15.紗枝さんマジック
夏菜の家は、俺の家から二件家を挟んだ先にある。ご近所付き合いから始まった俺達の付き合いはやがて家族ぐるみの付き合いとなり、その関係は今や夕飯をご馳走になるのも当たり前というぐらい親密なものになっていた。
それというのも、ウチの親父は働き蜂のごとく毎日朝早くから夜遅くまで仕事詰めなものだから、いつも一人家に残されている俺を気遣って、夏菜の母親である女神様、もとい紗枝さんが俺のバイトのない週四日、夕飯をご馳走してくれているのだ。自分も近所のスーパーにパートに出ていて忙しいというのに、ほんと、紗枝さんには足を向けて寝られません。母さんが生きていた頃は、夏菜が随分世話になったからおあいこだと言って笑う紗枝さんは、母さんを亡くしてからはずっと俺の母親代わりのような存在だ。
さて。一旦家に戻り、部屋着に着替えた俺は、夏菜の家へ向かった。夏菜の家は俺の家と同様、二階建ての一軒家だ。控えめな門扉をくぐり、インターホンなど使わずに鍵のかかっていない玄関のドアを開ける。お邪魔します、と一言言って玄関を上がると、ダイニングキッチンから、おばさんが顔を出した。
「いらっしゃい。ご飯もうできてるわよ」
そう言って、紗枝さんは身に着けていたエプロンを脱ぎつつ、俺に笑いかけてきた。はい。このグラマラスな美人ママが夏菜の母親の紗枝さんだ。どう見ても二十台だろといいたくなるその若々しい容姿の実年齢が実は三十ピー歳(自主規制。つーか、おばさん実年齢教えてくれません)だというのだから、驚きだ。パーマのかかった茶髪のロングヘアーに、いつでも化粧バッチリ、おまけに露出度の高い衣服ばかりを常に身に着けているものだから、そのノリはもはやキャバクラのねーちゃんを思わせる(といっても、実物はよく知らない)。しかし、その外見とは裏腹に実は家庭的な一面を持つ紗枝さんには、何かと、特に食関係で昔から随分世話になっている。
それにしても、まあ、別に今更気兼ねなんてないのだろうけど、一応年頃の男の子の前でタンクトップ一枚に、長ミニのショートパンツだけの身なりはどうなのだろうか。いや、いや、タンクトップ越しにその存在を主張する豊満なお胸は、あの麗美をも凌駕する大砲なだけに、俺も目のやり場に困るわけですよ、はい。これで、十六歳の一人娘を持つ未亡人ってんだから、ほんと世界は広いってもんだよ、うん。つーか、この人の遺伝子を受け継いだ夏菜が、なぜ未だに胸がまな板(推定Aカップ)なのかも不思議だ。うん、世界は未知の不思議でできている。
「ちょっと、純君。あんたさっきからどこ凝視してんのよ」
おおう。いつの間にか、紗枝さんの胸を食い入るように眺めていたらしい。ってか、これって不可抗力じゃね?
「あ、いや……いつ見てもご立派なお胸だなと思ってつい」
とりあえず、気兼ねする間柄でもないのでそう切り返す。すると、紗枝さんもにっこり笑って返してくれた。
「あら、お褒めのお言葉ありがとう。純君に言われると、素直に喜んじゃうわ、私」
「いやいや、マジで事実ですから」
「ふふ、ありがと。でも、あんまり考えなしに女を褒めるもんじゃないわよ」
そう紗枝さんは艶っぽい声を出して俺に擦り寄ってきた。って、うおお! なに、なに、なんですか!? なにやってんだ、あんた!?
俺の肩に豊満な胸を押し付けて、背伸びして俺の耳元に顔を寄せてくる紗枝さん。ほんわかとした甘い香りが俺の鼻腔をくすぐり、マシュマロのような柔らかな感触が、俺の肩から全身を侵食していく。そして、ごくりと生唾を飲んで身動きの取れない俺の耳元で、紗枝さんはクスッと笑って、囁いた。
「じゃないと、火傷するわよ?」
「……!」
「純君みたいなウブな子、私タイプなんだから」
紗枝さんの甘い吐息が耳をくすぐる。破裂しそうなほど心臓が早鐘を打つ。そして、まるでまどろみの中にいるように意識が曖昧になりかけたところで「なにやってるの、二人とも」と、夏菜の声が突如として耳を突いてきた。
どうやら、二階の自分の部屋で制服から私服に着替えていたらしい夏菜が、階段の途中に立って、じとっとした目で俺を睨んでいた。あくまで、俺を。
「なにって、純君をからかってたんだけど」
しれっとそう言ってのけて、紗枝さんはあっさり俺から離れた。
「ほら、見て見て、夏菜。純君ったら、顔真っ赤よぉ。さっすが純君。からかいがいあるぅ」
「もう! 馬鹿なことしないでよ、お母さん!」
「あっは、妬かない、妬かない。ま、純君が私のタイプっていうのは事実だけどね〜」
「お母さん!」
きぃきぃ金切り声を上げる夏菜をあしらいつつ、紗枝さんは「さ、ご飯にしましょ」と言って、夏菜とともにダイニングルームに入っていった。
一方、一人取り残された俺は、密かに反応したマイサンが鎮まるまで、その場から一歩も動くことができなかった。
――恐るべし、紗枝さんマジック……。