のツッコみに、南は弾けた様に顔を上げた。
「ち、違います! そういう意味で答えなかったわけじゃないです!」
「お、おお……そうなのか? じゃあ、どういう意味で?」
「えっ……! そ、それは、その……ごめんなさい」
「……」
いいんだよ、南。気を遣わないで。てめえの力量も考えず自虐ネタをかましたこの馬鹿が勝手に心に傷を負っただけさ。同情するなら、誰か俺を褒めて。
「あ、あの……。長谷川先輩……」
心配そうに俺を伺ってくる南に、俺は苦笑を返した。
「いいって。気にすんな。それより、なんか話あんだろ?」
「あ、はい。話っていうか、相談なんですけど……」
「相談?」
「はい。沙里のことで、ちょっと」
南の言葉に、俺は頭の中で神木沙里の顔を思い浮かべた。そして、黙ったまま先を促すと、南はおずおずと話し出した。
「沙里、昨日からちょっと様子がおかしいんです。昨日、ちょっと心配になって、帰ってから沙里の様子見に行ったんですけど、なんだか、塞ぎこんでるみたいで……。今日も学校休んでて、今朝沙里のお母さんが、夕べからご飯も食べなくて部屋から出てこないってとても心配してたんです。こんなこと、今まで一度もなかったから、私心配で……」
南の言葉に、俺は「そっか」と返事を返した。
感情を失くしたという神木沙里を見て、塞ぎこんでいると感じることができるのは、恐らく南ぐらいのものなのだろう。そして、常に神木沙里を側で支えてきた南だからこそ、その心配は思い過ごしなどではないということもよく分かる。ただ、なぜその話を南が俺にしているのかが分からなかった。
そんな俺の疑問を察しているのだろう。南は俺と目が合うと、俺がどうして、と聞く前に声を出した。
「勝手な思い込みかもしれないですけど、私、沙里の様子がおかしくなったのは、長谷川先輩と会ってからだと思うんです」
俺は、昨日聞いた神木沙里の泣きそうな声を想った。彼女の口から発せられた言葉は、痛々しいほど悲しくて、裏腹に口を歪めて作られたぎこちない笑顔には、彼女の中に根付いている、深い感情が込められているような気がした。
「あの子さ」
俺は、そう言って南から目を逸らした。
「ほんとに、感情を失くしてるのかな」
「え?」
「俺には、そうは思えないんだけど」
「でも、お医者さんも強いショックから、一時的に感情が欠落してるんだろうって――」
「医者っつっても、人の心まで診るわけじゃねえだろ。ま、俺も偉そうなこと言えねえし、本当がどうなのかは分からねえけどな。――そうしてるのが、本人が意図してるのかどうかなんてさ」
「意図してって、そんな――」
珍しく語気を強めて声を発する南の言葉を遮って、俺は「分かんだよ」と声を出した。
「大切な人失くして、そうしたくなる気持ち。……痛いほど、分かんだよ」
「……――長谷川、先輩?」
左手首に付けたビーズのブレスレットに目を落として、俺はそっと、ビーズをなぞった。ぬくもりのないビーズの感触は、あの日見たきらめきを今もまだ宿して、俺に眩暈を起こさせる。
ぎゅっとまぶたを閉じて目を開けると、南が心配そうな顔をして俺を見つめていた。俺は気を取り直して、小さく息をついた。
「ま、あの子は大丈夫だろ。なんたって、南みたいな友達想いな頼もしい味方がついてんだ。いつか、ちゃんと立ち直るってもんだ」
「先輩……」
俺の言葉に、南はそっと顔を俯けた。
「? どした、南」
「私……自信ないんです」
「え?」
「沙里がおかしくなってから、私、ずっと沙里の面倒見てきました。沙里は私の大事な友達だし、そうしてる自分に初めは疑いなんてなかった。でも、よく偽善者って周りから陰口言われて、だんだん、それが辛くなってきて……。どうして、私がそんなこと言われなきゃいけないんだって思うようになって。そしたら、自分がやってることが、正しいことなのかどうか、不安になって、いつの間にか、自分のこと疑ってて。私、どうしたらいいか――」
「そういう時はな、南」
俺の言葉に、南は、え、と声を漏らして顔を上げた。
「誰か一人でも、自分のことを信じてくれる味方をつくりゃいいんだ。そいつは、自分がキツくなった時、どんな愚痴も聞いてくれる。困った時は助けてくれる。何より、自分のすることをいつでも信じてくれる。そんな人間が一人でもいてくれりゃ、そんな不安はたちまち消し飛ぶぞ」
「で、でも、私そんな友達なんて――」
「いねえのか。なら、作りゃいいんだ。簡単だぞ」
俺の言葉に、南は元気なく俯いた。そんな南に息をついて、俺は言った。
「今日、俺はお前の愚痴聞いてやっただろ」
「え……」
「もちろん、俺はこれからお前が困ってる時は助けてやる。お前のすることも信じてやる。今日から、俺はお前の味方だ」
「……先輩」
「――って、ちょっと、クサかったですか?」
そう言って肩をすくめて見せると、南は涙ぐんだ目を手で拭ってから、くすっと笑った。
「――はい。ちょっとだけ」
「お! そうそう、そのリアクションね! その心を今後忘れないように!」
そう言って、俺は南の背中をポンと叩いて、ベンチから腰を上げた。
「ま、冗談抜きで、なんかあったらいつでも言えよな。気兼ねなんかすんなよ」
「はい。ありがとうございます、長谷川先輩」
「おぅ。じゃな、南」
そう言って、その場から離れようとした俺の背中に、南は「あの」と声をかけてきた。振り返ると、南はベンチから腰を上げて俺を見ていた。
「長谷川先輩は……彼女いるんですか?」
「……はい?」
「言いましたよね。気兼ねするなって」
そう言って、頬を朱に染める南を前に、俺はしどろもどろに声を返した。
「お、おぅ……。あ、彼女ね。えーと、残念ながら、そういったお人は現在存在しておりません」
「……よかった」
そう呟いて、南はぺこりと頭を下げると、俺の元から走り去って行った。