12.ピエロ
大雨の中、苦労して学校までたどり着いた俺は、校門をくぐった。
さて、夏菜はどこだろうな。ここに来る途中、グラウンドを見てみたが、案の定、大雨の中練習を続行してる熱血馬鹿は野球部の連中だけだった。がんばれ、少年たち。その血と汗と涙の結晶はやがて君たちの宝物となるだろう。ってか、雨に浮かれてはしゃいでる連中ばっかでした。こりゃ、今年も地区予選敗退決定だな。大人しく校内で筋トレでもしてろアホ坊主共。
おっと、あんなアホな連中は置いといて夏菜はどこだろうな。夏菜……お、二年の昇降口付近にたむろしてる数人の女子の中に夏菜の姿発見。よし、待ってろ夏菜。そして、感謝しろ。心優しい俺がわざわざこの大雨の中傘を持ってきて――。
「おーい、大山!」
「――!」
悠々と夏菜のいる昇降口へ近付こうとした矢先、いきなり響いたその声に、俺は慌てて方向転換。はい、校舎の影に身を潜めました。って、またこのパターンかよ、おい! いい加減にしろ、ごらあ! どこのどいつだ、テメエ、ああ! と威勢良く校舎の影から、こっそり昇降口の様子を伺うと、あら不思議。そこにはなんと傘を片手に立っている王子様、もとい、金田先輩の姿が。おいおい、金田先輩。あんた爽やかハンサム様のくせして、実は他人を信用しない根暗野郎だったわけ? ふむう……非常に残念だよ、金田君。君が実はそんな人間だったとは。まあ、アレだな。非常に言いづらいが、君のような人間にウチの大事な娘はやはりやるわけにはいかんよ。ん? なに? 勘違いですお義父さん? 黙らっしゃい! 君にお父さんと呼ばれる筋合いなどない! どうごまかそうと、君は降水確率0パーセントという天気予報を信用せず、傘持参じゃないか! 言い逃れはできんぞ、けーっけけけ!
「――あ……」
と、くだらない妄想を繰り広げていると、金田先輩と夏菜が肩を並べて昇降口から仲良く出てきたではないか。
うん。あれは、うん。あれだ。世間一般で言う、そう。相合傘というやつだ、うん。
「……」
楽しそうに金田先輩と話しながら校門を出て行く夏菜に声をかけることも出来ず、俺は立ち尽くしたまま二人の姿が雨の線に消えるまで、馬鹿みたいに黙って見送った。
……なんだよ。夏菜の奴、嬉しそうだったじゃん。
ってか、当然か。好きな奴と相合傘だもんな。そりゃ嬉しいだろ。ああ、それに端から見ても、あの二人お似合いじゃねえか、うん。
――さてと。ピエロは一人寂しく退散するとしますか……。
「……ん?」
そそくさと、校門を出ようとした俺の目にふと妙なものが映った。二棟の校舎の昇降口前。遠くに見えるそれに目を凝らしてみる。すると、雨の線に紛れて、今度ははっきりとその姿が浮かんできた。
この大雨の中、傘もささずにぼんやりと外に立ち、雨に打たれるままになっている誰か。遠目から、その人物が誰かまでは分からなかったけど、なにをしているのかはますます持って分からなかった。
心配半分、好奇心半分。俺はゆっくりと、その人物の元へ近付いた。
その誰かは、こちらに背を向けて、空を仰いでいた。身じろぎもせず、まるでこのまま雨の中に溶けてもいいと言わんばかりの哀愁を漂わせたその華奢な後姿が誰のものか、すぐそばまで近付いた頃には、もう思い当たっていた。
背後から、さしている傘をそっと彼女の頭上に持っていく。しかし、無反応な彼女に苦笑して、俺は構わず声をかけた。
「風邪引くぞ?」
やがて、無言のまま彼女はゆっくり振り返った。
「え……」
彼女と目が合った瞬間、俺は思わず声を漏らしていた。
予想通り、そこに立っていたのは昼休みに三人組の女子に旧校舎の裏に置き去りにされたあの女の子だった。でも、俺の記憶にある彼女は、虚ろな顔の、表情を持たない人形のような女の子だ。それなのに、今の彼女の瞳は悲しみに濡れて、その瞳からは涙が零れていた。
……見間違いだろうか?
雨の音が、そして、雨に濡れきった彼女が、俺の感覚を曖昧にさせていた。これは、ただの見間違いなのか? 吸い込まれそうな彼女の瞳に目を奪われて、俺はまた疑問とは別の思いに駆られていた。初めて彼女を見た時にも感じたことだ。俺は、どこかでこの子と会ったことがある。
「……」
やがて、彼女が呟いた言葉は雨の音にかき消された。そして、口の端を歪めながら、もう一度彼女の口から漏れ出てきた言葉は、あの時のような感情のない声じゃなくて。
「許さないんだから……」
今にも泣き出しそうな、そんな哀しい声だった。
「お姉ちゃんのこと忘れるなんて、私が絶対許さない」
「え……」
時間が、止まったような気がした。